禊の海
「クリスマスには会えない」との連絡を当麻が受けたのは十二月に入ってすぐだ。あまやかな期待を裏切ったその台詞には続きがあった。「年末年始、うちで手伝いをして欲しいんだ」もちろん、魅力的な誘いを断る理由はなく、当麻は二つ返事で引き受けた。
大晦日、伸の実家は大勢の親戚が出入りしていた。姉の小夜子が、玄関口で入り辛そうに佇んでいる当麻を見つけて、声をかけた。「羽柴君、こんにちは」「どうも。あの、弟さんはどうかしたんですか。今日、こちらに来るように言われていたのですが、昨日から携帯が繋がらなくて」「ごめんなさいね、伸ちゃん、昨日から外に出られないの」「病気かなにか?」「いえ、そうではなくて……」 小夜子の説明はこうだった。伸の家には代々、守っている祠があるという。新年には毛利家の男子が祭主として祠の神を迎えなければならない。これまでは義兄がその務めを果たしていたが、今年はどうしても仕事の都合がつかず、急遽、伸が祭主になった。そのため、現在、斎戒中の彼は下界の穢れに一切触れられないという。「だから、羽柴君は遠慮なくうちにあがってね」と迎えられた家で、当麻は親族さながらにもてなされた。
年越しの宴は夜の八時過ぎまで続いたが、九時にもなると騒ぎは嘘のように消え去り、十時には大晦日のしきたりということで、家の全ての灯りが消された。一室をあてがわれた当麻は、暗闇の中、仕方なく布団に横たわっていたが、早過ぎる時間に眠りに落ちることもできず、ただ苛々と時間を過ごした。どれくらいそうしていただろうか。誰かに呼ばれた気がして、寝間着の上にコートをひかっけ、新年を待つきりりと静粛な夜の闇へと滑り込んだ。
伸の家から歩いて五分もかからないところに浜辺がある。その向こうは夜空を懐に溜め込んだ黒い海。空と海の境目に人影を見つけて、当麻は息を呑んだ。慌てて駆け出す。「おい、誰かいるのか」こんな真冬に海に入るなど、自殺行為だ。何の恨みがあって厳粛な夜に伸の家の近くで入水など……。
人影がゆらりと揺れた。満月を少し過ぎて欠け始めた明るい月を背負って影は言った。「見ちゃったね」 聞くだけで体の血が沸騰するほど愛おしく忘れようのない声だった。「伸!? 伸なのか? こんなところでなにをやってる?」「禊だよ」 逆光で顔は見えない。シルエットだけの人の形が、夜空を受け止めるように両腕を拡げた。月の光がその輪郭をなぞって夜の水平線に像を浮かび上がらせる。両腕から滴り落ちる雫が、黄金に輝いた。
「禊?」「そう、明日、神様をお迎えするからね。本当は誰にも会ってはいけないんだけど、君は特別だからきっと許してくれる」「特別? どうして?」「僕がこっちに帰って来られなくなったとき、君は僕を引き戻す縁(よすが)となるから。」「俺がか?」「そう、そんな大事な役目、君以外に頼めないだろう?」
新しい年がひたひたと近付いて来る。その音を聞きながら、当麻は一度、唇を噛みしめて、神様とやらに聞こえないように囁いた。「今、お前に触っても大丈夫か?」しばらく間があって、影が答えた。「君も禊をしなきゃ、駄目だ」「解った」 当麻はコートを浜辺に投げ捨てると、寝間着のまま海に足を踏み入れた。痛いほどの冷たさが体を這い上る。影にたどり着いて、ようやく大きく息を吐いた。透き通った月影に映える貌を確認する。影は間違いなく伸だった。たった一枚の薄い着物が海水に濡れて、体にはり付いている。細い首と腰が月の光に暴かれ露になっていた。うっすらと静かに微笑む伸が、あまりにも遠すぎて、手の届かない儚い存在に思えて、当麻は知らず薄い身体を抱き締めた。「帰って来られないなんて、言うな」「ごめん。本当は不安で、君を呼んだんだ。我がままに付き合わせちゃったね」伸の両手が、当麻の肩に回される。
二人のシルエットが昏い紺青に溶ける。
煌煌と月の輝く禊の海で、おおらかな海神すら妬くような深い口付けを交わした。
月明かりに照らされた、静かな、静かな抱擁。
新しい年が、二人の間に生まれた。
2013年のお正月期間限定企画でした。年末にふとイメージが降りて来て、忙しい年末に書いた記憶があります。これ、実は2バージョンあって、1つはこのサイトバージョン、もう1個はうーたんさんだけに送った年賀状にラストが違うバージョンを印刷して送りました。(しかし、うーたんさんさんいわく「サイトバージョンの方が良かった」とのこと。そして私はうーたんさんバージョンのラストを忘れて思い出せない……(笑)

