ワールド・ラグ

 ワールド・ラグ



 クリスマスイブといっても今日は平日で、どれだけ綺麗にイルミネーションが街を彩っても社会を構築するシステムは平常運転だ。僕は3つの公的契約を結び、そして明日も2つか3つ、契約を結ぶのだろう。帰り道、駅ビルのケーキ屋の前で、サンタクロースのコスチュームをまとったアルバイトの女の子が残り2つのクリスマスケーキを震えながら売っているのを見かけなければ、僕はきっと今日が12月24日だということに気づきもしなかったに違いない。
 ルーティンワークのように風呂に入り、ラジオのクリスマスソングを聴きながら寝る前のひと時、紅茶を飲む。時計が25日0時を告げた瞬間、けたたましく鳴ったスマートフォンの相手の名前を見て僕は咄嗟に彼の顔を思い出せなかった。いや、正確には最後に会った5年前の記憶が凍り付いたまま溶けるだけの時間の余裕がなかったのだ。今、彼は僕の14時間前の世界に住んでいるはずだ。
「メリークリスマス!」通話ボタンを押すと勢いのいい声。寝起きではないらしい。「メリークリスマス。ずいぶん久しぶりだね」「ああ、ちょっと長期の観測隊のメンバーだったからさ」当麻は今、ボストンの大学で宇宙に携わる研究者として働いている。彼の研究チームの名前を僕は2度ほど、新聞で見かけた。当麻の名前を直接見た訳ではないのに、その記事を読んだだけでなぜか全身の血と言う血が温度を失った。
 「今、メール開けるか?」「ああ、うん」僕は手元にタブレットを引き寄せた。同時に着信音が鳴る。「クリスマスプレゼント、送っといた」「クリスマスプレゼント?」メールには件名も本文もなく、ただ1枚の写真が添付されていた。
 夜空の濃紺を埋め尽くすかのように散りばめられた星々。その真ん中に、ちいさな、本当にかすかな輝きを放つ星の光が、赤の丸で囲まれている。「なんだい、これ」「1年と少し前な、俺が発見したんだ。お前の名前で登録したから。クリスマスプレゼント、な」
「え、ちょっと! なに勝手なこと…」「登録しちまってるから返却は不可だからな」そして、通話はあっさり切れた。
 スマートフォンをテーブルに置いて、ベッドに仰向けにダイブする。タブレットの中のデジタルの満天の星空を眺め上げた。
 ダイヤのリングなら嫌でも返品できるけれど、星の名前は変えられない。そのように、当麻は僕を縛り付けるつもりなのか。いや違う。僕自身が、この5年間ずっと彼の幻に縛り付けられていたのだ。彼の顔が思い出せなかったのは、僕自身が施した封印だ。その証拠に、今はあまりにも色鮮やかに彼のこまごまとした全てを思い出す事ができる。
 幻に囚われていたのは、きっと僕だけなのだ。
 僕にとっての5年は当麻にとっての5分だ。彼はきっと、僕の童顔が仕事に支障を与える年齢になったことも知らないだろう。 

 僕と当麻は、それだけ遠く、違う世界に住んでいる。
 もしかしたら、世界を照らす星すらも違うのかもしれない。

 まじまじと写真を眺める。弱い光を放つ僕の名前の星。ふとメールのフッタがおかしいことに気づいた。彼からの送信時刻は25日0時3分。東京とボストンの時差14時間…。当麻はどの世界から電話をかけてきたんだろう。




晦日にクリスマスの話なんて……(笑)小説を書く時間がとれないので、リハビリがわりにtwitterでちょくちょく超超短編を書いているのですが、それの中のひとつを、形にしたもの。詳細はブログにて。