第3話 ナスティからの手紙

 第3話 ナスティからの手紙


 車椅子を押す伸の琥珀色の髪が、あたたかいの春の海風に揺れた。
 それが合図のように、伸は、そこに座る老婆に声をかけ、車椅子を止める。
 山口県萩市から少し離れたところにある、ホスピス内に設けられた公園の一角だった。
 視界には、紺青の海が開ける。
 時折、近くにある嫁泣港から出た漁船が、海と空の間をかけてゆく。
 老婆は、この港から見える漁船が好きだった。早くに亡くした夫もまた、同じ様に、この港から船を出していたからだ。
 伸はそれを知っていて、老婆の散歩の時は、この場所に止まる。
 潮風だけが吹く、静かな時間が過ぎた。
 年老いた者には、年老いたもののみが感じられる時間感覚というものがある。施設職員の伸に、それを侵す権限はない。
 幾許か経っただろうか。
 老婆がぽつり、と話し始めた。
「昨日、わたしに電話があったでしょう。」
「ええ、確か、八千代さんの息子さんからでしたね。受け取ったのは僕でしたから。」
「やっとね、息子が婚約することになったのよ。」
 そこで、素直に「良かったですね」とは言わない。
 ホスピスという特殊な環境では、その外と中では価値観が反転している場合もあるからだ。
「ほら、わたしがこんな体でしょう。なかなか相手の方のご両親が良い顔をしてくれなくて。」 
 伸に八千代さん、と呼ばれた老婆は、自嘲するように自らの右手を持ち上げようとした。 
 その手は、年不相応に皺がより、大きく震えている。
 彼女の体は、五十代後半からリウマチに冒されていた。
 本格的に動けなくなったのは、還暦を超えてからで、そのころに、このホスピスに入所した。
 入所してから、間もなく内蔵も冒され始め、担当医から何度も余命一年の宣告を受けたが、奇跡的にもその心臓は止まることはなかった。
「先月の終わりに、息子がお客さんを連れて来たでしょう。」
「ええ、確か、一年ぶりだと思いますが。家族の話だからって、八千代さんが、施設長を部屋から追い出した時ですね。」
 伸が小さく笑う。
 老婆も同じように笑った。
 二人の間には、そういう信頼関係が成り立っていた。
「あの時のお客さんが、息子の相手のご両親だったのよ。」
 そこで、沈黙が降りる。
 その時、どのような会話がなされ、どのような決断がされたのかは、親しい関係であっても伸が踏み入ってはならない。それが「彼女」と「施設職員」の距離なのだ。ボランティア時代を含め、5年の歳月で伸が学んだことでもある。
「その時に知ったでしょうね。この姿を見て。わたしの寿命が長くない事を。先々、面倒を見なくても良いことを。だから、嫁がせてもいいって思ったんでしょうねぇ。」
 老婆はそこまで話して、黙った。
 潮風に耳を傾けるように。
 伸は、海の彼方に視線を遣り、老婆と出会った時のことを思い出していた。
 大学時代、週末ごとにボランティア職員としてこのホスピスに通っていた。通い始めて一ヶ月、ようやく慣れて来た頃、老婆が入所してきたのだ。
 入所してその日から、老婆は施設の中の噂の人となっていた。
 男女問わず、人当たりの良い笑顔で話す一方、男性職員には絶対に自分の介護をさせなかったのだった。自分の部屋に入れる事すら、施設長に直談判をし、禁じたのである。
 そんな事を知らない伸は、週末、いつものようにホスピスにやってきて、新しい入所者が入った事を正職員から教えてもらうと、老婆のところに挨拶に行った。
 老婆は、「ボランティア職員 毛利」のネームプレートをつけた伸を、笑顔で部屋に迎え入れ、自分の故郷の話や趣味の話を一通りすると、穏やかな笑みでそれに静かに聞き入っていたボランティア職員のことを随分と気にいったらしく、自分を、車椅子にのせて施設内の公園に出して欲しいと言い出した。
 しかし、それは当時の伸の権限ではできなかったので、担当の正職員の女性に相談すると、ひどく驚かれたものの、大学で一通りの介護術を心得ていることを職員は知っていたので、「無理しないでね」と付け加えて許されたのである。 
 その時に初めて、伸は老婆を車椅子にのせて、この公園の、この場所にやってきたのだった。
 それから二年後、伸はこのホスピスの正職員として働き始めた。
 その段に至って、初めて、老婆、塚乃八千代は「毛利 伸」という名前と彼の性別を知ったのであった。 
 このホスピスに多く伝わる「毛利伝説」の一つとして、今でも新入職員を迎える飲み会では必ず話題にあがっているエピソードである。
 潮風が止み、海鳥が高い声でひとつ鳴くと、高い空へ舞い上がった。
「わたしには、もう、これで思い残す事はなくなったわ。いつ、お迎えがきても大丈夫。」
 伸は答えない。
 それは、老婆の独り言だと分かっているからだ。
「昨日、夢の中で旦那に会ったのよ。あの人、相変わらず真っ黒焦げでね。向こうでも漁師やってるのかしらって、笑っちゃったわ。」
 そこまでしゃべって、老婆は小さく震えた。春とはいえ、まだ3月半ばの潮風はわずかに寒さを含む。
「八千代さん、そろそろ寒くなってきましたね。部屋に戻りましょうか?」
 伸は、老婆の体を気遣い、確認をとってから車椅子を持つ手に少し、力をいれた。
 それに気づいた老婆は、待って、というように、伸に声をかけた。
「毛利くんと会って、もう5年なのね。」
「ええ、僕もそのことを思い出していました。まあ、でも八千代さんは僕が毛利『くん』だと知って、3年ですけどね。」
「ふふ、それは毛利くんが悪いのよ。まさか、こんな綺麗な子が男の子なんて思わなかったんだもの。正直言うとね、息子よりも、毛利くんの方が好きよ。こんな綺麗で若い子に看取られるのかと思うと、病気に感謝してるくらい。」
 老婆は、若い娘のように笑って、それからわずかにトーンを落とした声で伸に尋ねた。
「もし、わたしが死んだら、毛利くんは泣いてくれるかしら。」
 伸は、すぐには答えなかった。
 車椅子を止め、老婆の正面にまわりこんでかがみ込み、視線を同じ高さにして、その皺に埋もれるようにしてある両目を碧い瞳に映した。
「八千代さんが死んだら、僕は泣きますよ。でも、死んだ事を否定はしないし、恨みもしません。天に向かって返してくれとも言いません。八千代さんが死んだら、死んだということを受け入れます。」
「それは、副施設長としての言葉かしら?」
「いえ、僕個人の意見です。」
「ありがとう。これで、本当に安心して、旦那のところにいけるわ。」
 老婆は小さく笑みを浮かべて、それから伸に部屋に帰るように促した。


 夕方6時。
 明日の日曜が遅番の伸は、今日は中番で、定時にあがるシフトになっていた。
 施設長に挨拶をして事務室を出ると、職員室のタイムカードを押して、部屋を出る。
 そこには、女性施設職員の人だかりができていた。
 ……きたな。
 内心、苦笑した伸だ。
 全く同じ光景が、今朝、出勤直前に繰り広げられていた。
 今日に限った事ではない。この施設を職場にしてから、3月のこの日は、これが恒例行事になっていた。
「毛利副施設長、お誕生日、おめでとうございます!」
 話し合いが行われたのかどうかは知らないが、女性職員の中でも最年長、といってもまだ三十路に踏み入れたばかりの女性が声をかけると、次々に「おめでとうございます!」と声が続いた。傍からみれば、なんだか怪しい宗教団体の教祖とその信者にも見えなくもない。
 そして、次々に差し出されるプレゼントの嵐。
「ありがとう。」
 伸は穏やかな笑顔を普段の2割増くらいに振りまいて、誰がどのプレゼントなのか確認する暇もなく、それらを受け取る。
 それが、一通り終わると、女性施設職員の目が輝きだす。
 次に何が起こるかを知っているのである。
「本当にいつもありがとう。で、これは僕からのバレンタインのお返しだから、受け取ってね。」
 伸は、あらかじめ用意してあった『プレゼント』を、ひとつひとつ、丁寧に渡し始めた。 
 手渡された瞬間に、伸の手に触れて真っ赤になる、まだ一年目の職員もいれば、伸より長く働いている職員は、この日だけは公認、とばかり、伸の手をしっかりと握り返したりする。中には、届かぬ思いと分かっていてもはかない恋心を抱いている職員もいて、そんな彼女は、あまりの切なさにうっすらと涙をうかべているのである。彼女たちは、もちろん勤務中なのだが、この日だけは、うまく調整してその時間帯の仕事を男性職員に任せてしまう。しかし、伸は一度も、同じ男性施設職員から不満を言われた事がなかった。
 それは、伸がボランティア時代からとても真摯に、この仕事と向かい合っているのを皆が知っている事と、そして、誰も声に出しては言わないが、やはり男性施設職員の多くが伸を「同じ男性」として見る事ができていなかったためである。

 副施設長である伸が、晴れた日の海より明るく綺麗な笑顔を残してその場を去ると、女性施設職員たちはわらわらと職員室に入っていった。施設利用者も使用する廊下にいつまでもたむろしているわけにはいかないのである。
 皆の興味は、すでに「副施設長からのプレゼント」へと移っていた。
 伸が、このホスピスにボランティアで通い始めてから、仲の良くなった数人の女性職員が誕生日を聞き出そうとしたが、その度に伸はやんわりとした笑顔で答えることを拒否したのだ。しかし、入社後、正職員として働く以上、事務方から履歴書の情報は簡単に流れた。

 「ホワイトデイの王子様」

 このホスピスで働き始めた一年目につけられた、伸のあだ名である。むろん、伸の知らないところで使われていたものだから、彼が、バレンタインのお返しに、と先輩女性職員に手作りクッキーを渡してしまったことで、さらにこの名前に箔が付いてしまったのは、伸のせいではない。
 ただ、その日以来、バレンタインとホワイトデイには、多くの女性施設職員が伸にプレゼントを渡し、伸は、自分の誕生日にバレンタインのお返し用の手作りクッキーを焼いて手渡す、というのが恒例行事となってしまった。
「今年のクッキーは桜クッキーだわ。」
 一番最初に、丁寧にラッピングを施された「プレゼント」をあけて確かめた年長の職員が言った。
「去年の抹茶クッキーも絶品だったから、期待大よね。」
「一緒に食べられたら、もっと幸せなのにな。」
 そんなことを呟くのは、このホスピスの新人である。王子様である副施設長はみんなのもの、それがこのホスピスで働く多くの女性職員の共通認識であり、よって、誰も特別に伸に近づこうとはしないのである。
「副施設長って、今は彼女とかいない感じですよね?」
 プレゼントを大切に抱きしめて、先輩職員に尋ねたのは、先程、うっすらと涙を浮かべていたうら若い女子職員だった。
 実は、彼女は伸と同じ、山口福祉文化大学の二年後輩で、伸に憧れて、このホスピスで働くようになったという経緯を持つ。
「とりあえず、ボランティア時代からここ5年、浮いた話は聞かないわよね。」
「っていうか、副施設長の隣に座る彼女がかわいそうだわ。毛利くんより綺麗な女子が、こんな田舎にいるわけないもの。」
 一同、納得の沈黙。
「あの、別の男子職員の先輩から聞いたんですけど。」
 切り出したのは、もうひとりの新人職員だ。
「高校時代、山口市内の男子校で、その、男の子とつき合ってたって噂、本当ですか?」
「出た、毛利伝説。」
 ここの現副施設長には、不思議な噂が多い。それを称して「毛利伝説」という。そして、この誕生日は、女性職員がそれについて多いに語るのである。 
「その話は毎年出るけどね。確かに男子校だったけど、男子とつき合ってたどうかは未確認。まあ、最初のネタ元は、毛利くんと一緒にボランティアに来てた男子学生が、おもしろ半分に話した事だと思うんだけど。」
「火のないところに煙はたたぬ、とも言うけどね。」
 別の中堅職員がフォローにならない答えを返す。
「でも、わたしの姉が毛利先輩と同級生で、姉の女友達とつき合ってましたよ、大学時代に。」
 憧れの毛利先輩をフォローするのは、後輩の切なる期待かもしれない。
 いわゆる、「毛利伝説」、つまり伸に関する噂が極端に多くなってしまうのは、彼自身の言動によるものだった。
 ボランティア時代から、温和で人好きのする、綺麗な男の子、と施設職員に受け入れられて来た伸だが、正職員として働き始めると、意外な一面を見せた。
 私生活やプライベートな話を一切、職場に持ち込まないのである。
 ホスピスという職場柄、職員全員で飲み会などはできないし、よくあっても、歓送迎会ぐらいである。
 伸は、飲み会に誘われても、男性女性と関わらず、「下戸だから」という理由で断って、一度も参加したことはなく、歓送迎会でも、やはり、アルコール類は一切飲まず、周りがどんなに騒いでいても、施設で働いているときと同じ、やわらかい笑みを浮かべたまま、その様子を楽しんでいるだけだった。アルコールのまわった同僚の話をよく聞きはしても、自らのことを話す事は全くなかったのである。
 ゆえに、決して、人付き合いが悪いわけではないのだが、自分たちと同じ世界に居ない感じ、というのが、多くの職員が伸に対して抱いている感触である。施設長が、まだ若い伸を、職員をまとめる副施設長に抜擢した理由も、そこにあった。
 彼なら、特別に誰かをひいきしたり、おとしめたりしない、と信頼したのである。
 実際、伸は、職場の同僚や先輩たちと、精神的に違うところにいたのだ。
 それが、伸の、十代半ばにおける壮絶な体験に基づいていることは、誰も知ることはなかった。
 この、人の死をやわらかく受け入れるホスピスという静かな場所で、誰よりも純粋に綺麗に笑う青年が、その十年前には、武器を手に、満身創痍で悪しきモノをなぎ倒し、常に死と隣り合わせの時間を過ごしていた少年だったなど、どうして想像がつくだろうか。
 ふと、最年長の三十路過ぎの職員が呟いた。
「案外、毛利くん、わたしたちの知らないところで、ずっと誰かを思っているのかもしれないわね。」
「どうして、そう思うんです?」
「彼ね、ボランティア時代から、休憩時間になると空を眺める癖があるのよ。その表情があまりにも切ないから、この前、尋ねてみたの。空に、何があるのかって。」
 女性職員たちが、静かにざわめく。
「結局、答えなかったけれどね。その時の毛利くんの表情、まるで、恋人を懐かしむような、そんな顔をしたのよ。」




 伸の住むアパートは、実家から歩いて10分くらいのところにある。
 職場のホスピスからも、遠くない。
 実質、毛利家の持ち物のアパートなので、家賃はいらないわけだが、伸は、他の入居者と同じ様に家賃を払って住んでいる。
 伸が高校3年の時、姉の小夜子は結婚をした。嫁いだわけだから、本来なら家をでていくのだろうが、病弱な母の看病のために姉夫婦は毛利家実家で暮らしている。それを気遣って、当主であるはずの伸は就職がきまるとすぐに、アパートに越したのだった。
 いつもの癖で、郵便受けを確認する。
 メールやネットが発達した時代、郵便受けに大切なものが入っている可能性は少ないのだが、実家で暮らしていた頃の癖が直らず、今も毎日郵便受けを確認してしまう。
 入っていたのは、数枚の不要なちらしと、ダイレクトメール。
 その中にまじって、淡いパステルブルーの封筒をみつけ、伸はわずかに首をかしげた。
 伸の実家の住所を知っている友人は多いが、このアパートの住所はほんの一握りの友人にしか教えていなかったからだ。
 「毛利 伸様」
 と書かれた、お世辞にも上手いとは言えないが、丁寧に書かれたその筆跡に、伸は見覚えがあった。
 裏を見て、確認する。
「なんだ、ナスティじゃないか!」
 懐かしい名前に、伸の表情が自然にほころぶ。
 しかし、メールも電話もあるのに、どうして手紙なのだろう。
 一抹の不安を感じながら、大切にその手紙を鞄にしまって、伸はアパートの自分の部屋へ向かった。


 人気も、これといった装飾もない殺風景な部屋に帰ってきた伸は、鞄をテーブルの上におくと、キッチンでお湯を沸かし、急須に茶葉をいれて、お茶の準備をする。仕事の時間と自分の時間を分ける、伸なりの方法だ。
 お盆に急須と湯のみをおいて、リビングのテーブルに置くと、いつものようにテレビをつけた。
 ちょうど、天気予報の時間だったようで、テレビ画面の向こうでは気象予報士が今後、一週間の天気を知らせていた。
『しばらくは、春特有の、変わりやすい気候が続くでしょう。』
 そう告げた予報士は、演技がかった言い回しで、続けた。
『東京では、今日、珍しい気象現象が観測されました。どうぞ。』
 東京、という言葉に反応した伸は、湯のみを置いて、画面を見つめた。
 黄昏時の東京だろうか。わすれな草色の薄闇の空に、赤く薄いヴェールのようなものが揺らめいている。
 なんだ、これは。
 伸の胸を、漠然とした不安が過り、息をのむ。
 いや、そんなはずはない。
 あれは、もう終わったはずなんだ。
 ずいぶん前に。
『映像は、今日の夕方、東京都内各地で約10分間にわたって観測されたものです。オーロラのように見えますが、この時刻の東京上空にオーロラが発生する気象条件は整っておらず、気象庁は、この不思議な現象について、調査をすすめています。以上、お天気のコーナーでした。』
 画面は、にぎやかなテレビCMへと続く。
 興味をなくした伸は、東京に突如、現れたオーロラに思いを馳せる。
 もう、終わったはずなんだ。
 先程と同じ言葉を、心の中で繰り替えす。
 その言葉の正しさを確かめるように、チェストの上に置いてある、水晶のようなそれに目をやる。
 今では、すっかり「部屋の置物」になっているそれは、伸が毛利家当主であり、水滸の鎧をまとう資格たる証拠だ。
 たとえ、本人に進んでその意思がないとしても。
 鎧玉に、特に異変は見られないようだった。
 いつものように、部屋の明かりを反射して、ほんのりと光っているだけだ。
 安心した瞬間、伸はふと、先程の封筒を思い出した。
 ナスティからの手紙。
 慌てて鞄から取り出し、封を丁寧にあける。
 中から、桜色の下地に桜の花弁が舞っている便せんが一枚、現れた。


 伸へ

 お誕生日、おめでとう。
 今年で25歳になるのね。

 出会ってから、ちょうど、10年なのね。
 ちょっと信じられないわ。
 あのころの、あなたたちはまだ子供で、って言うと怒られちゃうかな。

 伸とはずいぶんと会っていないけれど、元気に過ごしているかしら。

 遼と秀と征士は、東京が近いから、たまに集まっているみたいよ。
 伸は、家が遠いから残念ね。

 わたしの方は、相変わらず、新婚生活を楽しんでいます。
 先日は、旦那とカオハガン島に行ってきました。
 珊瑚礁に囲まれた綺麗で小さな島だったのよ。
 伸ならきっと喜ぶと思ったわ。

 そうそう、用件があって手紙を出したの。

 4月上旬、一週間くらい、東京に来られないかしら。

 5人に、どうしても逢って欲しい人がいます。

 くわしい事は、また、電話します。

 それじゃ、体に気をつけてね。

 追伸

 行方不明だった当麻の居所が分かりました。
 彼は今、東京にいます。
 携帯の電話を教えてもらったから、時間のある時にでも電話をかけてあげてみてくださいね。

 090-****-****


 電話でもなく、メールでもなかったのは、誕生日祝いの手紙だったのだと知り、伸の口元にやわらかい笑みが浮かぶ。
 しかし、誕生日祝いだけではなかった。
 鎧という特別なつながりを持った5人に逢わせたい人がいると。
 伸が仕事を持っていると知っているナスティが、そこまでして逢わせたいという人は、どういう関係の人だろう。
 そして。
 伸が一番驚いたのは、当麻の居所がわかったことだった。
 あの戦いの後、日常生活に戻っていった伸たち5人は、忙しい学生生活の合間を縫って、頻繁とはいかなくても、それぞれの記念日、たとえば、誕生日や、正月の挨拶などで連絡をとることができていた。一学年早い伸は、大学一年の冬休みに、遼と秀と征士に、伸の家から、さほど遠くはない受験の神様、太宰府天満宮に彼らの代わりに参拝して、お守りを送ったこともある。
 ところが、当麻は、伸が高校3年の夏休み、つまり当麻が高校2年の夏休みに、ぷっつりと音信が途切れたまま、行方がわからなくなっていた。
 唯一、連絡をとれる可能性のある当麻の母親に、ナスティから連絡をいれると、「夏休みだから源一郎君と一緒にアメリカに行ったという話は聞いている」ということが判明しただけで、それ以上のことはわからなかった。
 それ以来、当麻の家に連絡をいれてもずっと留守番電話のままで、また、携帯の番号は解約されていたので、行方が杳として知れなかったのである。 
 それが、ここにきて分かったというのだ。
 しかも、東京にいる、と。
 自分でも説明がつかない、得体の知れない感情がこみ上げてくる。
 居所の掴めなかった友人の連絡先が分かったのだから、素直に喜べばいい。
 それができない。
 最初に居所を掴んだのは、ナスティだった。
 自分たちのお姉さんのような存在だから、それは当たり前だ。
 それすらも、なんだか恨めしく思えてしまう、この感情は何だ。
 当麻が無事に、東京にいる、それが分かっただけでも喜ばしいのに、なぜ、素直に喜べないんだ、僕は。
 無意識に、遠い記憶をたどる。
 戦いの後、東京から西方面に帰るのは当麻と伸だった。
 同じプラットフォームで、同じ新幹線にのり、あの時、僕たちは何を話していたのだろう。きっと、覚えていないくらいくだらない話だったのだ。ただ、あの時、はじめて、遼も秀も征士もいない、当麻と二人だけで長い時間、過ごした、という記憶だけが鮮明に残っている。
 そして、新大阪の駅で当麻を見送った、その時。
 思い出して、伸はさあっと頬に朱を浮かべた。
 鮮やかに、その感触までもよみがえってきて、慌てて口元を隠すように手を当てる。
 そうなのだ。
 だから、今の状況、つまり自分より先にナスティが当麻の居所を知っていたことに、理不尽さを感じてしまうのだ。
 どうして、先に、僕のところに連絡をくれなかったのかい、と。
「ま、9年も経つと、時効なのかな。」
 半ば諦めたように呟いて、伸は携帯を取り出し、手紙の最後に書かれてある当麻の携帯番号をじっと見つめる。
 逡巡すること約10分、ようやく、意を決した伸は、携帯の番号をひとつひとつ丁寧に押した。

2009/10/31 脱稿

やっと、リアルタイムの彼らです。伸は、職場では猛烈に猫かぶりな気がします。なお、伸の職業に関しては、本編全体にも大きく関わってます。理由はブログの方で説明してあります。