時間(とき)がつくりあげるもの(2)

 第6話 時間(とき)がつくりあげるもの (2)


 十分後。
 階段を、降りてくる激しい音が、ゲストハウスに響いた。大の大人の男が4人、階段を駆け下りると、それはうるさい以外のなにものでもない。
 しかし、次の瞬間、リビングはそれに輪をかけて、騒々しくなったのだ。
「おい、しん!!」
「あれは、どういうことなのだ!」
 秀と征士が矢継ぎ早に伸に問いただす。
「豪華だっただろ? ホテルを意識してダンナさんがデザインしたそうだよ。家具はわざわざ、北欧から取り寄せたとか。さすがプロだよね。」
「いや、そうじゃなくてさ。」
 遼が、どこからどう切り出せば良いのか困ったような顔で、伸を見つめた。
「俺たち、男5人だよな?」
「そうだね。」
「部屋は3部屋。それで、その、ベッドが……。」
 ああ、と遼の戸惑いを察した伸が答えた。
「ワイドダブルベッドが問題ってこと?」
「問題ってことじゃない! 大問題だ! 明らかにおかしいだろ。」
 当麻が伸に詰め寄る。しかし、伸は表情を変える事なく、淡々と答えた。
「ダブルベッド3つだから、計6人の寝床は確保できる計算だけど。」
 その冷静な回答に、リビングが沈黙する。
「あのベッドはね、デンマークの有名なデザイナーズブランドのものらしいよ。ウォールナット材で、寝心地も抜群だってナスティが話していた。言っておくけれど、このゲストハウスは、僕たちのために用意された訳じゃないんだ。ナスティのお友達や、ダンナさんの仕事関係の人も使うんだろうね。そう考えると、年齢的にも、結婚されている方や、結婚していなくてもお付き合いしている方が使う場合が多い訳だろう? だからダブルベッドなんだよ。むしろ、僕たちの方がイレギュラーなのさ。」
 伸のしごくもっともな説明を聞いて、納得した4人だが、果たして、納得したからといって、男5人がダブルベッド3つに寝なくてはならないという現状が変わる訳でもない。
「要するに、10年前と同じように、部屋分けをしなくてはならないという訳だな。」
 何かを悟ったように、征士がぼそりと呟いた。
 10年前の小田原のナスティの家での共同生活の時も、相部屋だった。簡素なシングルベッドが2つある部屋に、征士と当麻、伸と秀、そして、遼は白炎込みで1部屋与えられた。10代の彼らにとっては、それはどこか修学旅行の延長のような、合宿のような気分にもなれて、多少、トラブルがあったものの、それはそれで、楽しい時間を過ごしたのだ。
 しかし、今回は状況が違う。
 彼らは20代半ばの青年であり、ベッドはダブルベッドである。
 たかが一週間とはいえ、選択を誤れば、悲惨な結末が訪れるであろうことは、火を見るより明らかだった。
「あ、俺、独り部屋な! お前らは所詮、独身でいつも一人で寝てるんだろ。俺は所帯持ちでいつもカミさんと一緒に寝てるんだよ。だから、たまには独身気分を味わせろ。」
 まず、安全確保に乗り出したのは秀だった。言い訳ももっともな事由であるから、誰も咎める事はない。
「なるほど。秀は独り部屋希望、と。他に希望があるのは?」
 伸の問いかけに、しばらく黙ったままだった4人だが、唐突に征士が言い出した。
「私は、当麻と同室なのは勘弁してもらいたい。10年前にひどい目にあった。」
「征士、売られた喧嘩はいつでも買ってやるが?」
「私は事実を言ったまでのこと。遅寝朝寝坊のお前に振り回されるのはごめんだ。」
「まあまあ。征士も当麻も、10年前の話だから本気にならないの。」
 小田原のナスティ宅での部屋割りを決めたのは、ナスティだった。この、当麻と征士が同室という件が、致命的な問題を抱える事になったのだが、それは結果論でしかない。ナスティにとってみれば、「あまり相手を気遣わなさそうな二人」を同室にしたら当麻と征士だった、ただ、それだけの理由だったのである。
「とまあ、言ってみても、確かに、当麻が誰と同室なのかは問題だね。」
 しんみり呟く伸に、「お前までそんなこと」と小声で非を鳴らす当麻だが、事実、非があるのは当麻自身なので強く文句は言えない。
「遼に当麻の面倒を押し付けることはできないし……。」
 やや俯き加減で考えていた伸は、ようやく結論がでたという風に顔をあげて手を小さく叩いた。
「じゃあ、こうしよう。秀は独り部屋。征士と遼で一部屋、当麻の面倒は僕が見る、これでどうだろう?」
 この、完璧な部屋割りに誰も不平を唱えることはなく、納得したように頷いている。
 当麻ひとりが、どうせ、俺はやっかいモンだよ、などと不貞腐れているが、誰も気にする様子はない。 
 こうして、たった一週間のための部屋割りも済むと、なんとなく、新しい生活が始まるような気でもしたのだろうか。
「なんだか、新鮮な気分だ。」
 遼が、はにかむような表情で呟いた。



 ロンロンで購入したお惣菜がメインの簡単な夕食をすませた後、5人はダイニングでくつろぎながら、ここに居ない人たちを話題に、会話を弾ませた。
 アラサーに突入し、友人の紹介で建築デザイナーと結婚したナスティ、今は大学生をやっているはずの純、かつては敵だったものの、今はおそらく、煩悩京で善行を積んでいるはずの魔将たち。10年前の出来事は、痛みだけではなく、それを凌駕する絆を5人に与え、それは今でも、彼らの生活の一部として昇華されている。故に、話はつきない。けれども、時間は平等に進むのだ。
 ダイニングの時計が10時をまわった頃、秀が大きく、欠伸をした。
「俺、昨日、1時まで店の仕込みやってたから、さすがに眠い。」
「そうだな、明日のこともあるし、今日は早めに床についた方が良いな。」
 秀と征士の言葉で、名残惜しげに遼が席を立つ。
 伸も、みんなの前に並んでいた、湯のみを片付けながら、明日の朝ご飯は8時だよ、と言い渡す。 
 そして、10時を15分を過ぎる頃には、それぞれ割り当てられた部屋で、小旅行の荷物を解いていた。 



 淡いクリーム色に統一された部屋に、20インチの薄型液晶テレビと、洒落た椅子とテーブル。間接照明。部屋になじむように配色されたドレープカーテン。そして、問題のワイドダブルベッド。
 どれをとっても、確かに「ホテルを意識した」その部屋で、遼と征士は顔を見合わせて悩んでいた。
「まあ、確かにホテル並みではあるのだが。」
 征士と遼が同室なのは、ある意味、とてもラッキーだった。
 問題なのは、ここがホテル並みの部屋であっても、実際、「ホテルではない」ということである。
 遼が専門学校を卒業し、就職先が決まった年の春、征士は就職祝いに二人でディズニーシーへ行かないかと誘った。
 征士にとってみれば、誘う場所はどこでも良かったのだが、同じゼミの学生に話を聞くと、「東京観光は、地元の人間がいないと人混みに疲れるだけだ」と言われて、それなら、いっそのこと、テーマパークが良いだろうと判断したのだ。
 もちろん、遼に断る理由もなかったので、ディズニーシー行きは即座に決定したのだが、問題は宿泊施設だった。
 ディズニーシー内のホテルに泊まれるほど、当時の遼と征士には金銭的な余裕はなく、結局、ディズニーリゾートのそばの、新浦安の安めのホテルのツインルームを二泊三日でとったのだ。
 宿泊一日目の夜、征士が眠りに落ちようとした瞬間、隣のベッドから大きなものが落ちるような音がした。
 征士は、何事かとベッドサイドの照明をつけると、なんと、遼が、ベッドから落ちていたのである。
 当事者の遼はそのままぐっすりと寝入っているので、起こすのが申し訳ない思いをしながら、しかし、床で眠っているのを放っておく訳にはいかないので、征士は遼を起こした。
 目をこすりながら起きた遼は、苦笑いしながら、その時、征士に白状したのだ。
「ベッドで眠れないんだ。寝相が悪くて。」
 幼い頃から、ログハウスの床で寝る習慣のあった遼は、柳生邸でも、実はベッドで寝たつもりが、朝起きたら、白炎の隣で眠っていたという。
 それ以来、征士は遼と一緒に旅行に出かける時は、必ず、和室のある部屋を予約したし、最悪、ない場合は、ワンランク上のホテルを予約して、布団の用意をしてもらった。サービスの行き届いているホテルならば、それは必ず無料で受けられるサービスである。
 ホテルならば、そのようなサービスを受けられるが、ここはあくまでも個人のゲストハウスである。こんなに立派なベッドがあるところを見ると、布団の用意を期待する方が滑稽というものだ。
「遼、どうする。なんだったら、私がそこのソファで眠って、遼がベッドで眠るか。それだけ広ければ、夜中に転がっても落ちる事はあるまい。」
 他人であれば、とても率直すぎて意地の悪い言葉にも聞こえかねないが、征士は遼を気遣い、本気でそう考えているのである。
「そんなソファじゃ、征士が眠れないだろう。俺に、いい案があるんだ。」
 そう言って、ベッドの端に座った遼が、征士においでおいでをした。荷物を片付ける手を休めて、征士は遼に言われるままに、ベッドへと向かう。
 遼は、征士の視線の先で、ごろんとベッドに横になった。その姿は、どこかしなやかな大型犬が、甘えているようにも見える。
「ほら、征士も横になれよ。ナスティ自慢というだけあって、寝心地最高!」
 言いながら、遼は自分の隣をぽんぽんと叩き、征士に来るように促す。
 言われるままに、征士は遼の隣に横になって、天井を眺めた。
「うむ、確かに寝心地はいい。」
「征士、9年前の約束、俺、覚えてるから。」
 言われて、征士の顔がさっと朱をはいたように赤くなる。
 それは、征士が未熟ながらに、精一杯、遼に伝えようとした事。
 結局、あまりにも言葉が不器用すぎて、その本意が遼に伝わるのに、伸を介することになってしまったのだけれど。
「守ってくれるんだろ?」
 静かに、遼が問う。
 しばらくして、征士がぽつりと答えた。
「あの言葉に偽りはないし、今でも気持ちが変わることはない。」
「じゃあさ。」  
 言い止して、遼は自らの両の手を征士の首筋に回した。
「俺がベッドから落ちないように、征士が守ってくれればいいんだよ。」
 征士をまっすぐ見つめる遼の瞳が濡れ色よりも黒く、わずかに艶を帯びている。
 正面から遼の瞳に射られ、しばらく考えるような表情をした征士だが、自分の中で何かに納得したらしい。
 晴れやかな表情で、笑顔を浮かべると、長い両手で遼の体を抱き寄せた。
「つまり、このように遼を抱えて眠れというのだな。」
「そういうことかな。」
 征士の腕の中で小さく遼が笑う。その振動が征士にも伝わって来て、征士も頬をゆるめた。
 幾許か、二人は口を閉ざし、互いの心音と体温を確かめ合う。それは、生きている、という証拠。大切なものが、自らの手の中にある至福感。肌という物理的境界を感じながら、非物理的な、つまり心という目に見えないところで、感覚を共有する安息感。
「遼は暖かいのだな。」
 征士がひっそりと言った。
 これまで、何度も一緒に旅行に出かける事があっても、当然のように別々に眠っていたのだ。
 だから、こんな風に、肌をよせあって、ひとつのベッドに横になるというのは、征士にとっても、遼にとっても初めてだった。
 それでも、互いに緊張することがないのは、つまるところ、完全に信頼しあっているという証拠なのだ。
「ええと、こういうのを同衾っていうんだっけ?」
「いや、それはちょっと違うぞ、遼。」
 片方の手で、遼の髪を梳きながら、征士は苦笑いした。
 同衾、とはすなわち情を交わす事だ。
 征士は遼に、そんなことを求めてきた訳ではない。
 だから、この抱擁は、同衾というには幼すぎる。ただの、添い寝なのだ。
 遼と私の関係はそれで良いのだと、征士は自らに向かって呪文をかけた。


時間(とき)がつくりあげるもの (3)