時間(とき)がつくりあげるもの (3)

 第6話 時間(とき)がつくりあげるもの (3)


 深夜2時を過ぎた頃。
 草木も眠る丑三つ時といわれる時間に、当麻はようやく、ノートパソコンから目を離した。
 同室の伸は、11時にもなると、さっさと風呂からあがり、ためらうことなく、ダブルベッドに潜り込んでいた。
 明日は外出するんだから、早く寝るんだよ、と声をかけられたものの、当麻は、布団の中からひょっこり顔を覗かせる伸を見て、余計に眠る事ができなくなった。なので、やりかけの仕事があるからと言い残して、ノートパソコンと一緒にダイニングに降りて、特に急ぎでもないプログラムをいじっていたのだ。
 しかし、さすがに深夜2時ともなると、眠気が襲ってくる。
 仕方なく、当麻はノートパソコンをたたんで、寝室へ向かった。
 寝室は、柔らかな間接照明だけがともされており、淡い色調の壁や家具に反射した光が、甘やかな雰囲気を醸し出している。
 当麻は、しばらく、ベッドから遠く離れて、熟睡しているらしい伸を眺めていた。
 その表情は、どこか、何かに耐えているようでもある。
 実際、当麻は耐えていたのだ。
 どんなに馬鹿げた冗談を言う事ができても、伸に対する自分の気持ちが未だわからないという苛立ちに。
 伸に近づきたいと思う反面、近づくことは危険だと、自らの本能がささやく、その矛盾に。
 0と1で結論がでない世界では、当麻は幼子よりも判断力が鈍くなる。
 そういう自分を、当麻は自覚していたから、0と1の世界とは正反対の伸の存在が、手に届かないほど遠く感じ、そのくせ、ひどく愛おしくも思えることが、やりきれないのだ。
 自分の知識と情報では計りきれない、不可知の世界。
 未だ解明されない、深海の神秘。
 当麻にとって、伸とは、昔から、まさにそれを秘した存在なのだ。
 だから、自分の感情の扱いに戸惑う。
 視線の先で、伸が小さな、言葉というより音に近い声を発した。
 起こしてしまったのかと心配し、当麻は惹かれるようにベッドに向かう。
 しかし、どうやら、寝言だったらしく、あどけない無防備な表情で安らかに眠り続けている。
 その姿に魅せられ、当麻は音をたてないように、ゆっくりとベッドにあがり、仰向けになって規則正しい寝息を立てている伸の顔を覗き込んだ。 
 柔らかな間接照明に照らし出された伸の寝顔は、青年というには、幼すぎた。琥珀色のくせのある髪も、きめ細やかな、なめらかな肌も、わずかに開いた口元も、当麻がこれまで見て来た女の寝顔とは根本的に何かが違っていた。これまで見て来たものが、ごく一般的な人間の寝顔だとすれば、今、目の前にある伸の寝顔は、天におわす造形神が、春の柔らかい日射しのもとで小さく花開かせる様を似せて創造した作り物のように、現実感がなかった。
 当麻は、そっと伸の髪に触れた。
 けれども、何かを恐れるように、すぐに手を離す。
 当麻の中で、伸が特別な何かになったのは、10年前、新宿の阿羅醐城を一度、破った後、つかの間の休息にナスティの小田原の自宅で、共同生活をはじめて間もない頃だった。
 毎日、定刻の時間に食事をとる習慣のなかった当麻が、食事時間を守らないという理由で征士や秀ともめた。
 その後、他の仲間と顔を合わせるのが気まずかった当麻は、部屋にこもりっきりだったのだが、気をきかせたナスティが食事を運んでくれた。
 しかし、体とは正直なもので、結局、それだけでは足りず、階下に降りて、食べ物を調達しようとリビングの前を通り過ぎた時、伸の声が聞こえた。
「でもね、やっぱり、当麻を責めるのはよくないと思うんだ。」
「どうしてだよ。時間を守れない奴が悪いのがあたりまえじゃんか。」
「私も秀と同じ意見だ。これだけの人数で生活をしているのだから、時間は守ってしかるべきだろう。」
「うん、でもね。」 
 しばらく、沈黙がっあった。
「あのね、征士。君を咎めるわけじゃなく、ただ、一番、分かりやすい例えとして、引き合いに出させてもらうとね。征士、君は朝起きて、家族におはよう、って挨拶するだろう?」
「そうだな。しないとあとが恐い。」
「そして、家族でそろってご飯を食べる。学校に行く時は行ってきますと出て行って、帰ってくる時はただいま、と言う。そうじゃない?」
「まあ、そうだが。それが何か問題でもあるのか?」
「じゃあ、そういう、挨拶や家族との食事のない生活を、征士は想像できるかい?」
 再び、沈黙が訪れる。
「当麻はね、それがなかったんだよ。ナスティから少し、当麻のご両親の話を聞いたんだ。お母さんは国際ジャーナリスト、お父さんは有名な研究者。職業柄、二人とも、あまり、家にはいなかったようだね。それに、三年前に離婚されている。当麻は一人っ子だし、そういう環境だから、物心ついた時から、一人で生きて来たんだろう。挨拶も、家族との食事も、彼にとっては僕たちのように『当たり前』じゃなかったんだ。僕も遼も、幼い時に片親を亡くしている。それは、悲しいことだけれど、もう逢えないという諦めがつくことなんだ。でも、当麻は、生きているはずの両親に、甘えたい時に甘えられないという子供時代を過ごしている。親から子供に注がれる愛情というのは、幼児期にはスキンシップという方法が一番かもしれない。けれど、その時期を過ぎても、結局、子供は親に甘えたいという気持ちがどこかにあると思うんだ。挨拶がかえってくること、食事の時に、学校の愚痴を言う事、両親に、成績を心配されること、悩み事を相談すること、それは、家族を持つ人間にとっては当たり前のことだ。本来なら、皆が体験するはずの愛情なんだよ。でも、当麻には当たり前の愛情を受け取る時期がなかったんだと思う。だから、僕たちの『当たり前』の尺度を、当麻に当てはめるのは、良くないと思うんだ。」
 そこまで聞いて、当麻は足が動かなくなった。
 意識の一番底に、無理矢理沈めていた衝動、目を背けて、諦めて、それでもどこかで希求していた「当たり前のこと」、自分とは無関係だと思い込む事で、逃げて来た寂しさという感情。
 この時、伸の言葉を聞かなければ、当麻は一生、それらから目を背けて生きていくことができたかもしれない。それは、ある意味、幸せだ。
 けれども、当麻は、出会ってすぐの同い年の少年に、いとも簡単に、その自らの弱みを見抜かれてしまったのだ。
 怖いと思い、そして仲間の中で、特別な存在となった。
 その後、当麻はいつしか、水色の戦士の姿を無意識に目で追うようになった。
 そして、当たり前のことだが、彼の慈しむような視線の先には、常に大将である遼がいた。
 別に、それは伸だけではなく、当麻も、征士も、秀も、そうだったのだ。
 ただ、当麻は、いつしか、その優しい視線が、自分に向けられる日が来る事を、望むようになっていた。
 そして、非日常が終わり、平穏な生活が訪れ、別れがやって来る。
 西に向かう新幹線で帰るのは、当麻と伸だった。
 はじめての二人っきり、という状況に、当麻は当惑し、結局のところ、伸が聞き上手なのをいい事に、見栄も手伝って、当時の最先端のサイバーヴィレッジ論だとか、インターネットの未来像などを語った。本当は、宇宙や天体の話もしたかったのだが、ロマンチストだと思われるのが恥ずかしかった。
 新大阪で別れの挨拶を交わした際、発車のアナウンスが流れた瞬間、当麻は無意識に伸を抱き寄せ、唇だけが触れる未熟なキスをしていた。
 そして、当麻は、逃げるようにプラットフォームから立ち去った。
 それから9年。
 伸は、それについて触れてこようとはしなかった。
 もっとも、当麻自身がアメリカに行ってしまい、音信不通になっていたこともあるのだが。
 ベッドの上の伸は、相変わらず、穏やかな眠りについている。
 当麻は先程、止めた動作を再開した。
 そっと、やわらかな髪に手を伸ばす。
 そして、起こさないように、細心の注意を払って、その細工のような美しい顔の造作に丁寧に触れていく。
 閉じられた瞼、整った鼻梁、やわらかな唇、暖かい頬、そして、額。
 その瞬間、当麻は不思議な錯覚に陥った。
 見えるはずのない紺青の海が見えた。
 その次に、白い砂浜。
 赤い鳥居。
 砂にまみれて呆然としている、蒼い髪の子供。
 それらが、まるでスライドショーのように、当麻の脳裏を過ったのだ。
 驚いて、当麻は伸の額から手を離す。
「何だ、今の。」
 忘れるはずはない。
 あれは、7歳の時、父親に連れられて初めて見た海の記憶だ。
 蒼い髪の子供は、間違いなく自分自身だと、当麻には分かった。
 しかし、どうして。
 ベッドサイドの時計を見ると、すでに2時から30分以上過ぎていた。
 そろそろ眠らないと、明日に支障を来す事ぐらい、当麻にも分かっていた。
 参ったな、と心の中で呟く。
 自分は征士みたいに、精神の鍛錬などしていないのだ。
 まともに、伸の隣で眠れる訳がないじゃないか。
 仕方なく、当麻は静かに鞄の中からiPod shuffleを取り出し、ベッドのなるべく端の方で伸に背を向けるように横になり、イヤホンを耳にあて、眠りに落ちるまで、音楽を聞くことにした。


 鳥の歌声で、伸は目を覚ました。
 ベッドサイドの時計を見ると、6時を少し過ぎた頃だった。
 カーテンの向こうから訪れる、やさしい朝の日射しが寝室をほのかに明るくしていた。
「なんだか、懐かしい夢をみたなぁ。」
 伸はひとつ欠伸をして、明け方の夢を思い出していた。
 あれは、8歳の夏。
 初めて、毛利家の時期当主としての仕事で、徳島の阿南市にある海正八幡宮の宮司継承式に参列した時のことだ。
 海正八幡宮の宮司一族は、毛利家同様、西日本では有名な海を守る家系だった。
 海に囲まれ、海の幸で生きて来た日本人にとって、海を守る一族というのは珍しくなかったが、時代が進むにつれ、後継者がいなくなったり、過疎により、氏子が集まらず、社そのものが維持できなくなっていったのが現状だ。
 そういった時代背景の中でも、地元民や、家そのものの力で、海を守る一族として残って来たのが、伸の家であり、海正八幡宮だった。
 その時も、袍姿の伸を見て、参列者みんなが、「毛利家の時期は男子だと聞いたが?」と尋ねられ、母が「息子です」と必死に訂正してまわったのを、伸は思い出して、小さく笑った。
「でも、どうして今頃?」
 上半身を起こすと、ベッドの上の少し離れたところに、蒼みがかった髪が布団の中から覗いているのが見えた。
「あ、なるほど。当麻か。」
 あの継承式の日、伸は、近くの浜辺で、不思議な髪の色をした同い年くらいの少年が、海で溺れているのを助けた。
 7年後、その少年に、新宿で同じ戦士として出会った時には、軽い衝撃を受けたのも事実だが、同時に、運命というものがあるなら、こういうことなんだろうな、とも納得したものだ。ただ、当麻自身が気づいていないようなので、伸はこれについては誰にも話していない。なんとなく、自分だけの、小さな秘密にしておきたかったのだ。
 ベッドを移動し、そっと当麻に近寄る。
 一度眠りに落ちた当麻が、そうそう目を覚ます事がないのは承知の上で、その背後からそっと寝顔を覗き込む。
 大人の顔だな、と伸は素直に思った。
 童顔のまま成長してしまった自分に比べ、当麻は10年前の面影をわずかに残したまま、風貌も、身長も、はるかに自分より大人になってしまった。
 同じ男として、多少、悔しさを感じるのは否めない。 
 耳元のヘッドフォンに気づいて、伸は首を傾げる。音楽を聞きながら寝るような習慣でもついたのだろうか。
 興味も手伝って、ヘッドフォンをそっと外して、自分の耳に当てる。
 透明感のある、ゆっくりとしたピアノ曲が流れていた。


2009.12.11 脱稿

長かったです。つき合ってくださって、感謝です。散々騒いだベッドシーンがこんなですみません(笑)ほら、トップに「アダルトありません」て告知してあるし!あ、まず、謝らなくては。もし、本当に半陰陽の方がこれを読んで気を悪くされたらすみません。決して、馬鹿にしているわけではありあせん。毛利さんが声変わりしないのは、中の人のせい(笑)その他いろいろはブログにて。 次回から二回は、陰陽道っぽい話です。武装します。