神という名の呪(しゅ)

 第14話 神という名の呪(しゅ) 2


『人の子はこうして、我を追いやり縛り付けた。』
 低いうなり声が響いた。
 一瞬にして稲田の風景は消え去り、伸は元のふわふわとした不思議な空間に浮かんでいた。
 同時に伸は思う。この神は、金龍ではない。
『我を崇め、にも関わらず己の命の糧を得る為に我ら眷属の住処を奪った。』
 その荘厳な声にわずかな哀しみの色を感じ取り、伸は自分の置かれている立場を忘れて人知を越えるものの痛みを思った。
「あなたは、」
 一呼吸置いて、伸は今から自分が尋ねようとしていることが、この大いなる存在に対してどれだけ失礼にあたるのか考える。
「どのような神祇でいらっしゃるのでしょうか。」
 どう、と空間が揺れた。
『我を何者かと聞くか、人の子が。面白い。』
「僕は、ここにおわす神様のことを、仕えていらっしゃる人から龍神だと伺いました。」
『龍神。いつの頃からか、人の子は我のことを龍という名で縛る事も覚えた。そうして外つ国の名で我を縛り魂魄さえ永き眠りにつかせたのだ。』 
 再び、どうと揺れた。それは、どこか怒りすら感じさせた。
『人の子は、我をカガと呼んでいた。』
 やはり、と伸は納得する。
 『カガ』とは、蛇の古い呼び名だ。だとすれば、この神は龍神ではない。蛇神なのだ。日本にまだ稲作文化が輸入される前、この国の神話が生まれるより前に神と畏れられていた存在。
 稲作が始まると、その神を、農地確保の為に住処から追い出し、祟りを恐れ、これを祀った。
 おそらくは、その信仰の上に、輸入された様々な宗教が上書きされて、龍神、それも金龍という形で今に伝わっているのだ。
 永きにわたる神の歴史と人の歴史。真実を知るものはそれを恐れ、沈黙を守って来たのだろう。
「あなたが龍神ではなく、カガの神であることは分かりました。そして、僕はあなたが呼ぶ声を聞きいてここに来ました。」
 どうん、とこれまでにないくらい大きな揺れが起こり、伸の体はなす術もなく放り上げられた。
 突然のことに、伸は目を閉じて動かない体は揺れに任せる。
 振動が治まった後、ゆっくり目を開けると、伸の目の前に、小さな蛇がいた。
 黒く光る長い胴体に、金の目。その双眸はじっと伸を見つめている。
『汝、我の本性を知ったと言うか。声を聞いたと言うか。』
「はい」
『ならば問う。我の永き眠りから呼び起こした気を持つ、汝は誰そ。』
 再び、自らの事を問われ、伸は蛇神の言葉の意図をしばし沈思する。そして、答えを出した。
「この国の西の海の祝、毛利伸といいます。」
 小さな蛇神の金の目が、きらりと輝きを放った。
『毛利伸というか。覚えたぞ。未来永劫、我が葬り去られるまで忘れまい。』
 仮にも神と呼ばれる存在から忘れることはないと言われ、伸は戸惑い、言葉を失う。
 神の時間と人の時間はスケールが違いすぎる。自分は、ただ人として有りたいだけなのだ。
 そんな伸の、ちっぽけな人としての当惑をよそに、蛇神は言葉は続けた。
『毛利伸。汝の願いは何か。』
「願い、ですか?」
 唐突な展開に伸は面食らった。神とはこうも、人としての思考を超える存在なのかという思いが胸を過る。
『我をその持てる気で目覚めさせ、本性を見抜き、龍という名の呪から魂魄を解き放ち自由にした、その代償としての願いだ。』
「願い……。」
 これはお伽噺ではない。今、現実に起きていることだ。
 そう伸は言い聞かせて、蛇神の言葉を心の中で反芻する。
 神の魂を自由にした代償としての願い。
 それを古の蛇神が叶えようというのだ。
 神を前に、人は何を願うのか。
「今年、この国土が災いに見舞われます。僕はそう聞いてここに来ました。ならば、そのお力をもってこの国の守護をお願いできないでしょうか。」
『それはできぬ。』
 目の前の蛇神が赤い舌とちろりと出し、重い声で答えた。声は相変わらず全方位から響いてくる。
『人の子は我ら眷属を薙ぎ払い、殺めた。その人の子らが作った国を守れと我に言うか。』
 金の双眸が、伸の瞳を射貫く。
 蛇神の不興を被ったと思った伸は、思わず目を閉じた。
『だが、我は汝が気に入った。清い水の気は我らに近いもの。故に、汝がこの国を守ろうとする時に、我が力を与えることはできる。』
「それは……助けて下さるということですか。」
 黒い蛇神が、ゆらりと伸に近付いて来た。それは、目の先すぐの所で止まり赤い舌を覗かせる。
『否。力を与えるのみ。使い方は汝が決めよ。但し、海の祝とはいえ、我の力をその身に受け入れられるかは汝の器次第。壊れるやもしれぬ。それでも願うか。』
 ごくり、と伸は息を飲む。
 蛇神の力をこの身に宿すとは、一体、どういうことなのか。いや、どうなってしまうのか。
 人でいられるのか。
 大切な仲間の横顔が脳裏を過る。
 遼、征士、秀、ナスティ、純。
 そして当麻。
 少年時代、散々、体も心も血を流した仲間達。
 それを繰り返す為に、十年の時を経て集まった訳ではないはずだ。
 二度と、彼らの血は見たくない。
 ならば、僕が出来る事はひとつ。
「畏れ多き事とは知りながらお願いいたします。そのお力、僕にお与え下さい。」
『ならば、その身をもって受け止めよ。』 
 ごうとその声が響いたかと思うと、蛇神の金の双眸が強い光を放ち、その体はするりと伸の身体、ちょうど胸のあたりに入って消えた。 
 何事が起こるのかと緊張を漲らせ身構えていた伸は、幾許の間、息を詰め、自らの身体の隅々に意識を向けていたが、特に変化はない。
 拍子抜けした面持ちで、ふっと張りつめていた神経を緩めたまさにその瞬間だった。
「うわぁぁ!!!」
 雷に打たれたように、伸はその場にがくりと膝を付き、上半身をごつごつした岩の床に押し付けた。
 身を捩り、自らの身体を支配する力から逃れようともがく。
 全身が燃え上がるような痛み。
 はっきりと四肢が引き裂かれる感覚。
 五臓六腑が肉体の中で引きちぎられる音。
 それらが、圧倒的な力で伸の意識を支配した。
 あらゆる感覚が激痛に飲み込まれ、息をすることもままならず霞んでいく意識の中で、神の力の器になり得ることは叶わなかった己の力量を思い、闇に全てを沈める覚悟をしたその時。
 星空が見えた。
 幼い頃、実家の砂浜で見上げた夜空の星。
 そこに、深く想う仲間の姿が重なった。
 全ての感覚が痛みに麻痺した今の伸に、唯一、思い浮かべることのできる名前。
 ……当麻。
 次の瞬間、伸の体から淡く壮麗に輝く水色の気が立ち上り、金龍の間を満たす。
 固く唇を結んで、その様子を伺っていた渡井は、わずかに眉根を潜め、徐々に消えて行く黄金と水色の帳の中に、ゆっくりと立ち上がる伸の姿を見た。
 岩の間の片隅で、全身に警戒心を満たし、低く唸っていた玄狐は、その身構えを解く。
 やがて、部屋を満たしていた水色の気が引き潮のように消えてゆき、帳もまた姿を消した。
 すっと背筋を伸ばし、相変わらず金に輝く龍神と対峙する伸は、身動き一つせず、突っ立ったままだ。
 不穏なものを感じ、渡井はその背後から声をかける。
「毛利さん。」
 返事はない。
 ただゆっくりとその身を声のする方へ向け、焦点の合わない瞳で渡井を見ていた。
「やはり何かあったようですね。」
 低く呟いた渡井は、続いて短い呪を唱えると伸の顔の前で大きく両手を二度、打ち鳴らした。
 伸の瞳に光が戻る。
「あ……。」
 正気に戻った伸は、幾度も瞬きを繰り返した。まるで、明け方の浅い夢から唐突に目覚めたように。
「ここは……。」
 伸の短い問いに、渡井は静かな声で答えた。
「お戻りになられましたか。ここは現世(うつしよ)です。田無神社の大地の下です。」
 その言葉に、伸はしばらくの間何かを思い巡らすような表情で黙り込んだ。
 頃合いを見計らって、渡井が伸に問いかける。
「差し支えなければ、毛利さんがどちらにいらしたか教えてくださいませんか。」
 尋ねられ、伸は言葉に迷った。 
 あれが夢でなければ、渡井が金龍と崇める神の本性は蛇神で、その神が今、自分の中にある。
 渡井がどこまで知っているか伸には想像がつかなかったが、先程見たことを話すことは憚られた。
 嘘をつくのは気がひけるが、曖昧な言葉で濁すしかない。
「神の時間の中にいました。」
「……そうですか。」
 渡井は温和な笑みを浮かべ、それを受け取った。
「ここに来た用件はお済みになられたようですね。」
「はい。」
 その簡潔な返事を全ての結びと知った渡井は、伸を促して本殿へと続く階段へと向かった。

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