あたたかな星の巡る場所。

 あたたかな星の巡る場所。



 萩の沖合で見つかった新種の貝のサンプルを、ゴールデンウィーク中に東京の大学の研究室に届けて欲しいと伸が義兄から依頼されたのは、四月の半ばだった。研究所から離れられない義兄とは違い、カレンダー通りの休みをとっている伸に断る理由もなく、依頼を引き受け、五月三日に羽田空港に到着するよう交通手段を手配した。五年ぶりの東京だった。久しぶりついでに、東京にいる当麻に簡単なメールを送った。当麻は今、東京でBREEZE CUBEというIT関連の会社のCEOに就いている。大学時代にアメリカで起業し、卒業してから東京に戻って四人の社員と二人のアルバイトを雇い西麻布のマンションの最上階の部屋にオフィスを構えている。二時間後、当麻から「四日の十九時にここで待ってる」と地図付きの返信が帰って来た。地図で示されている場所を二度見て、伸は参ったな、これだから天才のやることは分からない、とぼやいた。当麻が地図で指定してきたのは、東京スカイツリーの正面エントランスだったのだ。ゴールデンウィークの観光地の、その最も人混みに溢れるであろう場所で、なぜ待ち合わせをしようなどと考えるのか。伸にはその意図が到底掴めない。


 義兄の依頼を無事果たしたあと、伸は軽い昼食をとって、春の日射しの降り注ぐ隅田川沿いの緑地を散歩してからスカイツリーに向かった。旅の疲れもなく体は軽かったが、地下鉄の車両の人の多さに心は少しずつ重くなってゆく。押上駅で吐き出されるように降りて、待ち合わせの正面エントランスに着くころにはすっかり身も心もくたくただった。さらに周囲の人混みにうんざりして伸はガラスの壁に体を預けて目を閉じた。周囲の喧騒から自らを切り離し、ただ暮れてゆく日の光だけを感じながら「東京でも日は暮れるんだな」とぼんやりと考えていたとき。
「よう、伸」
 と聞き覚えのある声がした。
 目を開けると、記憶に残る印象よりもずいぶんと雰囲気の違う当麻が腕を組んで伸を覗き込んでいた。
「やあ、久しぶり」
 伸は体を起こして、文句のひとつでも言ってやろうかとも思ったが、言葉が続かない。ジャケットのせいだ、と気づいたのは当麻が伸を促して歩き始めたときだった。以前に会ったのは五年前、当麻が東京に帰って来たときだった。色の褪せたジーンズに何度洗ったかわからない縒れたシャツ。彼らしいと思うと同時にそれが社会性のない子供じみた格好だと感じた。そんな彼がすっと背を伸ばし、ジャケットを羽織るだけで自分よりもはるかに大人びて見えるのだ。
「長旅で疲れてるのに、こんなところに呼び出して悪かったな」
「天才の君が凡人の僕の苦労を理解してくれるとはね」
 当麻は苦い笑いを浮かべながら、向こう、という風に行き先を指で示した。天空にそびえる展望台へと向かうシャトルに乗り込もうと数百人が並ぶホールを通り抜け、関係者受付の窓口で二言、三言、言葉を交わしてから、その奥の関係者専用シャトルの前に立つ。
「当麻、君が……」
 言葉が終わる前に実用性だけを主張する銀色のドアが開いた。乗り込む当麻のあとを伸は追う。
「どうして関係者なんだい?」
 質問の長さは、三秒ほど。当麻が答える前に、二人は634メートルの高みに到着した。シャトルのドアが開き、ガラス越しの視界いっぱいに光の街が広がる。
「すごい……」
 伸の足がゆっくりと、それから早足になって回廊を渡り煌めく街を映し出すガラスの前で立ち止る。当麻も追いつき、隣に立った。
「スカイツリーの照明デザイナーがまだ若くてな。しかも発注から納期までが一週間だったから、照明シミュレーションのプログラムを俺が引き受けたんだよ」
 伸は何も言わず、光の街に魅入っている。
「おい、伸。聞いてるか?」
「あ、うん。やっぱり君は僕とは出来が違うっていう話だね」
「ひどい嫌みだな」
 笑いを噛み殺しながら言って、当麻も街を見下ろした。
「あんまり実感湧かないけど、ここが俺たちの守った街なんだよな」
 当麻の口からあまりにも自然に出てきた言葉に、伸は何度かまばたきをして我に返った。今、ここにはいない、遼と征士と秀の顔を思い出す。メールでやりとりはしているが、やはり五年前に会ったきりだった。懐かしさとともに得体の知れない痛みが奇妙な痺れとなって指先まで伝わり、伸はそれを振り払うように首を振った。
「僕たちが、守った街……」
「不思議だとは思わないか?」
 内向きに下降線を描き始めた伸の心を、当麻の言葉が押しとどめた。
「不思議? 何が?」
「俺らの年齢」
「僕たちの年齢?」
 当麻の言葉を繰り返し、その真意を確認するように伸は当麻の方を見た。相変わらず街を見下ろしたまま、手すりに預けてあった両手をその上で器用に組んだ。
「征士、あいつ今、何やってるか知ってるか?」
「確か、剣道の師範だろ?」
「そう。で、最近、猫を飼い始めた」
「……猫?」
 伸の声が裏返る。猫が問題なのではない、征士と猫のギャップの大きさに驚いたのだ。
「それ、征士から聞いたのかい?」
「いや、征士の姉貴から聞いた」
「知り合い?」
「FaceBookでな。ちなみに征士はそのことを知らない」
「だろうねえ」
 翳りを見せていた伸の口元が自然に笑みでほころぶ。東北に住むまっすぐな友に想いを馳せた。
「遼は冬の間、アメリカに長期撮影旅行に出た。途中、ボストンに一週間ほど滞在すると言ってたから、ホームステイ先に大学時代の知人を紹介したんだ。そいつに前もって『俺の友人が世話になるがそいつはニンジャだから気をつけろ』って冗談でメッセージしておいたら、カレブ、ああ、知人な、こいつがすごく喜んでな。遼がカレブの家に着いたその夜に、遼の写真がtwitterで10万回以上リツイートされた」
「え、なんだい、それ」
「カレブは日本オタクなんだ。もちろん忍者の衣装だって持ってる。ほら、遼って髪も目もすごく黒くていかにも『日本人』って感じだろ? だからカレブは遼に忍者の衣装を着せてその写真を世界中に公開したのさ」
「それ、遼は知ってる?」
「どうだろうな」
「当麻、君、ひどい」
 堪え切れず、伸は体を揺らして笑い声をあげた。その様子を見て当麻はひとつ頷くと、伸の前に人差し指を立てた。
「あと秀は俺たちに隠し事をしてる」
「えっ?」
「多分、来年の年賀状は『家族が増えました』報告だぞ」
 伸は一息で笑いをおさめて、目を瞬かせた。
「本当? 誰に聞いたんだい?」 
「先月、秀の店に呑みに行ったんだよ。秀も途中から同席して話してたんだけどな、席を外したタイミングで奥さんが来て教えてくれた」
「秀がお父さんかあ」
 ほうと息をついて、伸は左手を胸にあてた。あの秀が、という想いと秀らしい、という想いが交錯する。
「なんだか君がひどくうらやましいよ」
「うらやましい?」
「君は都会の真ん中で暮らして、今じゃ会社の偉い人だ。スカイツリーだって並ばずに入れるくらいにね。世界の変化にも敏感だからみんなの情報にも詳しい。でも、僕は相変わらず萩の田舎で暮らして、もちろんそれは嫌じゃないけれど、君たちとの連絡もメールでのやりとりが精一杯だよ。なんだか僕だけ取り残されているような気がする」
「取り残されている、か」
 笑みを消した当麻は、一歩、後ろに下がって今度は胸の前で腕を組んだ。
「それを言うなら俺もだな。うちの会社、事務の子以外みんな三年もたないんだぜ。バイトは長くて一年だ。みんなスキルを磨いたら独立するか他に移る。おかげでCEOの俺がいつまでたっても現場で仕事してる。そんな奴らに愛着なんて持てないだろ? 俺は世界中に知人と呼べる奴は言語の数だけいるが、友と呼べる奴は四人しかいない。友人のことは知っておきたいから常に情報は仕入れておく。関わっておきたいと思ってる」
 そこで一旦、言葉を切った当麻は、つと伸から目を逸らした。声のトーンが緊張で少し強ばる。
「伸のこともそうだ。今回、東京に来たのは義理の兄さんのお遣い、違うか?」
「どうしてそれを?」
「ビンゴ」
 組んでいた腕をほどいて、当麻は小さく手を叩いた。逸らした目を再び伸に向ける。明るい色が宿っていた。
「少し前、『萩の海洋研究所で新種の貝が見つかった』というニュースがハングアウトでシェアされて、記事のソースを探してたら毛利竜介の名前を見つけた」
「それがどうして僕の上京と結びつくんだい?」
「人混みが苦手な伸がゴールデンウィークにこっちに来る、つまりそれは誰かに頼まれたからだ」
「……君の将来の奥さんに同情するよ」
「なんだよ、それ」
 当麻はひょいと肩をすくめて話を続けた。
「つまりな、俺のプライベートの情報網はあの時出会った四人だけで構築されている。小田原で過ごした時間の居心地の良さが忘れられないのかもしれないな。そこで年齢なんだ」
 当麻はなめらかに体を反転させて体を手すりに預けてまた腕を組んだ。
「プログラムを組むというのは、ざっくり言うと『ある目的』を達成するために、様々な要素をぴったりとそこに向けて組み立てることだ。機械だから簡単にできる。でもな、人間はそうはいかないだろ?」
「当麻、悪いけど、君の言おうとしていることが全く分からないから、凡人でも分かる言葉で説明してくれるかい?」
 伸は一度、当麻を見てから困ったように首を傾げた。
「あー、つまりだな。どうして俺たちはそろいも揃って同じ年に生まれたんだ?」
「えっ……」
「鎧の継承者が必ず同じ年に生まれて来るなんて、フィクションの中でしかありえないだろ。新宿に集まったとき、例えば伸が二歳年下だったり、俺が五歳年上だったりしてもおかしくないわけだ。この歳になれば、そんな些細な年齢差は気にならないさ。でもあの年頃は一年違っても結構、気を遣うだろ? そしたら多分、俺たち五人は今みたいな関係を続けて来られなかったと思う」
 伸の瞳孔がゆっくりと大きくなった。今まで疑うことのなかった当たり前の事実を『あり得ないこと』だ、と天才が指摘する。そしてそれがまったく理に叶ったことだと辿り着くのにゆうに十秒はかかった。
「言われてみれば……そうだね、不思議だ」
「なんだかさ」
 豊富な語彙を彷徨うように、当麻はそこで一旦言葉を切って体を反転させた。再び光の街を見下ろす。
「待ち合わせをして生まれて来たみたいじゃないか?」
「『待ち合わせをして生まれて来た』?」
 関西訛りの残るそのアクセントまでしっかりとなぞって、伸はその情緒的とも言えるフレーズを繰り返す。
「君にしてはずいぶんロマンティックな言葉じゃないか」
 驚きと感心が半分ずつ混じった口調で言ってから、その詩的な言葉の原因を探すように伸もまた、光の街を見下ろした。
 数え切れないほどの色とりどりの光が幾何学模様を描く煌めきの洪水。電車も車も高さ634メートルから見ると、かたつむりのようにゆっくりと動く。遠くに見える赤い塔は東京タワーで、観覧車が見えるのがお台場。隣の柱に取り付けられてある銀色の説明プレートが教えてくれるのだからそうなのだろう。世界一の塔の高みから見える風景は、はるか星々を見晴るかす宇宙の片隅にでもいるようだ。それで伸は納得した。当麻の『天空』の性が、まさに街の中で宇宙に一番近い場所を選んだのだと。この場所が、彼にとって一番自由にいられる場所なのだと。それならばまた、彼の口を衝いて出た詩的な言葉にも頷ける。
「ねえ、当麻……」
 君にとってこの場所は、と伸が続けようとしたとき。背後で機械の唸る音がした。二人の乗り込んで来た関係者用シャトルが到着したらしい。伸はそちらを振り向き、当麻は街を見下ろしたまま「着いたか」と独り言ちた。
 シャトルの扉が開き、そこに現れた人影に伸は呆然となって言葉を失くす。
「いたいた! おい、当麻、伸!」
 元気な声が回廊に響く。赤子二人は入りそうなリュックを抱えた遼がこちらに向かって来る。
「よう、伸、元気だったか?」
 後ろに続く秀が軽く伸の方に手をあげた。隣の征士は何も言わず、一瞬だけ目の合った伸に、ひどく余裕のある微笑みを見せる。
「えっ……どうして、みんな……」
 伸の続けられなかった質問に、当麻が答えた。
「伸がこっちに来るのは久しぶりだっただろ? だから、ちょっと声をかけておいた。このあと、下の天望デッキのレストランを予約してあるからみんなで呑もうかと思ってな」
「みんなで呑もうって……」
 呟くように言った伸の目頭がゆっくりと熱くなる。一拍ごとに鼓動が早くなる。向かって来る仲間をまっすぐに見ることができない。その理由が分からず、俯いて息を整えた。
「ま、サプライズ同窓会ってやつだな」
 当麻がおどけたように言って、伸の顔を覗き込み、慌てて背筋を伸ばした。視線を宙に彷徨わせかけるべき言葉を探すが、うまく見つからない。
「同窓会……」
 そう小さく声にしたのが限界だった。伸は熱くなった目頭から溢れ出しそうになるものを必死でせき止めて、当麻から顔を背ける。
「ごめん、仕事の電話を思い出したから少し外すよ」
 掠れる声で言い残し、早足に場から離れた。2メートルほど先の柱の影に立ち尽くし、ガラス越しに街を見下ろす。
 光の街は雨に濡れたように滲んでいた。
 伸は右手を広げて両目に当てて俯いた。指を伝い腕に流れた涙の感触を全感覚で感じて微かな自嘲の笑みを口元に浮かべる。
「男のくせに、この歳で泣くなんて」
 それは不快感からではない、とてもすきとおっていて、あたたかな感情から零れる涙だと分かっていたから、伸の心は皐月の日射しを受けてゆったりとたゆたう春の海のようなゆたかさに充ちていた。それを嬉し泣きとだというのも分かっていたから、もちろん自分も、他人も責めたりはしない。ただ、当麻の仕掛けた突然のサプライズは、田舎の片隅で平凡な日常を送っている伸にとってはあまりにも激しく心を揺さぶりすぎたのだ。
 伸は顔をあげて、もう一度、光の街を見下ろした。うっすらと滲む光の向こうから数分前に耳にした言葉が聞こえて来た。
『待ち合わせをして生まれて来たみたいじゃないか?』
 ああ、そうだね、僕らはきっと、待ち合わせをして生まれて、この街で出会ったんだ。
 自分に言い聞かせるように、そして問いかけた当麻に答えるように言葉を噛みしめて、伸はジャケットの内ポケットからハンカチを取り出して、目元を拭った。
 もう、光の街は元の姿を取り戻していた。
 伸は一度目を閉じ、大きく深呼吸してから、一歩、足を踏み出す。
 血よりも深い絆で結ばれたやさしい友たちに会うために。


SCC24の無配本の小説の正式版です。一文だけ、変えてあります。武装演舞というお祭だったので短編の中で五人を出したいと思ったので、当伸薄めですね……。スカイツリーはこの春に行きまして、あ、ネタにしよう、とたくらんました。フィクションですが、スカイツリーの照明デザイナーさんの納期が一週間というのは実話です。(ラジオでご本人が出ていらしゃいました)