それぞれの生き方

 第5話 それぞれの生き方(1)


 吉祥寺という街は、東京23区外にありながら、ここ数年、住みたい街ナンバー1に選ばれ続けている。続く自由が丘や恵比寿に負けない魅力が吉祥寺にあるとすれば、それはコンパクトシティというコンセプトの条件を見事に備えているからだ。
 駅から歩いて約15分圏内に、新旧の店舗が連なるサンロードやダイヤ街といった地元商店街、PARCOや丸井、西友、ヨドバシカメラといった大型百貨店、専門店があり、その同じ地区に、街の喧噪を癒すかのような、緑にあふれる井の頭恩賜公園がある。
 メイン通りを少しそれると、中道通り、ハモニカ横町やヨドバシ裏といった、若者向けの個性あふれる店が軒を連ねる地区があり、次々と新しいカフェや雑貨屋が進出している。最近、注目されているのは、店舗すらもたず、自転車などである一定の時間帯だけ特定の場所で手作りのお菓子やパンを販売している若者たちだ。
 漫画家や小説家の住む町としても有名で、また、アニメーション制作会社やゲームソフトメーカーも多く、井の頭恩賜公園内にはジブリ美術館があり、週末には同公園内の井の頭池周辺で「アートマーケッツ」という手作り作品限定フリーマーケットが行われていることもあり、サブカルチャーの発信地としても名高い。
 住むにしても遊ぶししても便利、若者からファミリー、お年寄りまで楽しめる街、という意味において、間違いなく、吉祥寺はコンパクトシティの理想的なモデルなのだ。
 その、吉祥寺駅から歩いて10分、街の喧噪を離れ、井の頭公園の緑を臨む吉祥寺南町に、ナスティのゲストハウスはあった。
 ここは、古くからの住宅街で、何代にもわたってこの地に根ざしている人たちが住んでいる。よって、一戸一戸の敷地も家も広く、いわゆる、富裕層、といわれるご家族の居住区なのだ。
 ナスティの祖父も、この閑静な地区に都内で仕事をする時の自宅を構えていた。講演や研究会などで多くの大学に足を運ばなければならなかったため、23区内の大学にも、多摩地区の大学にもアクセスが便利なこの吉祥寺を選んだのである。そして、祖父なき後、ナスティがその敷地と家屋を継いで今に至る。


「しっかし、ナスティんちって、ホントに金持ちなんだな。小田原の家といい、山中湖畔の別荘といい、この家だって、二人暮らしにちゃ、広すぎるよな。」
 ゲストハウスに到着し、リビングに通された秀が、開口一番、皆の思いを代弁するように言った。
 夕方4時を過ぎた頃。
 吉祥寺駅構内のショッピングモール、ロンロンで買い物をすませた6人がナスティのゲストハウスへと着いた。
 前日に来ていた伸以外は、とりあえず、広い間取りのリビングに手荷物を置き、分かりやすくお客様を迎える仕様になっているリビングチェアで足を休める。その間に、ナスティと伸は、購入してきた食材やら何やらを簡単に片付け、ついでに、遅いティータイムの準備をして、リビングへと運んだ。
「あら、家と土地だけあっても管理が大変よ。結局、ダンナとは都内のマンションで暮らしているから、今はもう、誰も使ってないの。だから、ここをゲストハウスにリフォームしたのよ。その方が、使い道があるでしょ。」
 ナスティと伸が、それぞれの前に紅茶とケーキを並べる。ケーキは、吉祥寺が本店の多奈加亭のものだ。多摩地区に5店舗展開しているこの店は、ケーキの他にも焼き菓子やパンもおいしく、定評がある。吉祥寺に初めて来るという遼が、ご当地の名物が食べたい、とリクエストしたので、ナスティが遼たち5人をショーウインドウの前に並ばせて、やや驚く店員の目の前でケーキを選ばせた。
 ナスティと伸が、5人の前にケーキと紅茶をならべて、空いている席に座った。5人の気遣いもあり、ナスティがお誕生日席である。
「あら、なんだかとても不思議な感じ。」 
 リビングチェアに落ち着いたナスティが、5人を見遣ってくすりと笑った。
「みんな、素敵な青年に成長しちゃったんだもの。」
 ナスティが5人と初めて新宿で出会った時、彼らはまだほんの中学生と高校生だった。
 たった3歳、しかし、当時にしてみれば3歳も年上で大学生だったナスティにとって、まさに、彼らは戦士であると同時に、未熟な子供たちだったのだ。それは、戦いの合間に繰り広げられた共同生活という場で、特に実感していたことだった。
 アフリカでの輝煌帝をめぐる事件のあと、鎧にまつわる事件は起こる事はなかった。
 だから、彼らは個々で会うことや、連絡を取り合う事はあっても、ナスティを含め6人で集まるという機会はなかった。
 学生、というのは、長い人生の中である種、特別な時期だ。気があうあわないに関わらず、毎日、同じクラスメイトと時間を共にし、試験があり、季節毎に学校行事があり、受験があり、大学や専門学校に入れば、ゼミや就職活動やがあり、そして、毎年、出会いと別れがある。大人はいつしか忘れてしまうのだが、学生というのは、基本的に忙しいのだ。だから、結局、ナスティが成人した彼らを見るのは、今日が初めてだったのである。
 頭の中では、まだまだ子供のころの印象が強かった5人が、吉祥寺駅で、自分よりもひとつ頭以上背の高い、大人びた青年の姿で現れた時、ナスティは一人の女性としてドキリとしたのも事実なのだ。
「それを言うなら、ナスティもじゃないか。俺たちと妖邪界を走り回ってい時とは別人かと思うくらい、綺麗なヒトになった。駅で見た時、俺、すごい嬉しかったぜ。」
 少年時代より、少し低く、それでも艶のある声で遼が答える。お世辞を言う性分ではないのだから、きっと正直な感想なのだろう。
「ま、化粧も上手くなったみたいだしな。」
「まあ、秀ったら!」
 ナスティが柔らかく声を出して笑う。すると、再会の緊張と懐かしさをかみしめていた空気が、一気にほどけて、まるで、時間を超えたかのように、小田原のナスティの家で過ごしていた頃の雰囲気が戻って来た。戦いのつかの間に与えられた、休息と、喧嘩と、笑い声が許された時間。まだ、少年と少女だったころ。彼らが確かに、同じ時を過ごしたという証拠。
 ナスティにつられて、みんなも声を出して笑う。
「秀、失礼じゃないか。仮にもナスティは新婚さんなんだよ? 君は僕らの中で唯一の妻帯者なんだから、それくらい、気を遣わなきゃだめじゃないか。」
「そうだぞ、秀。恩義のあるナスティに、それは礼を失する言い方ではないか。」
 伸と征士が、秀を笑いながらたしなめる。昔の秀なら、ここで「はいはい、俺が悪かったよ。」と引き下がらざるを得なかったのだが、今は、状況が違う。既婚者という点において、秀のほうが他4人より一歩進んでいるのだ。
「全く、独身のヤツはこれだからダメなんだよな。俺のカミさんとか、もう、いつもスッピンだぜ? 出会った頃と別人。だから、結婚している女性に化粧がうまいっていうのは、褒め言葉なの。」
「そういうものなのか?」
 そういう事に一番疎い遼が、真顔で秀に尋ねる。
「そういうもんだぜ、遼。」
「ちょっと、秀! 遼にへんなこと、吹き込まないでよ。」
 伸が笑いを噛み締めながら、制止する。大将の遼を、純粋なまま守りたいという伸の気持ちは、出会った頃から変わらない。
「遼ったら、そんな様子じゃ、彼女の一人もいないのかしら? 確か、保育士の資格をとって、保育園の先生だって聞いたけど。女性の職場だからもてるんじゃない?」
「そんなことないよ、ナスティ。俺、純粋に子供たちと触れ合いたくて、保育士になったんだぜ? バレンタインだってもらった事ない。」
「あら意外。あなたの職場の女子職員の目は節穴かしら。」
 バレンタインに関しては、もらった事がないのではなく、もらわないようにしている、というのが遼の現実である。その深い理由については、ナスティの知るところではなかった。
「しっかし、遼が保育士になるって言い出した時にはびっくりしたぜ。てっきり、お父さんの後をついでカメラマンになるのかと思ってたからさ。」
「うん、僕も。だって、ちょうど遼が受験勉強中の時、お父さんの写真集が発売されて、話題になったよね。しかもモデルが白炎じゃない! 山口市内で一番大きい本屋さんで、平積みにされてたのをみて、僕、笑っちゃった。だから、てっきり、お父さんの後を継ぐって思ってた。」
 遼が高校3年生の時、父、真田修は写真集『日本の霊虎』を出版した。日本では未確認のはずの野生の白い虎が、中央アルプスの自然を背景に、遠景から撮影されているその写真集は、国内外で高い評価を得た。遼がかつて住んでいたログハウスは、今は真田修氏の常設のギャラリーとなっており、遼自身は甲府市内のアパートで暮らしている。
「今更確認だけど、あれ、白炎よね?」
 ナスティの質問に、遼は苦笑いをした。
「そう、白炎だよ。父さんが、ずっと白炎を撮影したがってたのを知ってたからさ。高校2年の夏休み、父さんと一緒に旅行する口実で、白炎にも来てもらって。近すぎず遠すぎず、ってところに居てくれるように頼んだんだよ。途中で、父さんも、俺がいると白炎が現れることに気づいたらしくて。あがってきた写真を見た時は、父さんもお世話になってる出版社の人も、泣きながら喜んでた。」
「じゃあ、どうして遼は写真の道に進まなかったの?」
 ナスティの問いに、遼の笑顔に影が過る。
「父さんの仕事を、写真を否定するつもりはまったくないんだけど。一緒に旅行する時に、感じたんだ。カメラで何かを追って撮影する行為って、どこか、獲物を探して射る行為に似ているなって。だから、俺にはむかないって思った。それに、実際に写真で食べていくって大変なんだ。父さんの写真仲間の話を聞いているとさ。例えば、商業カメラマンとして、物を撮影する仕事があるだろ。雑誌の服や靴なんかを撮影する仕事。あれ、4時間で200カットも撮影しなきゃいけないんだぜ。まだ、カメラがアナログだった時代はカメラマンの方が主張できたけど、今じゃ完全デジタルで、後でフォトショップでいくらでも修正がきくから、カメラマンはもう、デザイナーの注文通りにひたすら撮影してデータを管理するだけの仕事なんだ。だから父さんや、他の写真集を出しているようなカメラマンは、才能ある作家の領域に入るんだよ。正直、俺には無理だなって思った。あ、でも趣味でカメラはやってるぜ。保育園の子供たちの記録写真、撮ってるんだ。可愛いよ。」
 5人が神妙な面持ちで遼を見つめる。その視線の先で、遼は、困ったような笑顔で話を続けた。
「純の影響かな。子供の相手するのって、楽しいって思ってたし。そういう仕事につければなと思って保育士になったんだ。俺には、多分、子供はできそうにないから。」
「あったりめえじゃん! 遼、お前が子供生んだら、俺泣くからな!!」 
 即答したのは秀である。
「いや、秀、そういう意味じゃなくて。」
 さらに困ったように遼が笑い、隣に座る征士をちらりと見る。
 征士は小さく咳払いをして、秀をたしなめるように言った。
「秀、冷静に考えろ。どう考えても、遼に子供が生める訳なかろう。」
 その遼と征士のやりとりを見て、秀はようやく納得し、かつ、彼ら二人が自分が考えている以上に深い関係になっていることに初めて気づいたのである。
「で、征士は? 確か、教職免許とって学校の先生をやってるって聞いたけど。君こそ、おじいさまの道場を継いで、剣道の先生をやるんじゃなかったのかい?」
 伸が面白そうに尋ねる。征士と遼の関係については、実は伸が一番良く知っていた。
「確か、東大卒だろ?」
「からかうな。東北大だ。」
 秀の冗談に、真面目に対処するのは相変わらずの征士である。
「少子化ということもあって、道場だけでは生計をたてることはできないのだ。だから、せめて学校で剣道を教えたいと思ったんだが。」
 ふいに征士が黙り込む。どこから話せば良いのか、迷っている様子だった。
 その沈黙に答えたのは遼だ。
「征士さ、今、女子高の先生なんだよ。」
「女子高!!」
 遼と当麻を除く4人が、そろえて声をあげた。
「驚くことではない。一応、共学に希望は出しておいたのだが。実際のところ、教師は余っているのが現状なのだ。それで丁度、祖父の同級生が理事長を勤める私立の女子高に、欠員ができたのでな。臨時職員として採用してもらったのだ。残念ながらお嬢様学校で、女子剣道部もない。」
 婿養子の父に、剣道の師範代を務める母、気の強い姉妹に囲まれて育ち、女性とは一線おいて振る舞う、そんな征士を知っていたから、その張本人が女の園である女子高の先生とは、因果なものだと皆、心の中で思ったのだった。
「う〜ん、なんだか感慨深いね。百合の花園の中に咲いた黄金の牡丹って感じ。」
 笑いを堪えながら伸が素直な感想を述べた。
「花園? そんなに良いところではないぞ、あそこは。」
「征士にとっては、でしょ。で、何を教えているんだい?」
「古典だ。」
「古典? 征士、そのまんまじゃねえか!! もっと意外性のある教科にしろよ!」
「征士は歩く古典みたいなもんだからなぁ。僕もぜひ、その授業を受けてみたいよ。」
 茶化す秀と伸に、征士はひとつため息をついた。大体、反応は予想していた、ということなのだろう。
 そんな征士を横目に、瞳にいたずらっぽい光を輝かせて、遼が少し、体を前に乗り出して言った。
「でさ、征士の顧問してる部活って何だと思う?」
「遼……。」
 征士が、内緒話を咎めるように小さく名前を呼ぶ。しかし、呼ばれた方は、悪びれる様子もなく笑顔でみんなを見遣った。
「そう、だよね。先生なら顧問の部活があってもおかしくないよね。でも、剣道以外にっていうと。お嬢様学校だから、和歌を詠む部活とか。」
「征士のことだから、歴史関係の部活なんじゃない?」
「ナスティも伸も外れ。実は……」
「美術部顧問だ。」
 遼の言葉を遮って、迷いを断ったようにきっぱりと征士が言った。
「美術部顧問って。征士、お前、絵の知識あるのかよ。」
「日本画なら少々あるが、それ以外はさっぱりだ。」
「それで、よく顧問を引き受けたねえ。」
 秀と伸の言葉を、もっともだと納得し、征士は説明を始めた。
「私の前任の先生がそもそも美術部の顧問だったのだ。しかし、私には絵の知識はないからと一応断ったのだが、美術部の部長から日本画を描きたいからと頼まれた。それで引き受けたのだが。どうも、最近の日本画というのは、昔の日本画と意味が違うのだな。皆、普通にアクリル画や油絵を描いている。」
「それのどこが日本画なんだ?」
「うむ。わたしが剣道着や浴衣といった、日本古来の服装をしているところを、皆、描いているのだ。先日は、演劇部から借りて来たという狩衣(かりぎぬ)を着せられたな。」
「おい、それって、単にコスプレのモデルとして美術部顧問にスカウトされたって言わないか?」
 的確な秀の指摘に、本人と当麻以外は大爆笑した。まさしくその通りなのだ。
 そして、征士の関かり知らぬところで、美術部と漫画研究会による「金髪でアメジストの瞳を持つ美しい先生」の怪しげな同人誌が作られ、東京のお台場あたりで販売されていることは、知る由もなかった。

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