第33話 鬼門攻防


 中野の幸頭井宅に、大規模災害予知対策研究室のトップ3が顔を並べたのは、午後も三時を過ぎた頃だった。
 応接室に三人が揃ったところに、幸頭井の長女が茶を運んで来て、簡単な挨拶を済ませて部屋を出て行った。
 その姿を見送った斎部が、大黒様のように穏やかな顔に口元だけで笑顔を作る。
「娘さんも大きくなりましたな。」
「今年でもう三十路を越えると言うのに、まだ家におる。浮いた話のひとつもない上に、見合いはせぬと言いおってな。」
 斎部の言葉に、いつもは泰然とした幸頭井が苦虫を噛み潰したような表情で応じる。
「最近の若者は結婚したがらないそうじゃないですか。まあ、こんな不景気が続くと、若者も所帯を持つことが不安でしょうねえ。」
「少子化を悩むよりも、我々には優先すべきことがあってここに来たのでは。」
 日知がピシリと牽制する。斎部は仕事柄、この手合いの世間話を始めるとキリがないということを、長年の付き合いで身を以て知っている。
「そうでしたね。昨晩の神田明神のこともありますし。」
 上座の幸頭井が、皺の目立つ険しい顔で唸るように続けた。
「裏鬼門の日枝神社は、十年前の事件以来、まだ霊力が回復しておらぬ。もし、これで神田が落とされれば、この都市を護る主要な結界の一つが失われることになる。北辰結界が完成していない今、それだけは避けなければならん。」
「おっしゃるとおりです。しかも、神田明神の氏子の中には我々のスポンサーも数多くおります。今朝も氏子総代の新帝都銀行会長から連絡がありました。神田は、護らなければなりません。」
 幸頭井に相槌を打った斎部が、鞄の中から占術用の式盤(ちょくばん)を取り出した。四角の土台は大地を、その上に乗る半球は天を表す。
 しん、と束の間の静寂。
 その間に斎部は半眼で式盤を読んだ。 
「次の襲撃は……二十三日ですね。」
「こちらの術者を手配しますか。」
 日知の提案に、幸頭井が首を横に振った。深く溜め息をつく。
「できればそうしたいが、相手は神田明神なのでな。向こうの矜持もある。神社本庁を通して根回しする必要があるだろう。」
 しばし、沈黙があった。斎部も日知も、陰陽寮に配属されて三十年近く経つが未だ、神社本庁の人間とは相容れない。向こうの人間は、こちらの界を「異端」であると認識していると十分に承知している。
「それと。二十三日には例の五人も神田明神に来るように渡井を通して伝えてくれぬか。話によると北方水気が鬼を見ていると聞いたが、それと同じ鬼か確かめておきたいのでな。」
「わかりました。では、本題に入りますか。」
 日知が幸頭井の命を了解してから、自分の鞄を開けて分厚い紙の資料を出し、二人に渡した。先日、再生された金烏玉兎集の解読書だ。現代語訳とまとめを、日知が担当していた。
 幸頭井と斎部が、ペラペラと資料をめくる。二人の表情に、少なからぬ驚きの色が広がる。
「なるほど。伝わっているほき内伝とは、多少、内容が異なりますな。」
「はい。一巻、二巻が暦、三巻が方位、四巻が術式となっているようです。」
 斎部の感想とも問いともつかぬ言葉に応じてから、日知は、もう一束、こちらは薄めの資料を渡す。
「そしてこれが、四巻に載っていた口伝の北辰結界……正式名称は『尊星王祭』となりますが、その概要をまとめたものです。」
 引き続き、幸頭井と斎部がそちらに目を通す。
 資料の冒頭はこのように始まる。
 ……北斗は天帝の乗物である。天帝は北斗に乗って天上を巡り四方を制し、陰陽を分け、四季を立て、五行を均しくし、季節を移し、諸紀を定める。
「『史記』の『天官書』ですね。つまり北辰北斗を祀ることで歪んだ事象を正す訳ですか。北極星を北辰鎮宅天尊と祀り、北斗を尊帝真君と祀る。まさに星祭りの極みですね。」
「……しかし、これではその代償が大きすぎではありませんか。」
 笑みを絶やさぬ斎部に、日知は細面の血色の悪い顔を向けて、露骨に嫌悪を丸出しにした。そんな二人に興味などないように、幸頭井はふむ、と仕様書に集中している。
「大体は想像はついておった。これはまさに血の結界、純粋な力の結界だ。効力は絶大であろう。晴明が口伝ですら伝えなかったのは、この呪法が無能な術者や為政者に使用されるのを恐れたと思われる。」
「問題は、鎮宅霊符神をどこから勧請するか、北斗の象徴となる七支刀を石上神宮が渡してくれるかどうかということですね。」
 幸頭井に同調して斎部が続ける。それに否を唱えるように、日知が言った。
「……それよりも、私は、これでは北辰を果たす者が……」
「それについては、我々の関知するところではないと前々から言っておいたはずだ。」
 ゆるりとした動作で、幸頭井が日知を見る。いや、睨む、といった方が近かった。重い声で制されて、頭を垂れる。
「……申し訳ありません。」
 口を閉ざした日知の代わりに、斎部が言葉を継ぐ。
「そうですね。鎮宅霊符神については、この辺りでは秩父神社のアメノミナカヌシが霊力が高いかと思います。ここに記載されてある通り重用(九月九日)に執り行うのでしたら、まだ時間はあるかと……」
 鎮宅霊符神。宅地相の守護神として凶相を吉相に転じ、生命力を強化するといわれる陰陽道系の神である。天上にあっては北辰尊神と称し、地においては鎮宅霊符神と尊称される。推古天皇の時代に伝わったとされるが、その神法を復元したのは安倍晴明自身だ。時代が下るにつれ、神道においてはアメノミナカヌシ、仏教においては妙見菩薩と見なされた。鎮宅霊符社も多く建てられたが、明治に至り、神仏判然令(神仏分離令)により、社の多くは取り壊された。ゆえに、鎮宅霊符神を祀るには、その霊力を宿した神をいずれかの地から勧請してこなければならない。
「七支刀はいかがされますか。」
 気をとりなおした日知が尋ねると、幸頭井がうむ、と腕を組んだ。
「石上はなまなかな圧力では動いてくれぬ。白川氏に相談してみよう。東の都のことなど西の都の人間はどうでもよいであろうが、神田への襲撃は玉体及び皇室の危険ともなりうる。それは向こうも看過できぬであろう。」
 石上神宮は、布都御魂大神を主祭神とする日本最古の『神宮』の称号を名乗る神社である。記紀にも記述があり、現在の『神宮』、すなわち伊勢神宮よりはるかに長い歴史を持つ。
 かつてヤマト政権が各地の豪族を支配管理下に置く際に、それぞれの神宝を徴収した。それらを収めたのが石上神宮であり、管理したのが物部氏だ。
 それだけの歴史を持つ神社から、国宝に指定されている神宝を持ち出すというのは至難の業だ。正規ルートでは不可能である。
 幸頭井の沈思の表情を確認してから、斎部が質した。
「そして、やはり北辰は。」
「北方水気の毛利伸を使う。」
 答える幸頭井の口調に迷いはない。先程までうっすらと開かれていた目が、宙空を見据えている。
「では、北方水気の座を埋める者は?」
 日知が問いを重ねる。その口調は何かを案じるようにひどく重たげだ。
「最近、彼の周囲に玄狐が姿を見せたと渡井から聞いております。霊獣なら代役として申し分ないでしょう。」
 幸頭井に代わり、斎部が応じる。わずか、目を見開いて日知が幸頭井に視線を向けると、それに同意するかのように体を揺らした。
「しかし、皮肉なものですね。渡井も本人がそうとは知らず、その『渡相(わたらい)』の名をもって北斗をまとめているのですから。」
 斎部は、やはり大黒様のようなにこやかな笑みを浮かべたまま言ってから、再び資料に視線を落とした。


 陽が傾きかけてきたのは夕方六時も過ぎたころだった。夏至を目前に、梅雨空の東京はうすぼんやりと明るい。
 田無神社の社務所で、渡井は月末に行われる大祓(おおはらえ)の準備に勤しんでいた。神社で行われる行事のうち、大掛かりな祭祀のうちのひとつだ。当日は境内に大きな茅の輪を設置し、大勢の参列者とともに神歌を唱えながら、そこを潜る。氏子崇敬者を多く抱えるので、民社といっても案内状の発送や当日までのスケジュール調整などすべきことは多く、時間はいくらあっても足りない。 
 渡井がようやく、総代以下役員に送付する案内状のチェックを終えたときだった。
「渡井さん、神社庁からFAXが届いてます。」
 出仕(神職見習い)の一人が一枚の紙切れを持って来て渡井に渡す。
 ありがとうございます、と返して受けとった渡井は、その文面を見て、言葉を失った。
 定型通りの時節の挨拶から始まったその紙切れの真中の一文を、渡井は何度も読み返す。
 ……六月三十日の大祓は、午後一時より斎行する旨を各社に伝えるとともに、祭事に向けて万事滞りなく準備されたし。
 大祓は別名、夏越の祓、名越の祓とも呼ばれ、日本各地にある多くの神社で行われている。東京にある神社もそれぞれの社の規模に合わせて行われる代表的な行事だ。
 が、都内ほぼ全ての神社を統括する東京神社庁から、直接時間を指定されるのは、長い神職生活のうちでも初めてだった。いや、過去にそんなことがあったとも聞いたことがない。このような祭事は、各神社の規模や職員の数に左右されるので、基本的にはそれぞれの裁量に任されるはずなのだが。
 思いに耽っていた渡井の耳に、機械音が聞こえた。マナーモードに設定してある自分の携帯だ。相手を確認する。日知からだ。
 社務所で話せる内容ではないことを即座に悟り、渡井はちょっと出てきますと言いおいて、社務所の外に出た。
 外気の湿度に肌がじっとりと汗ばむ。夏に近い太陽は、翳り始めたとはいえ、いまだ、斎庭を蒸し炙っている。黄金の葉は暑さを知らぬように、はらはらと舞っていた。  
「渡井です。」
 通話に出た渡井の声に、上司の声が応じる。いつもと変わらぬ、感情の見えない冷たい声。
『仕事中、すまないな。』
「いえ、そろそろ仕事も終わる時間ですので。」
『手短かに伝える。神田の話は聞いているか。』
「はい。鬼が出たとか。」
『次の襲撃は二十三日というのが式占の結果だ。まだ神田神社と連携をとるかどうか決定はしていないが、君には例の五人を連れて来て欲しい。』
「といいますと。」
『北方水気と鬼が接触した話をしたのはそちらではなかったか。同じ鬼かどうか、確認しておきたいというのが室長の意向だ。』
 通話中の日知の背後に、女性のアナウンスの声と電車の轟音が聞こえる。どこかのプラットフォームからかけているらしい。
「わかりました。五人には伝えておきます。」
『ああ、それと。』
 思い出したように、日知は付け加えた。
『金烏玉兎集の解読が終わった。北辰結界の概要も分かったので、近いうちに君にも伝えることになるだろう。日時は追って伝える。』
 そこで、通話は切れた。
 携帯をしまい、渡井は灰色と墨色の斑の空を見上げた。雨は降らないだろうがしばらくは太陽を拝むこともないだろう。
 金烏玉兎集再生の折に見た、毛利伸の死相を思い出す。
 ……もし、再生された北辰結界が彼の犠牲に成り立つものだとしたら。
 そんな思惑をよそに、毛利伸が北辰を担い、護国鎮護の贄となるという決定をすでにくだされていることを渡井が知るのには、そう時間はかからなかった。

ちょっと専門用語の多い回になってしまいました……。なるべく、避けたいんですけど、話を進める上でどうしようもなく(汗 当麻は浮気者じゃないですよ!(笑) 続きはブログにて。