第40話 ミアレ (2)

 ミアレ (2)





 関東の梅雨空けを気象庁が発表した翌日、渡井はゲストハウスを訪れた。緊張が琴線のように張り詰めたリビングのテーブルの一席に迎えられ、集まった六人に一礼をすると、秀の出したアイスコーヒーを一口、啜った。グラスの中の涼やかな氷の音に、耳を傾けたあと、話し始める。
「お忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。今日は重要な件で伺いました。お察しの通り、金烏玉兎集と北辰結界のことです。」
 言ってから、その場に集う者の面々を見渡す。
 渡井から見て時計まわりに、当麻、伸、クロ、ナスティ、征士、秀、と座っている。純も来る予定だったが、大学の講義を抜けられなかった。皆、口元を引き結び、じっと続きの言葉を待っている、その中で、一人、真っ青な顔で、今にもテーブルの上に倒れ込みそうな伸の姿を見て、渡井は本題に入るのを躊躇した。大祓での出来事は当麻や他の神職から聞いて知っている。しかし、あれからすでに二週間は過ぎていた。快復しているものとばかり思い足を運んだのだが、いささか予想が外れたようだ。
「大丈夫ですか、毛利さん?」
「はい、ありがとうございます。気になさらず話を続けて下さい。」
 弱々しい声音に、言葉の内容とは裏腹の彼の不調を知り、渡井が労りの言葉を募ろうとしたところを隣の当麻が遮った。
「伸は大祓のあと目覚めてから、まだ一週間も経ってないんだ。その上、あの日以来、街の空気が悪くなったとかで、体力が戻らない。このゲストハウスの中は、そちらさんが守ってくれている結界で大丈夫だと思っていたんだがな。」
 いいよ、当麻、と伸が小声で言いながら、折れそうな細い手で隣人の袖を引っ張るのを、視界の端に入れてから渡井は応じた。
「申し訳ありません。私の見た限り、結界の機能は衰えておりません。おそらくは、大祓の折に取り込んでしまった瘴気が浄化されず、いまだ毛利さんの体内に留まっているものと思われます。」
「では、ずっと伸はこのままなのですか?」
 テーブルを挟んで、ちょうど真向かいのナスティが、隠し切れない不安を震える声で口にした。少年と少女だった頃は互いに助け合い、再会してからは万全の信頼を置いている伸は、ナスティにとって、何よりも得がたい特別な存在だ。
 彼女の問いに、いえ、と簡素に答えてから、渡井はスーツの内ポケットに手を伸ばして、綺麗に折り畳んだ半紙を取り出した。テーブルの上に置いて、丁寧に白い紙を解く。中から薄い飴色の小さな木片が姿を見せる。黒々とした墨で、記号と文字の間の子のような図柄が描かれていた。それを伸の方に差し出して、渡井は言った。
「これを肌身離さず、お持ちください。浄化と守護、墨江の三前(みまえ)の大神の神符です。きっと今の毛利さんに役に立つと思います。」
 伸はすぐに神符を受けとらなかった。伸ばしかけた手を止めて、血色の悪い顔に何かを懸念するような表情を浮かべる。
「どうした、伸?」
 隣で訝しがる当麻に、伸は「なんでもないよ。」と言いおいて、神符を手にした。
「ありがとうございます。」
 伸は神符の見えざる力を一度、手元で確かめてから、渡井に目礼してスボンのポケットにしまう。
 渡井はもう一度、六人を見渡した。真摯な目が今日の本題を促している。
「皆様の力添えのおかげで、無事、金烏玉兎集が再生され、先日、解読作業が終わりました。」
「では、そこに、あなた方の言われる、口伝の北辰結界とやらは記されていたのですか?」
「はい。」
 征士の慎重な物言いに渡井は頷いた。
「再生された金烏玉兎集は、一巻、二巻が暦、三巻が方位、四巻が術式について記されていました。このうちの四巻に、口伝とされてきた北辰結界、正式名称『尊星王祭』についての記述かあり、詳細が分かりました。」
「当然、包み隠さず話してくれるんだろうな。これまでの話の流れだと、その術は俺たち抜きでは完成しないそうじゃないか。」
 口元を一瞬、こわばらせて、渡井は首肯した。短い空白の時間の意味を悟り、当麻は気づかれぬよう溜め息を吐く。やはり、彼らにとっては自分たちは都合のいい駒でしかないのか、と。
「まず、北斗の象徴である『七支刀』を用います。こちらは所蔵している石上神宮の使用許可を得る事が叶いました。この『七支刀』に皆様の五行及び日月の力を与えていただきます。」
「『七支刀』といえば国宝だろ。そんなに簡単に許可が下りたのか?」
「国の非常事態ですから、背後で何らかの力が動いたと思って下さい。」
「なるほどね、そういった政治的圧力をかけられるだけの大物が、あんたたちの仲間にいるわけか。」
 ストローでアイスコーヒーをかき混ぜながら、嫌悪丸出しで揶揄した当麻に、渡井は応じなかった。
「力を与えるていってもなあ。渡井さん、実際、俺たち、何をすればいいんだよ?」
 ぐっと上体を椅子の背もたれに伸ばしながら、秀が訊く。
「この結界は、強力な『チ』の結界です。以前お話したと思いますが、『チ』というのは大きな力を意味します。そしてこの北辰結界はその『チ』そのものの結界、つまり、人間の身体を巡る『血』そのものの結界なのです。
 ですからまず、皆様には、北斗を象る『七支刀』に力を与えて頂く事になりなす。方法など詳細はその場で説明いたします。決して、命を落としたり生命力を削ぐといったようなことはありません。ご安心ください。
 ……そして重要なのが、その先です。」
「その先、とは?」
 腕組みをして聞いていた征士は、腕を解いてわずか、身を乗り出した。
「繰り返しますが、北辰結界は『チ』の結界です。それはすなわち、施した術者の『血』そのものが呪物ということです。この結界が都市を守るための半永久的な効力を発揮するためには、『血』の力が途絶えないことが前提です。つまり……」
「おいおい、渡井さん、俺にも分かるように簡単に説明してくれないか? こんがらがっちまう。」
 秀の嘆きに渡井は目だけで謝ると、細く息を吐き出し、とってつけたような無表情を装って、言った。
「この結界が永久に……いや、この都市の守護の役を果たす間、皆様と皆様の力を受け継ぐ者たちの血を絶やさないでいただきたいのです。」
 言ってから、渡井は後悔を露に面を俯けた。
 残された六人は、間の悪い冗談を聞いてしまったように惚けてから、それぞれに目配せをする。
「その……それってつまりだな? 俺たちに絶対、子どもを作れってことなのか?」
「大正解だ、秀。ついでに言うと、俺たちの力を継ぐ直系の子孫は絶対に子どもを作らなきゃならないってことだ……ある意味、鎧玉よりタチが悪い。」
 当麻は、胸からせりあがる苦いものを吐き出すように言うと、先程からずっと黙っている伸をちらり見た。交わされている話を聞いているのかいないのか、ぴくりとも動かない。
「羽柴さんのおっしゃる通りです。結界を維持するために、どのような形であれ、皆様の力を継ぐ子孫を絶やさないでいただきたいのです。」
 顔を上げてそう答えた渡井に、痛いほどの視線が突き刺さる。それでも無表情を決め込んで、説明書を読み上げるように続けた。
「北辰結界創成の祭祀、『尊星王祭』の日取りは九月九日、それまでに、皆様自身と皆様のご家族の穢れを取り払う祭祀を行います。これについては後ほど、手配いたします。ご理解とご協力のほどをよろしくお願いいたします。」
 言い切って、渡井は緊張を解き、肩を下げた。彼ら六人のうち、少なくとも当麻と伸の二人は、『子孫を残さなければならない』という条件を受け入れ難い関係にあると感じていたからだ。
 その当麻と伸からは異論は出なかった。代わりに、当麻から質問が投げかけられる。
「北辰結界の、北斗を受け持つ俺たちのやるべきことは分かった。で、ひとつ訊きたいんだが、北辰というのは誰で、何をするんだ?」
「ええ、実は私も気になっていたの。私たちが北斗を創る。なら、北辰はやはり、私たちと関係のある人物ではなくて?」
 えぐるように鋭く切り込む二人の質問に、渡井の背筋には夏だというのに汗が伝った。必死に言葉を探して、事務的に切り返す。
「北辰についてはこちらで滞りなく整えていますので、基本的には皆様には無関係と思って下さい。」
「……信じていいんだな。」
 眇めた目で当麻が睨む。渡井は額から吹き出す汗を拭いながら答えた。
「陰陽寮の名において、皆様に危険は及ばないことを約束いたします。」
 渡井の言葉を聞いて、六人がそれぞれの仕草で納得の意を示す。
 今のところ、皆が敵にまわっていないことを確認して、渡井は一度、飲み物で喉を潤したあと、続けた。
「ところで、真田さんの件なのですが。」
「それについては、こちらも聞きたいことがある。」
 当麻が顔だけで、ぐいと渡井の方を見た。
「あんたたちの方では、まだ見つけていないんだな?」
「はい、手がかりらしきことも全く……」
 口元に手を当て、幾許か思索したあと、当麻は言った。
「洞真法人という人物を知っているか? どうやら、民間に流れた陰陽師の末裔らしいんだが。」
 洞真法人、と口で繰り返して、渡井は首を振った。
「すみません。私は存じません。ただ名前から察するに、道摩法師……芦屋道満の流れを汲む人物かと思われますが。」
「そいつが遼を拉致した可能性がある。」
 ゲストハウスに来て、終始、無表情を決め込んでいた渡井の瞼が、何かに気付いたとでもいうようにぴくりと引き攣れた。脳裏に、一匹の鼠が走る。五月初旬に行われた陰陽寮での緊急対策会議に現れた、得体の知れない式神。そのことを伏せて、答えた。
「分かりました。この件ついては、上司に話を通しておきます。」
 それから渡井は、九月九日までの綿密なスケジュールと連絡事項を淡々と説明してから、ゲストハウスを後にした。
 見送った伸とナスティがリビングに戻る。深い沈黙が六人を包み込んだ。
 切り出したのは、征士だった。ゆっくりと立ち上がり、一段と厳しさを増した紫の瞳で五人を見渡してから、
「すまないが、皆に頼みがある。」
「なんだよ、かしこまって。気持ち悪いぞ。」
 八つ当たりに近い当麻の言動を気にかけた風もなく征士は続ける。
「この……血族を残さなければならないという条件は、私は安易に飲み込めるものではないと思う。仮にこの場にいる全員が、伴侶を得たとして、必ず、子どもができると言えるだろうか。いや……問題は子どもを成すために伴侶を得なければならないという、昔の武家の嫡子のような使命を子孫にまで課せられる事だ、私は同意しかねる。だが現状、我々はそれを受け入れざるをえない状況だ。」
「征士が言うと、なんだかリアルだな。」
 つまらなさそうに茶化す当麻を強い眼光で押さえ込み、征士は台詞を継ぐ。
「これはあくまでも私の意見だ、皆がどう考えているかは分からない。ただ、遼が帰って来た時には、この件は私から説明させて欲しい。」
 その場の誰もが「なぜ」とは訊かなかった。遼と征士の間に少年の頃より紡がれている他者の立ち入り難い関係に、全員が気付いている。当麻と伸の間柄とは種類が違うとはいえ、二人の繊細な絆を土足で踏みつける不躾な仲間はいなかった。

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