第36話 天泣の祓





 珍客がゲストハウスに訪れたのは、神田の事件から四日も過ぎたころだった。
 ナスティが連れてきた二人の客に、リビングルームへ集まった四人は、目を丸くして言葉を失う。
「皆様、おひさしゅうございます。」
 四人の前に現れたのは、美しく凛とした少女だった。さやさやと鈴が鳴るような澄んだ声。黒絹のごとき長い髪。まとう着物は初夏の色合いを見せて清々しい。
 けれども幼さの残る貌は、十年前と変わらない。
 かつて、敵であったころと。
 いくばくかの沈黙を経て、気まずさを取り繕うように伸が言った。
「……えーと、久しぶりだね、カユラ。元気だった?」
 カユラが口元にやさしい微笑みを浮かべる。それがきっかけで場の緊張が解けたとでもいうように、他の三人は口を開いた。
「よう、カユラ。元気だったか?」
「久しぶりだな、カユラ。」
 征士の言葉の終わらないうちに、当麻はカユラの背後に立つ青年を見て尋ねる。
「で、そちらの付き人はどちらさん?」 
 当麻のぶしつけな問いに、青年は眉をしかめて応じた。
「久方ぶりに会う相手に対して、失礼な小童どもだ。」
 唸るような声にカユラは振り返り、キッと眦を上げて咎める。
「アヌビス。彼らは以前の彼らではないのですよ。小童は失礼でしょう。」
「……はっ。」
 アヌビスは軽く一礼して非礼を詫びた。しかし、その眼には得心がいかぬといった色が浮かんでいる。
「え……、アヌビスなの?」
 驚く伸の隣で、これまた目をまんまるにして驚いている秀が感心するように言った。
「そういや俺ら、アヌビスの兜の下の顔、見たことなかったもんな。」
「へえ、アヌビスの素顔ってなんか新鮮だな。しかも俺たちより若いんじゃないか?」
 ひやかすような当麻の口調に、アヌビスはとうとう抗議の声をあげる。
「貴様ら! 俺を愚弄する気か!」
「アヌビス。あなたはわたくしの護衛を希望して来たのですよ。文句があるなら今すぐお帰りなさい。」
「……申し訳ありません。」
 カユラの厳しい叱責に、アヌビスは口元をくっとへの字に曲げて、もう一度、礼をした。それから、上げた顔をかつての好敵手に向ける。その表情は一寸前とは打って変わって、期待に満ちたものだった。
「光輪、息災であったか。」
「あ、ああ……。お前は元気そうだな。アヌビス。」
 突然、話題を振られ、ほんのわずか躊躇いを見せた征士は、抑揚のない声音で応じる。
 その熱のない返事に、アヌビスは眉間に皺を寄せて征士を睨んだ。
「おい、光輪! 貴様、なんだ、その気の抜けた返事は! 貴様も俺を愚弄するのか!」
「そんなつもりはなかったが……」
「何だと……!」
 どこまでも感情の籠らない征士の言葉に、アヌビスが怒りを露にしたとき。
 カユラは振り向き、長い髪を揺らした。
「いい加減になさい。アヌビス。」
「……はい。申し訳ありません。」
 肩を落として、悄然と征士を見たまま、アヌビスはカユラの護衛という本来の職務に戻った。
 アヌビスから視線を五人の方に戻したカユラは、小さく首を捻る。
「ところで、烈火殿の姿が見えませんが。」
 リビングの空気が別の緊張を孕んでしん、と冷たくなる。
 当麻は他の四人から目だけで合図を受けて、これまでの経緯を話し始めた。
「遼は今、何者かに囚われている。」
 渡井という神職のこと、自分たちが作るという北辰結界のこと、天狗や鬼といった異形と交えたこと、東京の結界が十年前の事件以来、壊れつつあること、その事件そのものが、仕組まれたものであるらしいということ……。
 唐突に人間界の状況を知らされて、アヌビスは、目を大きく見開いたまま、言葉を失っている。
 カユラは一言も漏らさず相槌を打ちながら、聞き終えて一言、己の身を嘆くように呟いた。
「そうでしたか……。こちらに降りて来た際に感じた得体の知れない気味の悪さの正体は、そういうことだったんですね。」
 白い面に、哀しみの影が滲む。
「実は、この度訪れたのは、迦雄須一族の祖神(おやがみ)から神託があったからでございます。再び錫杖を、人の子に委ねよ、と。今、皆様の話を伺ってようやく納得いたしました。」
 立ち上がったカユラは、その右手を前に伸ばした。何かを掴むかのように手を握る。その手に光が集まり、瞬きする間に黄金の錫杖の形を成した。
 カユラは錫杖に一礼してから、ナスティにそれを向ける。
「え、わたし?」
 軽く肩を竦め、驚くナスティに、カユラは年齢に似つかわしくない大人びた笑みを浮かべた。
「そうです。わたくしが夢で見た託宣で、この錫杖を持っていたのはあなたでした。ですから、お受け取りください。」
 ナスティは一瞬、躊躇って、それから静かに言葉を述べた。
「……ええ、分かったわ。そういうことなら。」
 錫杖がしゃらんと鳴って、カユラからナスティに渡る。受けとったナスティはその重みに表情を引き締めた。
「俺たちには鎧玉、純が勾玉、でナスティが錫杖を所有するということは、北辰結界と繋がりがあるな。」
 腕を組み直して当麻が言うと、同意するように伸が継いだ。
「渡井さんも言っていたね。ナスティと純が必要だって。」
 当麻は隣の征士をちらりと見た。遼がいなくなってから、さらに口数の減ってしまった彼は、何の感慨も示さず場の成り行きを見守っている。同時にこのタイミングでカユラがナスティに錫杖を渡す意味を考える。錫杖を必要とする段階に突入したのだと理解するのが自然だ。
「わたくしたちは、何のお役にも立てないのが申し訳ない限りでございますが。」
 再び椅子に座ったカユラが、伏せ目がちに言うと、ナスティがその肩にぽんと手を置いた。顔を覗き込みながら、なだめるように伝える。
「いいのよ。カユラ。こうして来てもらって、錫杖を渡してもらっただけでも十分よ。あなたたちは、あなたたちの世界のことがあるでしょう?」
 ナスティの言葉に、ありがとうございます、とカユラが口元を綻ばせる。
「ところでカユラ、確かめておきたいんだが、迦雄須一族の住んでいた場所を正確に教えてくれないか。」
 当麻は手元のパソコンを開いて、日本地図を見せた。
 一瞬、ぽかんとあどけない表情を見せたカユラが、不思議そうにパソコンの画面を眺めている。それから、意味が分かったとでもいうように頷いてから、奈良と大阪の県境を指差した。
「ここです。」
 言われた場所を、当麻は拡大する。
「……葛城山か。」
 左手を顎にあて、ふむ、と当麻は考え込んだ。
 葛城山。
 古事記には、まつろわぬ者たちの住処と記述され、陰陽道の権威、賀茂家の祖、役小角が修行した場所でもある。
 ……つまり、朝廷すら手出しできなかった「大和王朝に従うことを拒否したまつろわぬ者たち」の聖地だ。
 迦雄須もまた、そこに住まう一族であるというなら、彼の作った鎧は決して鎮護国家のためのものではないはずだ。
 ……では、鎧は何から何を守るために作られた? 鎧にとっての本当の意味の正義とは何だ。
 黙ってしまった当麻をしばらく眺めていたナスティたちは、それ以上、彼の言葉に続きがないらしいことを知ると、久方ぶりの客を囲んで話題を切り替えた。
「そうそう。その後、煩悩京はどうなったの?」
「そうだよね。僕も知りたかったんだ。だって、もう、行けないじゃない?」
 ナスティと伸に続いて秀も問いを重ねた。
「ラジュラやナアザも元気でやってるのか?」
「ええ、皆、よく尽くしてくれます。おかげで煩悩京は良い都となりました。」
 カユラを囲んでの話題に、一人加わらず、傍目で見ていた征士に、アヌビスが声をかけた。
「光輪、話がある。ちょっと外へ来ぬか。」
「私か?」
 アヌビスは無言で頷くと、そっとカユラの背後からリビングのドアの方へ歩み始めた。征士もまた、彼に続く。


 玄関を出て数歩もしないうちに、アヌビスは歩みを止めた。振り返って、相手をまっすぐに見る。後ろにいた征士は今日の天気でも話すかのようにさらりと言った。
「アヌビス。」
「なんだ?」
「小さくなったな。」
「は?」
 アヌビスは、一瞬、理解しがたいという顔付きで征士を睨んでから、声を発した。
「馬鹿言うな! お前が成長しただけだ! お前たちの住む世界と俺たちの住む世界では時間の流れが違うのだと知っておるだろう。」
 征士の唐突な台詞に、アヌビスは眉をつり上げて怒鳴った。頬は上気して赤らみ息も荒い。
「うむ、分かっていても、小さくなったなと思わざるをえない。」
 どこまでも淡々と冷静な征士の反応に、アヌビスは肩を怒らせる。
「……俺はお前と漫才をしにここに連れ出したわけではないわ! 俺は護衛を名目にこちらに来て、お前と一勝負するつもりだった。だがな……」
 アヌビスは征士をきりと睨み上げる。
「先程の腑抜けた返事といい、この緊張感のない生温い態度といい……今のお前など斬り結ぶ気が失せるわ!」
 吐き捨てるように言って、右腕を震わせた。
「どういうことだ?」
 征士は首を捻り、わからない、と態度で示す。それすら憎いとでもいうように、アヌビスは征士を指差して声をあげた。
「かつてお前を支配していた光はどうした! 小憎いまでの自信と気迫はどうした! 今のお前に光輪などという名は相応しくない。ただの愚鈍な人間だ!」
 整った征士の面が、冷酷すぎるまでに沈着だった貌が、ほんの少し、翳った。
「お前にまで分かってしまうとは、私もまたずいぶん弱くなったものだな。」
 征士は、アヌビスと対峙して初めて笑った。自分を嘲る、乾いた笑い。
 その不穏な様子に、アヌビスはすっと怒りをおさめ、目を細める。
「……何があった、光輪。」
「さっき、話しただろう。遼が……烈火がいなくなった。」
「それだけか?」
「ああ。」
 納得がいかない、とアヌビスは首を振って続けた。
「かつて、お前たちは俺たちと命をかけて戦ったではないか。その中でもお前は光を失わなかった。仲間が一人、居ぬことがそんなに気がかりか? 死んだわけではなかろう?」
「そうだ。遼が死ぬはずがない。分かっている。分かっているのに耐え切れぬくらい、弱くなったのだ、私は。そんな私を笑うか。」
 アヌビスから少し視線をずらして、征士は独り言のように応じる。そんな彼を、アヌビスは断罪した。
「お前は変わった。」
「変わった?」
「まっとうな『人』になった。今のお前に光輪剣は持てぬな。つまらぬ。かつては剣しか知らぬ鬼神かと思い、それなりに楽しんでいたのだぞ。それが、再会してみればただの『人』になっていたなどと。本当につまらぬ。期待した俺が馬鹿だったわ。」
「……そうか、それはすまんな。この事件が解決して何も煩うこともなくなれば、お前と剣を斬り結ぶ機会もあるだろう。悪いが、そのときまで待っていてくれ。」
 今度はきちんと、アヌビスに視線をまっすぐに合わせて、征士は応じた。礼の戦士の名に恥じぬ、澄み切った玲瓏な面で相手を見つめる。
「ふん。……なら待ってやる。」
 アヌビスは、その視線がまぶしいとでもいうように、顔をそらせて征士に背を向けた。


今回も短めです。いや、短過ぎる……! すみません!その他呟きはブログにて。