第4話 集結! 5人の元鎧戦士
鮮やかな唐紅の着物を身にまとった童女が、じっと何かを見つめていた。
視線の先には、立派にしつらえられた雛(ひな)飾り。
宮中の御殿を模した色とりどりのお人形が、静かに座している。
ああ、これは姉さんのお雛様じゃないか。
伸はこころの中で思った。
幼い頃から、毎年、3月3日になると毛利家では盛大にお祝いをしたものだが、姉の結婚を機に雛飾りを出す習慣だけが残った。
童女が振り返る。その顔は、まだあどけなく、小学校にもあがっていないくらいの年頃だろうことを思わせた。
「これは、あなたのものなの?」
「ちがうよ、ぼくのおねえさまのものなの。」
いつの間にか、白い袍をまとった幼い男の子が、童女の隣に立っていた。琥珀色のくせのある髪と、それに合わせたような、色素の薄い肌。
え、これは僕?
伸の戸惑いをよそに、二人の会話は進んでいった。
「あなたは、これを覚えているの?」
「うん、おねえさまの大切なものだからね。ちゃんと覚えてる。綺麗なお人形、僕は好きだよ。」
その言葉を聞いて、何を思ったのか、童女は満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう。嬉しい。そうやって、みんな覚えておいてくれるといいのにな。」
「僕は忘れないよ。」
幼い伸が童女の手を取ろうとした、その時、不思議なことが起きた。
伸の手は確かに、童女の手を掴んだのだが、するりと抜けてしまったのだ。
呆然と立ちすくむ幼い伸に童女が、悲しく微笑む。
「わたしは、生まれ損ないだから。」
「ちゃんと生まれたあなたと違って、触れることもできないの。」
「それでも、忘れないで欲しいってずっと思ってきたの。」
「伸!ほら、起きて。」
浅い眠りの向こうに懐かしい声を聞いて、伸は目を覚ました。
どうやら、リビングのソファで居眠りをしてしまったようだった。
伸は、昨日の午前遅くに東京に着いてから、ナスティと一緒に散々、裏原宿と表参道を歩き回ったのだ。体力に自信があるとはいえ、人混みに神経が参ってしまってもおかしくはない。
「ごめん、ナスティ。眠るつもりはなかったんだけど。」
申し訳なさそうに、伸は呟いてから、声の主を見上げる。
「いいのよ、昨日の今日じゃ、疲れてるものね。う〜ん、それより。」
「それより?」
「ちょっと面白いかもしれないわ。」
「え、何が?」
ソファにもたれかかった伸を、ナスティはじっと見つめた後、おもむろに携帯電話を取り出して、その画面を伸に見せた。
「……って、ちょっとナスティ!! 勝手に何やってるんだよ!」
携帯の鮮やかな液晶画面には、先程まで居眠りをしていた伸の、無防備に安心しきった寝顔が映されている。
「あら、伸が眠っていたのが悪いのよ。ふふ、自分の寝顔の感想は?」
ナスティが子供をからかうように言ってから、伸の手元から携帯電話を取り返す。
伸は、ひとつため息をついてから、考えるように答えた。
「うーん。僕って相変わらず童顔なんだよね。なんだか、他の4人に逢うのがちょっと心配だよ。最年長なのに、馬鹿にされそうじゃないか。」
「え、ええ、そうね。最年長だったわね。」
「で、ナスティ、何が面白いんだい?」
真面目に尋ねられて、ナスティはひどく困ったような、それでいて笑みを浮かべて答えた。
「伸が自覚してないんじゃ、仕方ないことよ。さ、そろそろ時間だわ。家を出ましょ。」
JR吉祥寺駅。
中央線と京王井の頭線の乗り入れるこの駅は、新宿と渋谷に直結しているということもあり、時間帯を問わず人にあふれている。午後3時近くという、中途半端な時間なこの時間でさえ、行き交う人が視界から途切れることはない。特に、4月の花見シーズンの今は、通常の3割増しの人の多さだ。
ナスティと伸は、公園口改札付近で、流れる人波をちらちらと見ながら、改札向こうから現れるはずであろう懐かしい顔ぶれを心待ちにしていた。
遡ること3月の後半、ナスティは遼、秀、征士、伸、そして当麻に、4月の第2週に、東京で集まることができないかと連絡をいれた。
鎧に関すること、ひいては、10年前のあの戦いに関することで、どうしても会わせたい人がいるのだという理由だ。
5人に、それを断る理由はなかった。
鎧と、それにまつわるいくつかの出来事は、少年時代の彼らの心に、大きな影響を残した。
力とは何か、心とは何か、人とは何か。
おそらく、同年代の少年たちが、普通の生活の中では考える事もないであろうことを、5人は幼いなりに考え、戦ったのだ。
その結果として、世界は守られた。
それが、永久の平和を約束するものではないと、分かっていても。
鎧と、それにまつわる事件をについて知っているのは、自分たち当事者と研究をしていた柳生博士だけだと、皆、当時は考えていたのだが、それぞれが成長するにつれて、疑問が生じていたのも事実だった。
果たして、あの戦いは、本当に自分たちだけが知っているものだったのか、と。
世界というものは、そんなに狭いものなのか、と。
あの戦いは、それのみで本当に終結していたのか、と。
そんな折のナスティからの連絡だった。
だから、皆、仕事を返上して東京に集うことになったのだ。
「ねえ、ナスティ。あれ、秀じゃない?」
伸が、改札の向こうの人波の中に、どこか懐かしい面影を残した青年を見付け、ナスティに合図をした。
「まあ、秀!」
長い髪を揺らして、ナスティは嬉しそうに笑い、それから大きく手をふった。
「秀! こっち、こっち。」
どうやら秀の方も気づいたようだった。
迷う事なく改札を抜け、人波をうまく避けてナスティたちの方にやってくる。
「よう、ナスティ。 久しぶり!」
「秀、久しぶりね。なんだかずいぶん、大きくなったみたい。」
ふふ、とわらって、ナスティは秀を見上げる。
「まあな、かみさん持つと、大きくなんなきゃな。いつまでも子供じゃいらんねーってやつさ。で、まだナスティ一人?」
「え、伸もいるけれど。」
ナスティの右後ろで様子を伺っていた伸が、くすくす笑っている。
「し、しん? 本当に伸なのか!?」
先程まで機嫌よく笑っていた秀が、目を大きく見開いて伸を凝視する。その表情は、何か新種の食材でも発見したかのような驚きようだった。
「失礼だな、秀。しばらく会ってないからって、顔まで忘れちゃったのかい?」
「そ、そんなことはないぞ。ただな……。」
「ただ?」
「いや、伸、お洒落だなと思ってな。山口からでてきたわりには。」
まさか、てっきり女の子だと思っていたとは口が裂けても言えない秀である。
「ナスティのおかげだよ。昨日さ、東京に着いたんだけど。こっちの人、みんなお洒落じゃないか。5人の中で僕一人、一番田舎だからさ。ナスティに案内してもらって、流行の最先端だっていう裏原宿と表参道で、何着か、ナスティの見立てで服を買ったんだよね。それも、ダンナさんの知り合いのお店だったから、とても安くしてもらったんだ。」
「そ、それは良かったな。」
中華街という職場柄、秀は同世代やもっと若い子たちの服を見る環境に恵まれている。伸の着ているそれは、確かに、今の若い子たちが好んで身に纏うものだったが、同性が着ているのは見た事がなかった。しかし、問題はそこではなくて、伸が違和感なくそれを着ていることである。
「秀の方はどうだい? 元気だった? ま、秀から元気をとっちゃったら何も残んないと思うけどね。」
「う〜ん、口が悪いのは相変わらずなんだけどなぁ。」
「おかげさまで。」
時の流れは、人とのつながりをを引き裂くこともある。
けれど、彼らにとって、それはあり得ないことだった。
離れていても、深まる縁というのは存在するのだ。
そのきかっけが、たとえ、痛みにあったとしても。
だから、伸も秀も、一瞬にして離れていた時間を取り戻すことができる。
「おーい、みんな!」
3人で話し込んでいると、改札の向こうから元気のよい声が聞こえた。
人波よりひとつ頭出ている、長身の二人の青年の姿はよく目立つ。
「お、遼じゃねえか。征士も一緒にいやがる。なんでだ?」
改札を抜けて、遼と征士は人混みをうまく避け、ナスティたちのところへやって来た。
「ナスティ、秀、久しぶり!」
「久しぶりだな、ナスティ、秀。」
少年時代と同じく、生き生きとした瞳の遼。そして、こちらも相変わらず、美丈夫を絵に描いたような征士。
ただ、その纏う雰囲気が、大人のものに成長している。
「久しぶりね、遼、征士。いい男になっちゃって!」
嬉しそうに二人を見比べるナスティを横目に、秀が疑問を差し挟む。
「なあ、なんで遼と征士が一緒に来てるんだ? 遼は甲府からあずさで三鷹駅か新宿駅乗り換えだろ。征士は東北新幹線で東京駅乗り換え中央線。まさか、偶然、一緒になったとか言うなよ。」
「違うんだ、秀。俺たち、昨日から東京に来てたんだ。久しぶりの東京だから、観光でもしようって征士と計画して。だから今日は、品川のホテルから一緒に来たんだよ。」
「遼!」
珍しく、慌てた表情で征士が遼の言葉の先を遮る。遼が、何?とでもいう風に征士を見て笑った。
「で、何で、俺だけ仲間はずれなわけ?」
その言葉とは裏腹に、秀の表情には、意地の悪い笑みが浮かんでいる。
「いや、俺は秀も誘おうって言ったんだけど。征士が、秀は仕事も家族もあるからって。」
「奥方のいるお前を、そうそう遊びに連れ出すわけにはいかないだろう。しかも、秀は東京観光する意味がないではないか。」
「へいへい、独身貴族同士で遊んでろよ。」
一言、毒づいてから秀は、人の恋路のなんちゃらにならないように、と心に決める。今に始まったわけではないが、征士は相当、苦戦していることを知っているのだ。
「ところで、伸と当麻は? あいつらも、今日、来るんだろ?」
遼が、黒曜石を思わせる瞳を輝かせて、ナスティに尋ねる。
尋ねられた方は、困ったように右後ろを振り返った。
「久しぶりだね、遼、征士。」
別に隠れていた訳でもなかったが、自分に気づかれる様子もなかったので黙っていた伸が、ようやく出番、とでもいう風に二人に声をかける。
声をかけられた方は、唖然として、かつての戦友を見つめるだけだった。
「あれぇ、秀だけかと思ったら、遼と征士まで、僕の顔、忘れちゃったのかい?」
「し、しん!?」
「……伸なのか? いや、確かに伸だが。」
二人とも、言葉に詰まった様子で、先が続かない。ただ、その容姿をまじまじと眺めるだけである。
「ん? 僕の格好、何か変かい、遼。」
「い、いや、すごいお洒落だなと思ってさ。山口って都会なんだな。」
「違うよ、遼。これは東京で買ったんだ、昨日。」
そういって、ひと笑いした伸は、遼と征士に、昨日の経緯を話した。
説明をうけたところで、首都から離れて暮らす征士と遼にとって、東京のお洒落事情が凄いのか、それがあまりにも似合ってしまう伸が凄いのか分からないのである。なので、納得するしかなかった。
「しかし、遅いね、当麻は。3時に集まる約束だったよね。」
伸が腕時計を見た。
すでに、集合時間から15分は過ぎている。
「あれ、当麻じゃないのか?」
遼が、改札とは全く反対方向、駅の外から構内に流れる人波の中に、蒼みがかった髪の青年をみつけて指差す。
「間違いない。当麻だ。」
征士がぼそりと呟くと、秀が大きく手を振った。
「おおい、当麻! こっちこっち!」
当麻は気づいたらしく、人混みをかき分けるようにやってきて、懐かしい顔ぶれの前に現れた。
「よう、遅れてすまん。ヨドバシによってたら、ついつい時間を忘れちまってな。」
元・軍師は悪びれる様子も懐かしむ様子もなく、まるで日常の延長のような返事をして、目の前の面々を眺めた。
「みんな、元気そうじゃないか。しかも、ムダにでかくなったな。」
「当麻、それを言うならお前もだ。第一、貴様はまず、我々に何か言わねばならぬのではないか?」
征士の険を孕んだ声に、当麻は心あたりがない、といった様子で首をかしげた。
遼と秀は、心待ちにしていた皆との再会が不穏な様子を見せ始めた事に、戸惑いを隠せない。
二人の気持ちを代弁して、ナスティが会話に割り込んだ。
「積もる話は、後にしましょうね、征士。」
その一言で、気づいたとでも言うように当麻が、あ、と声をあげた。
「そっか、俺がアメリカに行ってた事か。」
「そっか、ではない。皆、心配しいてたのだぞ。」
「ちょっとな、いろいろあってさ。ま、それは後でな。」
それ以上、征士との会話には興味をなくした、というより、それ以上のものを見つけたとでもいうように、当麻は、4人の少し後方で、その成り行きを眺めていた伸に目をやってから、ナスティに尋ねた。
「水くさいなぁ、ナスティ。俺たちに会わせたい人がいるって、女性だって先に教えておいてくれよ。てっきりムサイ研究者かと思ってたじゃないか。」
「と、当麻?」
「おい、当麻!」
どうやら、他の懐かしい友人たちの忠告の声は届かなかったらしい。
当麻はつかつかと伸に近づき、手を差し出した。
「はじめまして。俺、羽柴です。ナスティの古い友達で、今は、アメリカの大学の依頼を受けて、プログラミングの仕事してるんだ。一年前に、この近くに越して来たから、吉祥寺は詳しいし、良かったら今度、お茶でもどうですか?」
「はじめまして。毛利伸です。」
差し出された手を、やさしく握り返しながら伸は満面の笑みで答えた。
反対に、当麻の顔からは笑みが消える。
「……し、し、しん!!!?」
その声が、あまりにも大きかったので、一瞬、通行人がこの目立ちすぎる集団を振り向いたが、しかし、雑踏はすぐに、雑踏に戻った。
「当麻、うるさいよ。君は第一、みんなと本当に久しぶりだというのに、そのかけらも感じさせない態度はなんだい?」
握っていた手を離して、さっと笑みを消した伸が、今度は咎めるように、当麻を見つめる。
「大体、昔の友達の顔を忘れるどころか、ナンパするなんて最低だね。アメリカで何を習って来たのさ。」
「お前、その格好をしておいて、それはないだろう!」
「ん? 僕、なにかおかしな格好をしているかい? 一応、ナスティの見立てなんだけど。」
同意を求めるように、伸は、他の顔ぶれを見渡す。しかし、ナスティ以外は目を泳がせたまま、両者を見ようとはしなかった。
ナスティだけが、くすくすと笑っている。
「どういうことだ!ナスティ、説明してくれ!」
「説明するもなにも。似合ってるでしょ。言っておくけど、女装じゃないわよ。一式、メンズのお店で揃えたの。あなたたちの中で、この格好ができるのは、伸しかいないものね。でも、まさか、当麻ったら、いきなりナンパなんて。」
ナスティは、当麻が伸をナンパしたのが余程、面白かったらしく、笑うのをやめない。
残る4人は、改めて伸の格好を眺める。
太めのボーダー柄の、ニット生地の短めチュニック、ショートパンツにメンズレギンス。靴はさすがに男物だが、女性が履いていてもおかしくないデザインのものだ。
確かに、吉祥寺駅構内で良く似たスタイルの女性はたくさんいるが、さすがに男性はいない。
しかし、かといって、伸にその格好が似合っていない訳ではなく、似合いすぎている事の方がおかしいのだと、当事者を除く4人ははっきりと理解したのだった。
この珍妙な再会劇を仕掛けた彼らのお姉さんは、意外な結末に満足したらしく、5人を見遣ってから、先を促した。
「さあ、全員、無事集まったことだし、ロンロンで夕飯の買い出しをしましょ。それからゲストハウスに案内するわ。歩いて10分だから、すぐよ。」
2009.11.19 脱稿
やっと、5人がでてきました。。が、人数が多くて書きづらい(笑)なぜ、吉祥寺駅なのかとかいろいろは次の話で。実は、この回は、もっと長い話だったんですが、あまりにも長くて次にまわしました。しかし、ナス姉、怖いなぁw って、単に別嬪な毛利さんが書きたかっただけなんだろうか。この設定では、輝煌帝以来、伸は他の4人に会っていないことになってます。電話やメールはしてると思うけど(たまに)