第34話 鬼門攻防

 一方、御社殿の外では焦燥に駆られた人の声が飛び交っていた。
 将門の御霊を鎮めたその直後、大地が身震いした。続いて、斎庭に満たされていた清浄な大気が一瞬にして散った。神職らがまとう仄白い霊気も、徐々にうすらいでゆく。
 その意味を分からぬ者はこの場にいなかった。
「この神社の守護は落ちたな。」
 クロが御社殿を見遣りながら、興味なさそうに呟いた。
 その隣で、伸が小刻みに震え出す。
「どうした?」
 秀が伸の肩に手を伸ばして尋ねる。が、俯いてしまった伸は、顔をあげることすらできない。
「分からない、分からないけど、なんだかすごく気分が悪い。」 
 言って伸は、大きく身震いした。息がうまくできないのか、浅い呼吸を繰り返して両手で自分の膝を掴んでかがみ込む。
「将門の気にあてられたのでしょうか。毛利さん、気を強くお持ちになってください。」
「違うな。」
 渡井の言葉を軽く否定して、クロは下げられた伸の頭を抱いた。
「伸の不調の理由が分かるのか?」
 軽く身を乗り出して尋ねる征士に、クロは不敵な笑みで応じる。
「この神社は、ご神体を汚され霊力を失った。おかげで、この地に封じられていたモノが活性化しているんだよ。伸はそれに、反応しているんだ。伸だけじゃない、江戸総鎮守のこの地の護りが破られた今、武蔵野のこの大地に封じられた様々なモノが起き出して来るだろう。それがこの街にどんな災禍をもたらすか、想像するのは簡単だな。」
「なんということだ……」
 クロの言葉の意図を理解し、征士は息を呑んだ。十年前に荒れ果てすさんでしまった新宿の街の風景が脳裏を過る。
 同じ体験を、自分たちはもう一度繰り返すのか、と征士が己に問うた時。
「すまん……」
 闇を割って、人の姿が現れた。悄然と肩を落とした当麻が深い溜め息とともに帰ってきた。
「羽柴さん、大丈夫でしたか?」
 渡井の労いの言葉に、当麻は首を横に振る。
「すまない。失敗した。」
 言ってから伸の方を見て、当麻はそちらに駆け寄った。
「おい! どうした! 伸!」
 伸は答えない。代わりにクロが目を細めて答えた。
「この神社が霊力を失ったおかげで、悪い気が集まり始めている。それに伸は反応しているんだ。」
「なんだと……!?」
 当麻が咽を引き絞って声をあげる。その声に反応したかのように、屈んで俯いていた伸はふわりと立ち上がった。
「伸、大丈夫なのか?」
 答えはなかった。伸は当麻を一顧だにせず、斎庭の中央を見ている。その面に、先程までの苦痛の色は見られない。全くの無表情。やわらかな面差しも、やさしい碧の瞳の色も闇に飲み込まれてしまったかのごとく、消え失せている。
 仲間の思惑など全く無視して、伸は、一歩、また一歩、斎庭の中央に向いて歩き出した。
「おい、伸!」
 当麻はその肩に手を伸ばすが、簡単に振り払われてしまう。
 やがて伸は、斎庭にいる神職たちに向いて歩みを止めた。彼から放たれる、異様な気配に気付いた神職たちが一斉に伸を見た。その矢先。
『災厄はまぬがれえぬぞ。』
 地響きにも似た声が闇を裂き、全てを喰らい尽くすような威圧感をもってそこにいる者全てを震撼させた。
 伸の声であって伸の声でないもの。
 今、その体は黄金の揺らめく炎をまとい、闇をかき集めた斎庭にひと際、美しく、禍々しく、妖しく、佇んでいた。その瞳の輪郭は溶け、瞬くことを知らぬ金の眼が、炯々と周囲を見据えている。
 騒がしかった斎庭の空気が、一瞬にしてひやりと静まり返る。
 その静寂の池に、ぽつりと言葉が投げられた。
「……鬼だ。」
 その声で、当麻はこれから起こるであろうことを一気にその頭でシミュレーションした。
 ……このままでは、伸は異形として、彼らに処置される。
「おい! 伸! しっかりしろ!」
 当麻は、伸を背後から抱き締めて、その体を自分の胸に収めた。項に顔を埋め、細い腰を掻き抱く。
 毎夜、抱きしめている薄い身体。体温だけが異常に低い。
 この状態を知っている。青梅の事件のあと、自分に触れるなと警告してきた、アレが、伸の自由を奪っている状態だ。
「伸!」
 半ば泣きそうな声で、当麻はその名を呼び続ける。
「伸、目を覚ましてくれ!」
 涙を見せずに慟哭する当麻の声だけが斎庭に響く。
「おい、伸!」
 やはり伸の反応はなく、望みも尽きかけた、その時。
「帰ってきてくれ!」
 すがるように、なだめるように、当麻は懇願し、哭いた。
 伸の身体を自らに縛り付け、誰にも渡さないと行為で示して。
 触れることを許さぬと言われても、その身に何を宿していようとも、失うことのできない存在なのだと心で叫びながら伸の身体を揺さぶる。
「……帰って来てくれ、伸。」
 語尾は黒闇に消え入った。
 伸を包んでいた金色の揺らめきが薄れてゆく。
 その瞳が閉じられると同時に、伸の身体は力を失い、当麻の胸に全体重を預けた。

 刻はうつろい、丑三つ時にさしかかっていた。
 首塚の前で、千早は北東の方を見てゆうるりと笑んでいた。何が楽しいのか、咽を鳴らして喜んでいる。
 隣で清美が、小さく欠伸をして千早に尋ねた。
「神田明神の方の首尾はどうなの?」
「安心してください。落ちました。」
 そこで一旦言葉を区切ってから、千早は鈍色の空を振り仰ぎ、低く、威嚇するような声で見えない何者かに語りかけた。
「表鬼門である江戸総鎮守は破られ、この都市の霊的防御能力は格段に落ちた。お膳立ては完璧だ。祓い清めることしか知らぬ無能の術者たちは、この世界で祓いの呪術が効かなくなる様を指をくわえて黙って見ているがいい。」

長い文章にお付き合いありがとうございます!  鬼門攻防はこの回で終わりです。続きはブログにて。