黄金の斎庭(ゆにわ) 〜弐〜

 第8話 黄金の斎庭 〜弐〜


 春特有の柔らかい風が吹き、木々の梢がさらさらと鳴る。
 渡井の声は、そののどかな音にとけ込むように響いた。
「田無神社の創立は、はっきりとはしていません。本宮は、すでに、鎌倉期にはあったようです。その頃は、この場所ではなく、谷戸と呼ばれる地域にありました。祀られているのは、水と風を治める豊穣の神、すなわち龍神、尉殿大権現です。時代は下り、江戸期になると、青梅街道が往来の主流となり、幕府の政策にしたがって、谷戸の人々もこの田無に移り住み、宿場町や村落を形成するようになりました。このような歴史の中で、1646年、尉殿大権現を、現在のこの場所に遷座したのです。それがこの、田無神社です。」
 言い終えた渡井は、ゆっくりと歩き始める。
 参道を少し右に逸れ、一段、低くなっているところに、大人の上半身くらいの大きさの石造りの龍と、古ぼけた木造の賽銭箱があった。
 渡井は、自らは一歩後ろにとどまり、残る7人を石造りの龍の前に案内した。
「南を守る赤龍さまです。」
 渡井が一礼し、つられるように7人も礼をする。
 すると、石造りの龍が持つ竜玉が、うっすらと光を放ち、やがて、誰の目にもはっきりとわかるくらい、緋色に輝き始めた。
 言葉をなくした7人の中で、唯一、遼だけが、何かに気づき、上着のポケットの中に手を入れる。
 取り出した鎧玉は、まるで、竜玉に反応したかのように、赤く輝いていた。
「一体……。」
 手の上の鎧玉と、炎のように輝く竜玉を交互に見比べ、遼は呆然とする。
 答えを探しかねて、遼は渡井の方に振り向いた。
「これは、どういうことなんですか?」
「わたしにも、はっきりとお答えできないのですが。南は五行における『火』の方角。真田さんのお持ちの珠も、真田さんご自身も、『火』に関わりが深いのではないでしょうか? ですから、南の赤龍さまが反応を示されたのでしょう。」
 鎧玉のことも、5人それぞれの特性のことも、この神主は知らないはずである。
 戸惑いを隠せない来訪者の中で、当麻だけが挑むように渡井をまっすぐ見て、尋ねた。
「これまでに、このような事はあったのですか?」
「いえ、わたしがこの神社で務めはじめてからはありません。ですから、正直なところ、驚いてます。」
「そのわりには、余裕の顔だな。まるで、前もって知っていたみたいだ。」
「当麻!」
 同行者の不躾な言葉に、ナスティが止めに入る。
 しかし、言われた張本人は、まったく気にする様子もなく、穏やかな笑みで答えた。
「ここは神社ですから。ごらんの公孫樹のように、ご神威で何が起こってもおかしくないのですよ。それが、この仕事の醍醐味、とでも言いましょうか。」
 言ってから、渡井はくるりと方向を変え、左前方を指した。
「次はあちらへ。」
 歩き始めた神主の後ろを、7人はついてゆく。
 立ち止まった、その眼前に、先程と同じ大きさと形の石造りの龍が鎮座していた。
「西を守る白龍さまです。」
 その目の前で、白龍の持つ竜玉が、淡く輝き、ついに白光を放ち始めた。
 黙って見ていた征士が、ジャケットの内ポケットから鎧玉を取り出す。
 征士の手の中で、それは若葉色の光を帯び、竜玉に共鳴するように煌めいていた。
「西は五行における『金』の方角。堅固で確実な性分といわれます。金に属するもの、刀や剣といったものに、伊達さんはお近い方でしょうか?」
 征士はしばらく、何かを考える様子をしてから、白光を放つ龍を見据えて答えた。
「西方金気。季節は秋。星は太白。老の方位。確かに私は刀を扱うが、そういう意味だとは思ったことがなかった。」
「よくご存知ですね。それでは、わたしの説明は不要でしょう。」
 日本の文化は、そのルーツをほぼ陰陽五行の思想にたどる事ができる。ゆえに、古典の先生である征士にとって、それは常識の範疇だった。
「おい、なんだよ、征士。それ。」
「森羅万象の理の話だ。」
「し、しんらばんしょー、なんだ、そりゃ?」
 秀と征士の珍妙な遣り取りを、微笑みながら見守っていた渡井は、さて、と呟いて、さらに、奥に歩みを進めた。
 拝殿の100メートルくらい先の所を、参道からはずれ、先に進む。
 そこには、おそらく樹齢千年は軽く超えるであろう木の切り株と、それを守るように石造りの龍が鎮座していた。
「東を守る青龍さまです。」
 言い終えないうちに、その前足に握られた竜玉が青く光を帯び、輝き始める。
 表情を消した当麻が、無言のまま、ズボンのポケットから鎧玉を出し、手のひらに乗せた。
 玉は、深く蒼い光を放っている。光は当麻の瞳に反射して、彼の双眸を、さらに蒼いものにしていた。
「東は五行における『木』の方角。木行は風から生まれました。羽柴さんは、大気や風といったものに、深く関わりのあるお方でしょうか?」
「ああ、そうだ。さらにいえば、俺の鎧の名は『天空』という。青い鎧だ。ところで、神主さん。」
 当麻の言葉はひどく険をはらんでいて、一瞬、その場が凍り付いた。
「もう、茶番はやめてもらえないか。」
 当麻、と今度は伸が制したが、聞く様子はないようだった。
「茶番、とおっしゃりますと。」
「あなたは、会った時から、俺たち5人が五行のどの行にあてはまるか、分かっていただろう。そうでなければ、これまでの遼や、征士とあなたとの遣り取りが成立しない。」
 しばらく、気まずい沈黙が訪れた。
 当麻の、刺すような視線にさらされて、しかし渡井は落ち着いた、のどかな返事をした。
「はい、大体はその通りです。ただ、あくまでも、わたしの勘みたいなものでしたから、龍神さまのご確認をいただいた、というのが正しいところですね。決して、悪気はなかったのです。そのあたりは、ご容赦ください。」
 年齢を曖昧にさせる温和な笑みを浮かべて、渡井が当麻に向かって一礼をする。
「もういいだろう、当麻。神主さんが、僕たちに危害を加えるはずないじゃないか。君の言い方は失礼だよ?」
 当麻の態度に、さすがに怒りを禁じ得なかったのか、伸が当麻のカーディガンの袖を引っ張る。
 それでも、納得がいかない、という表情で当麻は渡井を睨みつけた。
「田無の五龍神に誓って、みなさまを謀るようなことは決していたしません。ここは、聖域。嘘は申しません。どうか、信じて、ついて来て下さるよう、お願いします。」
 そう言って、歩き出した渡井は、本堂に続く参道を遮って、神社の裏側の出口に通じる北参道を歩き始めた。
 絵馬がたくさんかけてあるその隣に、石造りの龍が、子供の身長くらいの台座の上に鎮座していた。
「北を守る黒龍さまです。」
 渡井の言葉を聞き終えないうちに、伸は惹かれるように前に出て、石造りの龍に触れる。
 その瞬間、黒龍の握っていた宝珠が、漆黒に輝きを帯び始めた。
 伸は、喜色を浮かべ、チュニックのポケットから鎧玉を出す。
 淡い青にきらめく玉を眺めてから、伸は呟いた。
「北方水気。五行において、北とは死と水の方角。」
 それは、毛利家当主として教えられた事のうちのひとつだった 乾坤の陰陽の理も、循環する五行の理論も、専門的にではないにしろ、伸にとっては馴染みのある世界観だ。
「毛利さんは、ご自身の役割をご存知なのですね。」
「この世界を循環する水の、ほんの一滴です。」
「でも、その一滴が、乾坤を左右するかもしれませんよ。」
「え?」
 驚いて、その瞳で答えを求めようとする伸に、渡井は無言で笑みを返し、黄金の斎庭を見遣った。
「それでは、本殿にご案内いたします。」
「え、ちょっと待って。俺のは?」
 秀が不貞腐れた表情で、渡井を横から見て言った。
「ああ、麗黄さんは、大切な中央ですから、本殿に鎮座されています。」
「え、そうなの。」
 渡井の言葉を、まともに受け止めた秀は一人照れ笑いをして、遼の肩をつついた。
「俺って、大切な中央なんだとよ。遼じゃなかったんだな。」
「まあ、秀がいてくれたおかげで、ここまできたようなもんだからな。」
「そう、秀の単純さに、僕たちがどれだけ救われたことか。神さまもよく知ってたんだよ。」
「伸、おまえなぁ!!」
「あなたたち、いい加減になさいっ。」
 同伴者が、それもいい年の青年が子供じみた遣り取りをするのを見かねて、ナスティはつい声を荒げてしまい、慌てて口元を手で隠した。


 渡井に案内されて、神社の拝殿にあがった7人は、そこで、一旦立ち止まるように言われ、足を止めた。
「この先は、神社の中でも神域にあたります。どうぞ、邪念を祓い、静謐なお気持ちでお進みください。」
 言ってから渡井は、幣殿に立ち、大麻(おおぬさ)を手に取り、奥の本殿に一礼する。
 つられて、頭を下げた7人の方に向かって、ふつふつと短い祭文を唱えた後、大麻を、左、右、左、と振った。
「それでは、今、みなさまの罪穢れを簡単ながら、祓わせていただきましたので、この先、本殿へご案内いたします。」
 大麻を元の位置に戻した渡井は、足を滑らせるように、ゆっくりと幣殿から本殿へ歩いていく。
 その、悠然とした歩みに合わせて、7人も静かに歩みを進める。
「ここだよ、水のあるところ。感じるんだ。」
 伸が、ナスティに小声で言った。
「水なんて、本当にないのよ、伸。わたしも、以前、ここに案内していただいたけれど、あるのは、木造の本殿だけよ。」         
「おかしいなぁ。」
 進むにつれ、拝殿からは暗がりでおぼろげにしか見えなかった本殿が見えてくる。
 人間の技とは思えない技巧を凝らした彫り物が施されている本殿の正面には、やや曇っている大きな丸い鏡と、澄んだ光を放つ水晶が置かれていた。
 7人が、本殿の真正面に立つのを見計らって、渡井が説明を始めた。
「この本殿は、素木(しらき)の総欅(そうけやき)造りという、江戸後期の神社様式の社殿で、江戸彫工の祖、嶋村本流を継ぐ嶋村俊表の代表作です。拝殿とともに、東京都指定文化財とされています。これを作った嶋村俊表は、当時の価格としては、破格の40両という値段で、この仕事を請け負い、2年で作り上げた後、疲労に倒れ、房総の勝浦に療養に行ったという逸話が……。」
「うおっ!」
 渡井の丁寧な説明を遮ったのは、秀の大きな声だった。
 ナスティが咎めるように、秀を見遣る。
「おい、だってよ、これ。」
 秀が手にしていたのは、鮮やかに橙の光を放つ鎧玉だった。
 それは、薄暗い本殿の中でひときわ明るく輝き、一瞬、その場にいた者が全員、それに魅入った。
 目を丸くして驚く秀に、渡井が、穏やかな声音で問いかける。
「この本殿の中には、五行における中央を守る黄龍さまが合祀されています。中央は、土の方角。麗黄さんは、土に関わりの深いお方でしょうか?」
 うーん、とうなってから、秀は明快に答えた。
「そうだな。俺の鎧は大地の力だって迦雄須も言ってたしな。そういうことなんだろ。あ、でも、この中に入っているってことは、俺だけ、石造りの龍を見られないってことか?」
「残念ながら、そういうことになりますね。この、本殿を開く事ができるのは、宮司が継承される時のみ。そして、中を見られるのも、宮司のみなんですよ、麗黄さん。」
「ちぇっ、やっぱり、俺だけ、いつも損な役割なんじゃないか。」
 機嫌を損ねた秀に、渡井がそっとささやく。
「あとで、神社の銀杏をお出ししますよ。なんでしたら、お神酒も。」
「ホント!?」
 食べ物の話と聞いて、単純に喜ぶ秀を尻目に、当麻がナスティに小声で尋ねた。
「本当に俺たちのこと、話してないんだろうな?」
「ええ、名前も何も話していないのよ。」
「じゃあ、なんであいつは、秀の扱いを心得ているんだ。」
 わからない、というナスティの声にかぶって、渡井のゆったりとした声が本殿内に響いた。
「ここまでが、田無神社です。宮司の、加陽貞次が管轄する領域です。」
 言葉の意味を計り兼ねて、その場にいた全員が、渡井の言葉を心の中で反芻した。
 その真意を、はじめに察したのは、当麻だった。
「なるほど。この先に、田無神社ではない領域が存在するというわけか。で、もちろん、そこに案内してくれるんだろうな。」
 穏やかな笑みで答えて、渡井は本殿奥に歩き始めた。


 本殿を守る、重鉄筋コンクリートの建物の奥には、櫃が綺麗に並べられている。
 その一番、右端の唐紅の櫃を、渡井はゆっくりと動かして、隣の櫃の前に並べ置いた。
 丁度、大人一人が手を広げたくらいの隙間ができる。
 来訪者に振り向いた渡井は、その表情から笑みを消して、静謐な面持ちで言った。
「ここから先は、『一般の方』には見えません。そして、他言無用にお願いいたします。」
 その言葉に、真っ先に反応したのは純だった。
「あの、俺、お兄ちゃんたちみたいに、何の力ももっていない一般人なんですけど。」
「いえ、あなたと、そして柳生さんは、10年前、いるべくしてあの場所にいらっしゃった。そして、それぞれの役割を持ち、果たされているはずです。それが、一般の方ではない、という証です。」
 ナスティと純が息を飲む。
 その言葉の裏をとれば、ナスティたちは、あの戦いに偶然に巻き込まれた訳ではなく、運命の必然として、あの場所にいたということになる。
 静寂に押し包まれた建物の中で、渡井はゆっくりと体をかがめ、櫃のあった場所に手をかざし、二言三言、言葉を唱えた。
 その瞬間、その一角が淡く黄金色に光りだす。
「それでは、参りましょう。」
 渡井は、ゆっくりとした動作で、その黄金の光の中に降りてゆく。
「ふん、神社に隠し部屋とはね。」
 毒づく当麻と対照的なのは伸だ。
「ますます水の気配が強くなるよ。間違いない。この下だ。地下に池でもあるのかな。」
 上機嫌で伸は、渡井の後をついてゆく。残る6人も続いてやわらかな黄金の光の中へ歩みを進めた。
 光は、ずいぶんと下の方にその源があるようだった。
 足下に気を配り、ゆっくりと階段をおりてゆく。
「かなり深いところまで、降りるようだな。」
 誰ともなしに、征士が呟く。
「なんとか戦隊の秘密基地みたいじゃん。」
「秀は古いな。今の戦隊には秘密基地なんてないんだぜ。」
「なんで遼が知ってんだよ。」
「保育士の常識だよ。」
 神域です、といわれたにも関わらず、冗談を交わす遼と秀をナスティがたしなめようとした時、下から、伸の声がした。
「ここだ!」
 その声は、やけに反響してナスティの耳元に届いた。
 どうやら、目的の場所は、広い空間のようだ。
 ナスティが足下に地面を感じて、階段の終わりに気づいた時、入り口は、わずか、手のひらぐらいの大きさになっていた。


 淡い黄金色に満たされた、広い空洞の中央には、大人の丈くらいの黄金の龍の彫り物が鎮座していた。
 鱗の一枚一枚、髭の一本一本が湛然に作り上げられている。
 岩で出来ているとおぼしき空洞を淡く照らし出しているのは、この龍そのものだ。
 渡井と、それに続いた7人は、金龍から適度な距離を保って、それを眺めていた。
「すさまじい霊気だな。」
 本人にその気はなかったのだろうが、会話の突端を切ったのは征士だった。
「おわかりになりますでしょうか。この金龍さまは、この国の八百万の神々の、それも水を司る全ての神祇の力の源です。古来より、日本人にとって、水とは生きる事そのものでした。海に生きる者は、海に祈り、陸に生きるものは、作物の成長を願い、雨を乞いました。天与の水、地与の水、すべてが、神々の恵みでした。大綿津見神、天水分神(あめのみくまりのかみ)、国水分神(くにのみくまりのかみ)、住吉三神、数え上げれば切りが有りません。それら、すべての神々の霊力の源です。」
「そんな話、初めて聞いた。」
 どこか、うつろな目で金龍を見つめる伸が、小さく言葉をこぼす。
 海を守る一族の当主として、海や水に関わる神社や神話に登場する神々については、大概のことは知っていると思っていたのだ。それなのに、その神々の総本山ともいうべき、目の前の金龍について、全く知ることができなかったのは、なぜか。
「そうですね。この金龍の存在を知るのは、我々、陰陽寮の者のみ。」
「陰陽寮だと?」 
 当麻がひっそりと、それでも厳しい声音で渡井に問いただした。
「それよりも、まず、ここは『どこ』なんだ? 先程、田無神社ではない、と言ったな。」
「はい。ここは、陰陽寮の管轄になります。正式な名称はありません。というよりも、本来なら『名付けることのできない領域』なのです。なぜなら、この国の最高位の金龍さまが鎮座していらっしゃるからです。人知を遥かに超える存在に、名前をつけるのは、失礼というもの。ただし、それでは会話が成立しないので、我々は、便宜的に『金龍の間』と呼ばせていただいてます。」
「陰陽寮は、確か、明治維新によって廃絶されたと読んだ事がある。そして、安倍晴明の血をひく土御門家は、天社土御門社として、宗教法人扱いになっているはずだ。」
「お詳しいですね、その通りです。」
「話が食い違うな。あんたはさっき、『ここは陰陽寮の管轄』と言った。つまり、陰陽寮は現在でもあるということになる。」
「そうですね、それについては……。」
 渡井と当麻の遣り取りに、気を取られていたナスティたちは、ふと、伸の姿がそこにないことに気づいた。
「伸?」
 その時、皆からの死角ギリギリのところで、ふらふらとおぼつかない足取りの伸が、誘われるように金龍に近づいていた。
「毛利さん!」
 珍しく、声を荒げた渡井の声が空洞内に響くのと、伸が金龍に触れるのは、同時だった。
 炸裂する、光輝の渦。
 視界を焼き尽くす、閃光。
 金龍から放たれた、あまりにも強烈な光に、皆が顔を覆い、身を隠す。
 その鮮烈な光は、まるで、その場にいるものをすべて喰らい尽くすような勢いで空洞内を巡ったあと、ゆっくりとその矛先をおさめた。
 皆が、おそるおそる目をあけると、前と変わらない静寂と、淡く照らし出された空間があった。
 しかし、視界から一人足りないことに、すぐに気づく。
「伸!」
 足りない一人は、金龍の台座の下で倒れていた。
 息を飲んで駆け寄り、かがみ込んだ当麻は、迷わずその細い首筋に手をあて、脈を確認する。
 生きていることを確認した当麻は、その双眸に、氷よりも冷たい色を浮かべて渡井を射た。
 わずかにかすれた低い声で、問う。
「どういうことか、説明してもらおうか。」
 言ってから、当麻は、伸の脇の下に自分の肩を入れ、背中に手を回し、膝裏をさらって抱き上げた。
 抱き上げられた伸は、くったりとその体を預け、目を覚まそうとはしない。
「わたしとした事が、もっと早く気づくべきでした。金龍さまは、水の力を顕現したものです。その力は、前に説明した通り、全ての神祇の源になります。それは大変なパワーを持つということになります。そして、毛利さんは水の気を持っていらっしゃる。それも、並の方よりもずいぶんと深いようです。ですから、金龍さまに呼ばれたのでしょう。」
「だから、どうしてこうなった!」
 声を荒げる当麻に、渡井は静かに答えた。
「強い霊力にあてられて、少し、気を失っておられるだけです。しばらくすれば、すぐにお目覚めになるでしょう。」
 険しい表情に、わずかな不安の色を織り交ぜて、当麻は伸の顔を覗き込む。
 規則正しい呼吸を繰り替えす伸の様子に、別段、異常はなく、渡井の言葉通りにすぐにでも目を覚ましそうだった。
 しかし、何か別の不安が、当麻の脳裏をかすめる。
「当麻。」
 背後から名前を呼ばれて、当麻は声だけで答える。
「何だ、征士。」
「お前はどうも、いろいろ疑っているようだが、わたしが感じる限り、ここの気は良いものだ。伸が倒れたのは驚いたが、時に、強すぎる気は人に影響を与えることもある。それほど、心配することもあるまい。」
 仲間に諭され、当麻は深いため息をつく。
 5人の中で、もっともこういう事に敏感な征士が言うのだから、おそらくは正しいのだろうと思う。
 それでも、根拠のない不安が去る事はない。
 征士の言葉を、ひと騒動のまとめと受け取ったのか、渡井が落ち着いた声で話し始めた。
「陰陽寮の件は、立ち話にするには長過ぎますので、上に戻ってからお話いたします。そして、この金龍さまがわたしたちがこれまで秘してきた事柄でした。次は、みなさまの秘密、10年間前の伝説の鎧、というものを、見せていただけませんでしょうか。」
 言われて、5人は互いの顔を見合わす。
 これまで、この鎧をめぐって、様々な出来事があった。
 それぞれの家に受け継がれていた鎧は、否応なしに、4人を生死を分つ戦いへと狩り出したのも事実だ。
 それを、簡単に人前で見せても良いものかどうか、自然、その答えの在処を大将に求めるように、3人の視線が遼へ向かう。
 仲間の意思を確認して、遼は渡井をまっすぐに見て迷いなく答えた。
「わかりました。俺たちの鎧、お見せします。」


2010.01.08 脱稿

田無神社、ご案内の回(笑)田無神社が五龍神に守られている、というのは本当の話です。公式サイトのこのページで、ご確認いただけます。五行を五常(仁義礼智信)と当てはめる解釈があるのですが、いくつか文献を見た限り、それぞれ、ばらばらでした。(ようは、確実な解釈がないということ)ので、ここらへんはあまり気にしないように(笑)羽柴がやたらつっかかっているのには、理由がある(と思う)。陰陽寮の話とかは次回に。武装シーンも先延ばしになりましたが(汗)黄金の斎庭の回は次で終わりです。その他、細かい事はブログにて。あ、最後、羽柴が毛利さんをお姫様だっこしてますね。