毛利伸の憂鬱 5

 毛利伸の憂鬱5


 丸井吉祥寺店4階。メンズフロア。
 平日の午後という時間のせいもあってか、人影はまばらだ。
 伸はエレベーターから降りると、ごくりと息を呑んだ。緊張して、手はわずか汗ばんでいる。
 実は、東京のデパートのメンズフロアに一人で入るのは、これが初めてだ。そもそも、こちらに来てからというもの、自分の着る服はなぜかナスティから「これを着るように」と与えられてきた。だから、自分で服を買う必要自体、まったくなかったのだ。
 しかし、昨日、とんでもない事件が起きた。
 いつものスーパーの精肉部に最近、新人の若い男子が入った。多分、学生アルバイトだ。その彼は、会うとにこやかに近寄ってきて話しかけて来る。最初は人懐っこい人なんだと思い、相手をしていたが、そのうち、かなりプライベートなことまで踏み込んでくるようになった。いつも笑顔で応対してくれて、おまけに伸が買おうとする肉に必ず5割引のシールを貼ってくれる彼は、決して悪い人には見えなかった。いや、実際、悪い人ではなかった。たった一つの勘違いを除けば。
 昨日、買い出しにいつものスーパーに行くと、やはりくだんの彼に会った。
 非番なのか、私服でスタッフ専用入り口から顔を出すと、手招きする仕種でそちらへ入るように伸に促した。客が入っても大丈夫なのかな、と思いつつ、伸は言われるままに店の裏側に入り、精肉部と鮮魚部を挟む通路で彼と二人っきりなった。
 暗い通路でしばらく気まずい沈黙が流れたあと。

「つきあってください。」

 彼はやや俯きがちにそう言って、それから同意を求めるように伸を見た。

(ああ! これってもしかしてすごい勘違い!?)

 それから一時間かけて、伸は自分は本当に男性であることと、お付き合いする気持ちはまったくないことを、説明した。

 ……つまりは、身につけているこの衣服が問題なのではないか。

 スーパーで一悶着あった帰り、伸はしみじみと思った。
 そして決意したのだ。
 この東京で、男物の服を買う、という壮大な決意を。

 フロアを歩きながら、いつも自分が身につけている服との違いに伸は驚く。一体、ナスティは何を基準にあの服を選んでいるのだろう……。
 どの店も本当に男性ものばかり、そして当たり前だが、「男らしい」服が並んでいて、伸は店に入るのを躊躇していた。征士や当麻が着れば似合いそうな服ばかりだが、自分に似合うとは思えない。そんな中、一軒だけ、カジュアルで明るい色使いの服を並べている店を見つけた。
 ……この店の服なら、大丈夫かもしれない。
 そう思い、伸は店に入った。

 店内には流行のダンスミュージック、店員は一人。
 パンツからシャツ、セーター、パーカー、バッグ、靴、アクセサリーまで、おおよそ、一人の人間を着飾るのに必要な品々が揃っている。
 伸がそれらを物珍しげにーーいや実際、とても珍しくて目を丸くしていたのだけれどーー見ていると、フェアアイル柄のニットソーを着こなしたひょろりと細長い店員が近寄って来た。
「何かお探しですか?」
「ええと……」
「彼氏さんに贈り物でしたらこちらの新商品のシャツがおすすめですよ、これ、袖口の裏が切り替えになってて袖をまくったときに……」
 ……彼氏さんに、だって?
 ふつふつととわき上がる怒りを押さえ、丁寧に説明を始める店員に伸は毅然とした態度で応じる。
「違います。僕が着る服を探しに来たんです。」
 今日の服装は、デニムジーンズと、綺麗目のシャツ。何をどう間違えたらそうなるんだという伸の怒りは尤もだが、本人の体型やら顔やら声やらがアレなので、どう見てもユニセックスな女の子にしか見えない。だから、多分、店員には咎はない。
 ぽかんとする店員を横目に、伸は、店員がおすすめしたシャツの隣のラックに目をやった。水色のシャツが掛けられて、POPには「NEW ARRIVAL」と書かれてある。
 ラックの一番前のシャツの袖にそっと手を伸ばす。コットンの肌ざわりが手に馴染む。いいなあ、と伸は思った瞬間、店員が声をかけてきた。
「これ、今日、入荷したばかりのダンガリーシャツなんです。ほら、ここ、襟の部分が取り外しできて、二種類のデザインが楽しめるんです。」
「ふうん……」
 襟が外せるシャツなど初めて見る伸がまじまじと眺めていると、愛想の良い声で相槌を打たれた。
「これならお客さんにお似合いだと思いますよ。よければ試着してみてはいかがですか?」
 シンプルなデザインが気にり、うまい具合に促され試着してみる。
 しかし、実際に着てみると、なんだか大きい感じがする。確かに、店の鏡の前に立って見ると、肩のラインがやや、ずれていた。
「これの、もう少し小さいサイズはありませんか。」
「うーん、それが一番、小さいんですけどねえ。」
 店員は苦い顔をして、微妙な笑みを浮かべた。
「ああ、これならどうです? こう、胸元のボタンを一つ外して着るとお洒落ですよ。」
 そう言って、店員は、鏡の前に立つ伸の胸元のシャツの、一番上のボタンをはずした。
「あと、下にシャツを着て、上に羽織ることもできますし。」
 ボタンを上から一つはずしたシャツを着ている自分の姿と鏡で相対する。なかなか、男っぽいじゃないか、これなら大丈夫。それに、試着してしまったものを買わないわけにもいかないしーーこのあたりは全くお坊ちゃんの発想なのだがーーといういくつかの思惑を経て、伸はそのシャツを購入して帰路へついた。


遼の場合

征士の場合

秀の場合

当麻の場合