すでに日付は変わっていた。
田無神社の斎庭に設けられた五行祭壇の前では、金烏玉兎再生の儀が始まっている。
幸頭井を先頭に、両脇に日知と斎部が控える。
遼たちは左右に別れて、彼らの後ろに続いていた。渡井を含めた他の術者たちは、さらにその後ろに座す。
五行祭壇には、榊、灯火、小刀、土、水、が供えられている。木火土金水の物実にあたるものだ。そのほかにも、神酒、洗米、塩、季節の果実や旬の野菜などを置くのは神道の作法と同じだ。
それぞれの供物の奥に、高案が設置され榊と青、赤、黄、白、黒の絹の布が立てられる。これが五行神の降臨するための依代となる。
……そして高案の前には、小さな木箱。この中に、金烏玉兎集の灰が入っている。
すでに修祓、招神の儀を終え、今は滔々と祭文を読み上げる幸頭井の声だけが響いている。それほど大きな声ではないが、静寂が深いぶん、その声は大地の底から轟くようにも聞こえた。時折、風もないのに五色の絹の布がふわりと踊る。場を照らし出す炎が煽るにしてはさすがに遠い。神の降臨を、その時だれもが認めた。
「……木火土金水(きひづかみ)の神霊、・厳(いづ)の御霊を幸え給え。」
幸頭井が祭文を結ぶ。
瞬間、厳粛な場の空気が肌を炙るような緊張感に包まれる。
少し離れたところで燃え上がっている炎が、ごうと揺らめきを大きくした。黄金の火の粉の飛沫の一部が、座しているものの頭上に舞い落ちる。
遼をはじめ、五人は、固唾をのんで次の言葉を待った。
「金烏玉兎集再生の儀。」
斎部がおごそかに告げる。
この後の主役は、遼たち五人だ。事前に教えられていた通りの作法で自らの力を金烏玉兎集に注ぐ。
最初に立ち上がったのは当麻だ。
浄衣に身を包んだ当麻は、祭壇の前まで静かに歩みよると、供えられてある榊を手にとり、灯火の上にかざした。一言ずつ、確かめるように五行拝詞を唱える。
「木生火大吉、円満成就。」
神意であるかのように、灯火がふわり、と揺れた。
一礼し、静かに元の場に座す。
次に遼が立ち上がった。瞳に強い意志を浮かべて祭壇に歩み寄る。
手にした灯火を土にかざし、呪言を声にのせた。
「火生土大吉、円満成就。」
元の場に戻った遼と入れ替わり立ち上がった秀が、わずか、ぎこちない仕種で祭壇の前に立つ。
土の盛られた器を手にし、ひとつまみの土を小刀の上に振りかけた。
「土生金大吉、円満成就。」
続いて征士が祭壇の前に立つ。普段と変わらない落ち着いた所作で小刀を持ち、その先をほんのわずか、水に浸す。
「金生水大吉、円満成就。」
最後は伸だ。
祭壇の前で水の入った器を手に取り、その中の水をほんの少し、榊に垂らす。続いて拝詞を唱える。
「水生木大吉、円満成就。」
伸が座したのを見計らって、幸頭井が五行拝詞を締めた。
「ここに五行和合せしめんとす。円満成就。」
それから数呼吸の間があった。
キンと音がするような緊迫感に包まれる。
五色の絹の垂れたその下にある木箱は、起こるはずの変化を示さない。
ずいぶんと長い間、身体が縛られるような沈黙が訪れて過ぎ去った。
その中で一人、幸頭井が、悠然とした動きで斎部の方を向く。何か耳打ちして、再び祭壇の方を向いた。
室長の意向を受けた斎部が、場にいるものに伝える。
「祭祀は一時、中断いたします。」
ざわっと、ひそやかだがはっきりとした猜疑の声がいくつも重なった。
遼たち五人も、互いに顔を見合わせて、何事かと目を見張る。
その時だった。
場に参列していない、外部との連絡係の術者が携帯を片手に日知の元に駆け寄って、一言、二言、告げた。
「何だと? それは本当か?」
日知が眉間を険しくして重ねて問う。まだ若い術者は狼狽えた表情で答えた。
「情報筋は神社本庁です。根津と芝が破られたのは間違いないかと。」
「しかし、それは……。」
日知は言葉を濁し、口を閉ざした。さらに面持ちを険しくする。二人の遣り取りを伺っていた斎部が、懸念を露に口を挟んだ。
「このタイミングで根津と芝とは。どうやら我々の動きが外部に漏れていたようですな。」
祭祀は一時、中断となった。
主立った術者はその場に残り、幸頭井、日知、そして斎部は渡井を連れて社務所へと戻った。
五人は参集殿で一時待機、と指示を受けたので、浄衣姿のまま、ナスティと純を連れて屋内へと入った。
誰が用意したものだろうか。
七人が戻った部屋の机の上には、まだ煎れたての茶と幕の内弁当が用意されてある。
「結局、さっきのって……上手くいかなかったってこと?」
居心地の悪い沈黙を破ったのは純だった。祭祀の場に参列するものとして彼もまた、浄衣をまとっている。
「純……」
咎めるようなナスティの口調が次の言葉を紡ごうとしたのを、当麻が止めた。
「そうだな。再生ができなかったんだから失敗だろう。俺たちじゃ、力不足ってこったな。」
部屋の隅の柱に体を預けて、自嘲するかのごとく言い放った。連日の睡眠不足がたたってか、その顔は青白い。
「……すまない。」
遼がぽつり、と言葉を漏らした。顔を伏せ、身体の脇で両手を固く握りしめている。
「輝煌帝のことで迷ったつもりはなかったんだ。でも……。」
無意識に、五人の力が集まることを迷い恐れていたのかもしれない、と遼は言う。
障子の脇に立っていた征士がちらと遼を気遣わしげに見た。すぐに視線を当麻に戻す。
「それを言うなら私もだな。先日の一件以来、自分の力を発揮することに躊躇いがあるのは認める。」
「どうしちゃったの? 征士兄ちゃんまで!」
純が声を張り上げた。彼はまだ、吉祥寺駅で征士と遼が見知らぬものと戦ったことを知らない。
「それを言うなら俺もだ。里菜に相談したけどよ。やっぱりふっきれてないんだ。俺が『鬼』だって言われたことが。」
床に座り込んで足を投げ出している秀が、彼にしては珍しく、のろのろと重い口調で言った。慣れない場に参列したためか、その表情に疲れが滲んでいる。いつもの朗らかな彼からは想像もつかないことだった。
「僕も多分……力を発揮する精神的な何かが足りなかったのかもしれない。」
伸が静かなトーンで言った。その「何か」の意味に、純とナスティ以外の三人はすぐに気付き、当麻を見た。
顔色の悪い当事者が、視線を受けて顔をしかめた。すっと目を細め、三人の意向を知る。
「俺は寝不足でな。精神的にも体力的にもパフォーマンスが落ちていたのかもしれん。」
「ちょっと待ってよ、お兄ちゃんたち!」
純が一歩、足を踏み出し、五人を見渡した。
「こんなのおかしいよ。だって、これは重要な祭祀なんだろ? お兄ちゃんたちの力が集まることが必要なんだろ? それがないと、また十年前みたいに、この街が危険にさらされるんだろ?」
軽く肩をあえがせて純は続けた。
「なのに、どうしてそんなに簡単に諦めちゃえるんだよ? 迷いがあるとかふっきれないとか、寝不足とか。それで力が合わせられないのって変だよ。……十年前、お兄ちゃんたちは赤の他人だっただろ。でも、集まって、僕たちを助けてくれたじゃないか。あの時のお兄ちゃんたちは今よりも子どもだったのに、力を合わせて阿羅醐を倒したんじゃないか。」
純の言葉に五人は、はっと我に返った。記憶を辿ると、懐かしい映像が蘇る。新宿ALTA前。初めて五人が顔を合わせたところ。あの頃は何も知らず、ただ守りたいと思っていた。目の前の仲間を、街の人々を。相手をいつ、どのように信頼したかなど戦いの中、覚えているはずもない。ただ気付かぬうちに、心を許していた。
それからどれだけの時間と言葉を費やしたのだろう。
積み上げたものが大きすぎて、それを壊したくなくて、力を出せないという意味を純はまだ理解できずにいたとしても。
五人の力をこの場で合わせなければならない、という彼の主張は正しい。
遼と征士が互いに一瞥してから純を見た。こころなしか、その面差しが緩んでいる。
「こりゃ、純に一本とられたな。」
「我々よりも純の方が、性根が座っているということだ。」
秀もまた純を見て、ニヤリと笑う。
「十年前も、大事なところを助けたのは純だったな。」
そんなことないよ、と返して、純は一瞬、戸惑ったように目を見開き破顔した。感情に任せて自分の言ったことが間違いではなかったと確信したのだ。
「純の言う通りだね。僕ら、いつの間にか、大切なことを見失ってたよ。」
淡く純に微笑みかけた伸は、その視線を当麻に流す。
「当麻、今は、休戦だ。」
「言われなくても分かってるさ。それよりもな。」
当麻は一旦、胸の内で思いを転がすような間を置いて、言った。
「俺は方法にも問題があると思うんだがな。」
「方法?」
差し出された疑問に、その場にいた全員が問い返した。
「これまでの経験からすると、五人の力を合わせるときというのは、遼の輝煌帝を発動させるときだっただろう? つまり力を集中させる対象が遼じゃないと俺たちの力は存分に発揮されないんじゃないかと思うんだ。祭祀の方法なんかは、そりゃ重要だろう。だが俺らは所詮、そっちのことに関しては素人だ。だから素人は素人なりの方法じゃないと出来ないことだってあるだろう。」
「つまり、あなた達流のやり方ってことね?」
ナスティの言葉に、当麻が意を得たとばかり頷く。
「輝煌帝のときと同じように、俺たちが一度、遼に力を預ける。四人の力を得た遼が再生すべき金烏玉兎に力を与える。この方法の方がはっきりいって、成功する可能性が高い。」
「なるほど。」
思うところでもあったのか、征士が左手を顎に当てて唸った。
廊下に足音を聞いたのは、ちょうどその時だ。
「お待たせしました、すみません。」
浄衣姿の渡井が現れた。言葉通りにこやかに笑顔を浮かべているが、微妙にぎこちない。携帯を片手に、部屋に入りかけ、しかし、その場の空気を読んだかのように足を止めた。
「渡井さん、先程は……。」
言い止して、ナスティはその先の言葉を見失った。呪法に失敗したかどうか、その正確な結論はまだ聞いていない。
「ああ、お気になさらないでください。」
「祭儀を中断した理由が、金烏玉兎再生に失敗したからなのかどうか聞きたい。」
渡井の気遣いを無視して、当麻が単刀直入に尋ねる。
すっと笑みを消して、渡井が応じた。
「そうですね。半分は、呪法が成功しなかったことが原因ですが、さらに悪い事態が起こってしまいましたので。」
「根津と芝、というのが原因なのか?」
征士の低い声に問われ、渡井はその面差しに硬い色を浮かべる。
「聞こえていたんですか。」
「あの距離では嫌でも聞こえる。」
何かを思案するような、そんな間があった。
表情と同じく硬い声音で渡井が答える。
「根津と芝、というのは根津神社と芝大神宮のことです。二つとも、准勅祭神社です。」
「准勅祭神社って、東京十社のことですか?」
ナスティの問いに、ええ、と頷く。
「なんだ、それは。」
眉を潜めた征士にナスティが応じた。
「明治天皇が即位した際、国家安泰を祈願して東京近郊の神社十二社を勅祭社と准勅祭社に定めたのよ。そのあと、すぐに廃止されるんだけど。」
知っていることはそこまで、という風にナスティは肩をすくめ、渡井を見た。
「よくご存知で。仰る通り、廃止はされましたが、その役割は残ったままなんですよ。」
「役割?」
「明治天皇が定めた十二社のうち、遠方である府中の大國魂神社及び埼玉の鷺宮神社を除く、根津神社、神田神社、亀戸天神社、白山神社、王子神社、芝大神宮、日枝神社、品川神社、富岡八幡宮、氷川神社、これら十社を東京十社と言いまして、今でも参拝者の多い神社です。地図がないのでお見せできないのが残念ですが、この十社を結ぶと、皇居をぐるりと一周します。つまり、結界です。それも、我々のような術者が作り出したものではなく、人々の祈りが作り上げた、強固で純粋な結界です。明治天皇は徳川の結界をさらに凌駕する結界を自らの手で作り上げていました。制度が廃止されても、それぞれの神社は、参拝者の祈念によって確実に結界の要たる役割を果してきたのです。それが、今夜、破られました。まだ、その詳細は伝えられていませんが、こちらの計画を知っているものが行ったことと思われます。」
「情報が外に漏れていたというわけか。」
腕を組んで征士が独り言ちる。
「だったら、なんで直接ここを襲撃しないんだよ。」
納得がいかないという秀の疑問に当麻が応じた。
「相手の目的は警告だろう。こっちのやることに不満を持つものが少なからずいるということだ。」
「私もそのように思います。」
静かに同意した渡井に続いて、遼が口を開いた。
「このままだとまた、十年前の出来事のようなことが起こる、とおっしゃいましたよね。」
「はい、そのための祭祀であり、結界の新生です。」
「さっきは……その、言い訳じゃないですが、俺たち、ちょっといろいろあって、以前、渡井さんに期待されたような力が発揮できる精神状態じゃなかったんです。でも、今は大丈夫です。もう一度、試させていただけませんか。」
遼のその言葉に思い当たる節でもあったのか、渡井はすっと目を細めて探るように彼を見返した。
当麻がその言葉を引き継いだ。
「あと、祭祀の方法……正確には俺たち五人の力を集結させる方法に問題がある。」
「祭祀の方法に、ですか?」
瞠目して、渡井は当麻を見た。答えを求めるような彼の視線を受けて、当麻は、先程の仮説……過去の自分たちの力の集結の方法を説明する。
「つまり、幸頭井の役割を真田さんが引き受けるということですね。」
自分なりにどう解釈したのか分からないが、渡井はそう言って場の面子を見渡した。
「そう考えてもらって構わない。」
七人を代表して当麻が応じると、渡井は得心がいったように頷いた。
「分かりました。早々に祭祀の段取りの変更を相談して参ります。何ぶん、残された時間もあとわずかですので、すぐに祭祀は再開されると思いますが、それまでの間、お休みください。」
そう丁寧にいい残して、渡井は部屋を去った。
張り詰めていたものが、ふっと解きほぐされる。純が、昔の幼い面差しを刹那、浮かべて。
「僕、お兄ちゃんたちのこと、信じてるから。」
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