「前置きが長くなってしまったわね。羽柴君の言う、異形の者たちが『民俗学的フィクション』なのかどうか、話を戻しましょう。」
癖なのか、女史は短い前髪をさっと撫でるようにかきあげた。朗らかな笑顔を当麻とナスティに向ける。
「かつて、妖怪のことを柳田国夫氏は『神々の零落した存在』と定義してそれが定説になったわ。一方で折口信夫は『カミ』『オニ』同義説を唱えている。……つまりね。かつて『カミ』だったものが朝廷の権力闘争で負けて『マツロワヌモノ』として扱われ、やがてその形は『オニ』と定着していった。常に彼らは朝廷に『マツロワヌ』、徒なす存在、反権力者だった。だから密教僧や陰陽師が彼らを呪詛し封じるために活躍したのね。それが朝廷の権力が落ちぶれる戦国の世を経て、『カミ』であった時代は忘れられ、滑稽でユーモラスな姿…たとえば河童や天狗といった姿で現れるようになった。もちろん、それだけですべて説明できるものではないのだけれど。
ここで『マツロワヌモノ』と私は言ったのだけど、この『モノ』というのはとても繊細な言葉なの。形をなさず感覚的な存在や力を『モノ』とこの国では呼んできた。事実、平安以前は文献を紐解けば「鬼」の字が『モノ』『カミ』『シコ』『オニ』と文脈に応じて読み分けられている。そして、この『モノ』が病んだ状態を『モノノケ』と名付けたのね。病むというのは自然の摂理から外れる……例えば、あまりにも妄執にとらわれたもの、永らえたもの、そういうものを『モノノケ』と言ったの。」
女史はそこまで一気に話すと、一息ついた。ちらと当麻に視線をやる。
それに気づかずに珈琲カップに手を伸ばしかけた当麻は、何かに弾かれたように女史を見た。
「じゃあ、物部氏の奉じていた皇室の奉ずる神より古い神というのが、かつて『カミ』でありその後、『オニ』とよばれるものだと……?」
「理解が早いのね、その通りよ。物部、つまり『モノノベ』とは『モノ』を奉じてきた部族、そのままの名前よ。そして彼らと同じように、ヤマト朝廷の権力闘争……神話上では『神々の権力闘争』で破れた『カミ』たちが『邪しき神、姦しき鬼』とこの国の聖典である記紀で伝えられてきたの。そうすることで、封じられた。」
戦いに勝ったものが神になり、負けたものが鬼となる。
そこまで考えて、当麻は表情を強ばらせた。全身が総毛立つ。
それは、かつて自分たちが体験したことではなかったか。
……千年前、阿羅醐を倒し彼を鬼と言ったのは、誰だったか。
その隣で、ナスティが遠慮がちに尋ねた。
「あの、鬼というのはそれだけではありませんよね。確か、乃千先生が最初に発表された『鬼と能面』では鬼女の研究をされていたと思うのですが……。」
「あら、ありがとう。あんな初期の、稚拙なものを読んでいてくださって。」
ふふっと笑って、女史は小さく首を傾げる。それから何かを懐かしむように、遠い目をした。
「あれはね、稚拙だけど、私のルーツよ。人が十人十色とすれば、鬼もまた、これまで述べて来たような『マツロワヌモノ』だけで括れるものではないの。その一つが鬼女ね。人間であり過ぎたがゆえに、鬼にならざるを得なかった。彼女たちの説話はその話に共感して伝える者の思いも一緒に伝えてきたのよ。」
人であったからこそ、鬼になったという。
その意味を捉え損ねて、ナスティと当麻は互いに視線を交わした。
「『道成寺』の説話をご存知かしら。」
「はい。」
道成寺。
一般的には『安珍・清姫伝説』として伝わっている。
醍醐天皇の時代、奥州から熊野参詣にやってきていた僧、安珍は、その道中に紀伊国で宿を借りる。その宿の娘、清姫は安珍に一目惚れし、想いを告げるが、安珍は参拝の身ゆえに、その願いには応えられない、と答え、帰路に必ず寄ることを約束する。しかし、安珍は約束を守ることなく、参拝後は立ち寄らずに帰ってしまう。
騙されたことを知った清姫は、道成寺まで追いつくと大蛇に身を変え安珍に迫る。寺の者が安珍を梵鐘の中にかくまうと、清姫は鐘に巻き付き、梵鐘ごと安珍を焼き殺してしまう……。
「この話を、どう思う?」
女史はナスティをまっすぐに見て言った。一瞬、全てを見透かすような深い深い色が瞳に宿る。視線に気圧されて、ナスティはわずか、口ごもった。
「その、何と言えばいいのか。女性は身を滅ぼしやすいという説話の典型かと……。残念ながら、私は清姫のような激しい人の愛し方をしたことがないものですから。」
「そうね、あなたにはわかないでしょう。」
断言した女史の表情からは、すっぽりと人間味が抜け落ちていた。得体の知れない妖艶とも見える笑みをすっと浮かべて言葉を継いだ。
「家にあっては父兄に従い、嫁しては夫に従い、夫の死後は子に従う、そんな社会の中で生きてきた一人の女が、はじめて自ら男を愛したのよ。けれど、その思いは受け入れられることはなかった。それでも女は男を愛し、愛し抜いた。男に騙されてもね。その結果、自らを蛇体に変えるまで女の思いは純粋だったの。愛す、ということは人間であれば誰もが抱く感情ね。女は……清姫は、愛するという一点において、あまりにも人間であったからこそ、蛇体に変じたの。人間として清すぎたから、人でいられなくなったのよ。それは、怖いことかしら。人であるかぎり、誰もがその裡に、鬼や蛇に変化する可能性を秘めているということではないかしら。」
女史はまるで自らのことを語るようによどみなく話し、それから問うように当麻を見た。その目に射すくまれて、体を強ばらせる。頭の奥で、がんがんと叩き付けるような危険信号が鳴っていた。その先を、知ってはならない、と。
「つまりね、人を愛したり、力を欲したり、そういう人間の根源的な欲求に純粋すぎた者たちの、自らの思いに清すぎてこの世に生きえない激しさを……鬼というのよ。そうやって、社会から閉め出され、畏怖されたの。……そういう彼らは、人間であることの代表であるはずなのに、蔑まれ、滅ぼされてきたわ。一方の側の『正義』や『平和』の名の元に。」
がつんと頭を殴られた気がして、当麻は息を止めた。
力を欲するのは人としての根源的な欲求。その体現者としての阿羅醐。そして、彼を滅ぼしたのは。
かつての記憶の残滓が当麻の脳裏を掠める。
呪文のように、女史の言葉が続く。
「正史とは、つまり、人の思いとしては純粋でない、常に他者をコントロールしようと考えるものたち……政治家や権力者、そういったものたちが作り上げて来た歴史なの。ヤマトを誰がまとめようが、いずれまとまったであろうし、平将門が新皇として東国で新しい国家を始めていても歴史はちゃんと作り上げられていたでしょう。つまるところ、正史とは、私たちが知っている現在の風景とは、勝った者、政治的に長けた者が積み上げてきた地層のようなもの。そこでは、人でありすぎる『鬼』の存在は許されなかったのね。『マツロワヌモノ』と同じように、差別され、異形へと姿を変え、封殺されてきたの。」
しばらく間があった。それぞれが、互いの気持ちを推し量るかのような。
女史が当麻をちらと見てから、言った。
「それでも、あなたたちは、正史と呼ばれるものの上に、何もしらないフリをして立ち続けるのかしら。」
応えはない。二人には、応えられない。
……何故なら、十年前、鬼と呼ばれるものを封じて世界を守り、正しいと信じた歴史へ導いたのは自分たちだから。
今度は、しっかりと当麻を見据えて、女史はとろりとした声音で言った。
「それとも、貴方はもう、勝ったものの歴史の礎に属しているのかしら。」
流れるはずのない冷たい汗を、当麻は背中に感じ、目を伏せて口許を歪めた。
征遼回ですが、冒頭はやはり当伸サイトとして当伸っぽくしてみました。乃千さんを「また新キャラ?」と思われた方、実は彼女は青梅哀歌で出ています。探してみて下さい。その他呟きはブログで。

