時間がつくりあげるもの(1)

 第6話 時間(とき)がつくりあげるもの (1)


 ナスティがゲストハウスから去った後、伸は、ティータイムの名残を片付けて、夕飯の準備をするから、と残してリビングを出た。
 キッチンから、水道水が流れる音が聞こえてきた瞬間、秀が、待ってましたとばかりに、リビングテーブルに身を乗り出した。つられて、残りの3人も、体を傾ける。
「なあ、伸のやつ、ヤバくね?」
 秀は小声で話しているつもりだが、たいして、いつもと音量は変わらない。
「何まずいのだ。」
「俺よー。駅で会った時、マジで女の子と間違えた。当麻のこと、バカにできねー。」
 昔の親友、それも、生死の淵で戦いを共にした同胞に久しぶりに再会したら、本気で女の子と勘違いしてしまったという事実に、秀は戸惑いを隠せないらしい。
「あ、それを言うなら、俺もだ。まあ、でも伸は、昔から穏やかな性(たち)だったし、ナスティと一緒に家事の手伝いしてたりたから。確かに、あの服装にはびっくりしたけど、普通に俺たちのような服を着れば、それなりに見えるんじゃないか?」
 言ってはみたものの、こちらもちょっと困惑気味の遼である。同じく10年前には、戦いの時も、平和な時も、いろいろ世話を見てくれたのが伸だった。遼にはその印象が強い。
「征士はどうなんだよ。」 
 顔色ひとつ変えず、話に聞き入っている征士に秀が声をかけた。自分たちだけが困惑している中、ひとりすましているのが気に食わない、という口調だ。
「まあ、最初は、驚いたが、私は二度目なのでな、あまり気にしない。」
「二度目?」
 秀と遼が声を揃えて疑問を口にする。
「今だから言えることではあるのだが。私は剣士として、ずっと戦いに挑む者の顔を見て育った。だから、10年前、初めて伸に会った時、あんな柔らかい表情をした戦士がいると思わなかったのでな。てっきり女性でも鎧を纏うのかと驚いたものだ。その誤解はすぐに解けたのだが。」
「戦隊ものには、必ず一人は女の子がいるのがお約束だしな。」
 つまらない冗談を差し挟む当麻を無視して、征士は続けた。
「それに、先程から話を聞いていると、伸がまるで女顔だと言っているように聞こえるのだが。」
「そうだよ、だからあんな格好されてちゃ、勘違いするっていう話。」
「それは違うだろう。女子はもっと不細工だぞ? 髪をいじったり、化粧をしたり、いろいろ細工をして、結果、我々が見ている『女性』の姿になるのだ。それに比べ、伸は髪型は昔とあまり変わらないし、特に化粧をしているわけでもあるまい。」
「うわ、征士、キツイな。」
 小声のつもりだった秀が声をあげる。
 女性が強い家族で育ち、今は女子高の先生という、ある意味、女性を観察するには恵まれている環境で過ごしている征士の言葉は、それだけで真実味がある。
 ましてや、征士の目は、真実を射抜くものなのだ。
「思うのだが、伸は、『変わっていない』のではないか?」
「何が?」
「うむ、妹の幼い頃を思い出したのだ。妹は、中学校にあがる前まで、よく、男の子と間違えられてな。生まれてすぐの赤子というのは、一見、男の子か女の子かの判別がつきがたい。それが、成長するにしたがって、環境、つまり髪の長さや着させれる服によって、男の子と女の子に別れるのではないかと思う。妹は、髪が短く、活発だったから、私のおさがりの服を着ていたりしていたのでな。一緒に歩いていると、兄弟に見えたようだ。そういう感じで、10年前の伸も、男女の判別がつきづらい、いわば、まだ未分化な顔立ちだったのだ。」
「ほう、それで?」
 それまで、他人事のように聞いていた当麻が、急に興味を持ち始めたように話に加わった。
「今の伸も、どうやら、少年の頃の未分化な顔立ちのまま、大きくなったのではないかと思うのだ。こう、今の伸をコンパクトにしたら、10年前の伸に見えるのだ。それに、声変わりもしていないようだしな。」
「あ……。」
 遼と秀が、顔を見合わせる。
「確かに、あいつ、10年前と同じ声だ。」
「電話越しだと、あまり気づかなかったけど。伸の声、言われてみれば、変わってない。」
 変声期というのは、主に11歳から14歳に訪れる。男女ともに経験するのだが、男性の場合が顕著で、声の高さが1オクターブ程度、低くなる。まれに、男性であっても、目立った声変わりをする事がなく、高い音域を維持したまま成長する事例もある。
 出会った頃、5人のうち、当麻と征士は変声期を終えていて、少年というよりも未熟ながら青年の声をしていた。遼と秀は変声期半ば、少年とも青年ともとれる声質だった。そして、最年長の伸だけが、変声期が訪れていなかったのか、少年とも少女ともつかない、皆よりやや高めの不思議な、柔らかく甘い声をしていたのだ。
「でもさ、そんなことってあるのかよ。声変わりもしないで、見た目も少年のまま、大人になるってさ? お伽噺じゃあるまいし。」
「いや、ありえるさ。」
 秀の疑問に、当麻がようやく、ここぞ自分の出番、とばかりに話を始めた。
「まず、なぜ俺たちが心身ともに『男』に成長するのは何のせいだ? 身体的、精神的に、どのような状態が『男』なのか?」
「え、そりゃ。」 
 言い止して、秀が少し、顔を赤くする。健全な男子の反応である。
「何の禅問答なのだ。」
 当麻の発言を斜めに捉えてしまった征士は、多少、考え込んだようだ。
「生物学的、社会学的、様々な視点から『男』の定義はあるが、一般的に俺たちの知っている『男』というのは、つまるところ、遺伝子のXY型が発現した結果だ。男性ホルモンが分泌され、男性外性器が認められ、精子を分泌し、女性より骨格や筋肉が発達し、生殖相手としての異性を意識する。社会的には、積極的であり能動的であることが求められるが、これはあくまでも社会的環境の問題だから後付けであるという意見もある。」
「お前なー。恥ずかしげもなく、よくそんな事言えるな。」
 男同士の猥談でも、そんな男性性器だの精子だの直接的に言う事はないだろう、と秀が文句を言うが、当麻が聞く様子はない。
「ここで問題になってくるのは、男性ホルモンの一種であるアンドロゲンだ。これを分泌することができるが、アンドロゲン受容体が正常に働かないために、アンドロゲンの一部を受容できないという現象がある。これを部分型アンドロゲン不応症という。この場合、身体的にも、精神的にも性別が曖昧になる。」
「半陰陽みたいなものか?」
 当麻のどこか危ない説明を、真面目に捉える征士。
「わっかんねえよ! アンドロなんとか言われても。もっと、俺にも分かるように説明してくれ。」
「つまりだ。男性でも女性でもないというわけだ。これを、第三の性、という。」
「俺、そんなこと、知らなかった。伸、何も言ってくれなかったじゃないか。知っていれば、もっと気の遣いようもあったのに。」
 当麻の超理論を信じてしまった遼が、後悔を滲ませた声で呟いた。
「伸は、あの性格だからな。心配させたくなかったんだろう。特に、俺たちが出会ったのは戦いという目的のためだった。そこで、自分が純粋に男ではないと……。」
「なーに馬鹿な事、言ってんだよ。予備校生。」
 ふいに、4人の頭上から声がした。
 そろって、仰ぎ見ると、そこには話題の人物が立っていた。薄く笑顔を浮かべて、しかし、その目だけは冷ややかで笑っていない。嵐の前の静けさ、というものに表情があるとしたら、こういう感じなのだろう。
「内緒話は、もっと小声ですべきだね。君たちの会話、キッチンまで全部聞こえていたよ。まったくもう、当麻はともかく、征士まで。」
「いや、しかし……。」
 ここで素直に謝る事ができないのは、征士も多少、当麻の超理論に感化されてしまったためだ。まして、今、目の前の伸は、自分の観察した通り、少年時代の面影が濃く、声変わりもしていない。よって、自分の観察眼を正当化するには、当麻の意見は否定できない。
「ごめんな、伸。その、言いづらい事かもしれないけど、大変な運命を背負っていたんだな。俺が不甲斐ないばっかりに、何も相談にのってやることができなくて。」
 すっかり当麻の超理論に洗脳されてしまった遼に至っては、あらぬ方向に仁の心を燃やし始めていた。
「あー、もう、遼まで!! 当麻、君がヘンなこと吹き込むから、みんながおかしなことになっちゃてるじゃないか!」
「それは、俺の推論が正しいという証明だな。」
 我に正義あり、という面持ちで、昂然と当麻は言い放った。
 その瞬間、伸の表情から笑みが消えて、当麻に挑みかかるように強い光を双眸に宿し、正面から睨みつける。
「ふうん。じゃあ、その推論が全くの虚偽だってこと、ここで証明してあげるよ。」
 言い終わるのを待たずに、伸の両手が、自らのチュニックの端を掴んで、持ち上げようと動いた。
 事態に気づいた秀と征士が、慌てて伸に駆け寄り、その手を押さえる。
「わかった。俺たちが悪かった! 悪ふざけがすぎたんだ!」
「すまない、伸。決して、悪気があったわけではないのだ。」
 しばらく沈黙があって、それから、伸の、声を押し殺したような笑い声が続いた。
「冗談だよ。そんな、人前で服を脱ぐなんてはしたないこと、僕がすると思うかい?」
 まったく、もう、と呟いて、伸はチュニックから手を離し、先程まで座っていた席に戻った。
 征士と秀も、心の中で冷や汗を拭きながら、自分の席につく。しかし、やはり心の中で何かが燻ったままだった。
「ところで、今日から一週間という短い間だけれど、僕たちは共同生活を送る事になる。」
 伸が場を仕切り直し、改めて、4人を見渡して言った。
「懐かしいな、共同生活か。しかも、今回は平和な生活だ。」
 遼が嬉しそうに言った。甲府で、ほぼ一人暮らしをしている遼にしてみれば、短期間にしろ、古なじみの友と気兼ねなく寝食を共にするということは、心が暖かくなる時間を持つ事ができるということだった。
「俺も一週間だけ、独身に戻れるってことだよな。おい、遼、サッカーしようぜ、明日。裏に公園あることだしさ。」
「だめだよ。ナスティの言付け(ことづけ)で、僕たちは明日、1時には吉祥寺駅に集合だから。」
 なんだよ、という秀の言葉を尻目に、伸は言葉を続けた。
「それで、共同生活をするにあたり、役割分担をしようと思うんだ。」
「役割分担? 何のだ?」
 当麻がいぶかしげに尋ねる。
「もちろん、家事だよ。10年前は、ナスティの手前、僕がおさんどんのお手伝いをかって出ていた訳だけど。このゲストハウスにナスティはいない。僕たち5人だけだ。当然、家事も5人で分担すべきだろう?」
 4人が一瞬、伸から目をそらして、気まずい表情を浮かべる。
 確かに少年時代、彼らは、伸ができるのをいいことに、戦いの合間の休息時の家事に関しては、ナスティと伸に任せっきりだった。
 当時、それがどういうことなのか伸を除く4人には分からなかったが、大人になり、それぞれが一人暮らしや所帯持ちを経験すると、家事労働がいかに大変なことのかを知ったのである。
「そうだな。それは正しいと思う。」
 当麻を除く3人の意見を代表して、征士が答えた。その隣で、当麻がぶつぶつと文句を言っている。
「で、考えたんだけど、どうせするなら、みんな、自分にあったことをやるべきだよね。」
 そうだな、と当麻を除く3人は納得して頷いた。
「僕と秀は、料理が得意だから、買い出しと料理担当。朝と昼は僕がつくるよ。夕飯だけ、僕と秀が一日ごとに作る。どう?」
「おう、それなら任せとけ! ま、一日おきに中華だけどな。」
 秀が胸を叩く。中華鍋を持って来たかいがあったぜ、と続けた。
「で、征士は礼の心を持って、共用部分の掃除。」
「分かった。それならできる。」
 征士が素直に頷く。こういう場面では、伸が最も力を発揮できることをよく知っていたからだ。
「遼は、洗濯。あとで、洗濯機の使い方、教えるから。」
「あ、うん。俺、がんばるよ。」
 ここで、今の洗濯機は入れたら最後、乾燥までしてくれるから労働の部類では一番簡単なのではないのか的な文句を言われないのが遼である、というのは10年前からのお約束だ。
「最後に、当麻はゴミ出し。分別の方法と収集日はキッチンの冷蔵庫に貼ってあるから、ちゃんと見ておくこと。」
「はいはい。」
「……夜中に出したりしちゃ、駄目だよ。ご近所の迷惑になるからね。ちゃんと朝起きて、9時までに出すこと。」
 内心、舌打ちをする当麻である。完全に、自分の行動パターンが見抜かれている。実際、今、住んでいる三鷹のアパートでは、当麻は収集日の夜中に出していた。
「じゃあ、これで問題なく、家事の分担も出来た事だし。ああ、そうだ。みんな、二階にまだ、あがってないんじゃない? ゲスト用の寝室が3部屋あるから見てくるといいよ。ナスティご自慢だからさ。」
 伸の浮かべた笑顔にほんのわずか、苦笑が混じっていた事に誰も気づかなかった。
「へえ、フランス育ちのナスティが自慢ってことは、それだけ上品な部屋なのかな?」
 少年のように漆黒の瞳をきらきらさせて、好奇心が笑顔から溢れている遼。
「この屋敷、広いからさ、きっと寝室も広いんだぜ! よし、俺、見てくる!」
 リビングを駆け出した秀を追って遼も走り出す。さすがに走り出す事はなかったが、征士と当麻も、後をついて二階にあがった。

時間(とき)がつくりあげるもの (2)