黄金の斎庭(ゆにわ) 〜四〜

 第10話 黄金の斎庭(ゆにわ)〜四〜


「それでは、皆様に今日、来ていただいた、その本題に入らせていただきます。」
 真摯な口調に、7人は一瞬、息を飲む。
「今年の元旦に行われた、六壬式占による年相の結果をお伝えします。異常気象、疫病の流行、霞ヶ関の動乱、また、7月の日蝕に伴う悪しきモノの出現。つまり、10年前と同様に、最悪、とうことです。すでに、凶兆は現れました。今年の3月14日の夕暮れに見えた、赤いオーロラです。あれは、天文学的に説明できる、大規模な磁気嵐による低緯度オーロラではありません。気象庁のデータベースには、そのような気象条件は整っていないと報告されています。つまり、凶事の先駆けだったということです。古くは、推古天皇の時代に見られた『赤気』と呼ばれるものです。そして、もう、すでに凶事は始まっているとみていいでしょう。すなわち、疫病の流行です。」
「……豚インフルエンザか。」
 低く呟いた当麻を、みんなが注視した。
「アメリカの友人から聞いた話だと、一部の専門家は、すでに、世界的流行、つまりパンデミックの可能性を示唆しているそうだ。ということは、間違いなく、日本にもやってくる。」
「そうですね。厚生労働省は、すでに危機管理マニュアルに従って、動いています。」
 室内が、ひんやりとした沈黙に包まれた。
 10年前の阿羅醐との戦いは、終わりではなく、始まりであったことに、皆、今更ながらに気づき始めたのだ。
「このままだと、この国は、また、10年前の惨事、いや、それ以上の体験をするかもしれません。そこで、陰陽寮はひとつの決断を下しました。この東京に、新しく結界を、それも家康の張り巡らした結界よりも、さらに強力な結界を張ることです。それにより、東京という街、ひいてはこの国土を護る事ができます。」
「そんなものがあるんだったら、どうして家康はそれを使わなかったんだ?」
 当麻のしごくもっともな問いに、渡井はやや自嘲気味の表情で答えた。
「その結界を張るための呪法が、失われていたからです。」
「わからないな。家康の時代に、その呪法が失われているのに、どうして、現在、使う事ができるんだ?」
「だから、あなた方に来ていただきました。」
 7人全員の視線が、渡井に向けられた。その目には、例えようのない不安の色が浮かんでいる。
「我々、陰陽寮口伝の呪法に、『北辰結界』というものがあります。これは、北辰、つまり北極星とそれを巡る北斗七星の神を祀り、この国土の呪術的空間に、天上の星と同じ形の結界を張るというものです。この結界を張られた国土は、強力な護りを得られることができます。ところが、この『北辰結界』の具体的な呪法を記した書物が、現在では灰の状態で、我々の管理するある場所に秘されています。その書物を『金烏玉兎集(きんうぎょくとしゅう)』といいます。」
「『金烏玉兎集』だと? あれは架空のものだと読んだぞ。伝説だと。」
「ええ、伝説になったのです。安倍晴明が、その内容の危うさに気づき、燃やしてしまいましたから。架空でない、という証拠はあります。なぜなら、『金烏玉兎集』の注釈書である『簠簋抄(ほきしょう)』は実在するからです。架空の書物の注釈書が実在する、というのは矛盾します。つまり、『金烏玉兎集』は存在していたのです。そして、その燃やした灰を、我々、陰陽寮は受け継いできました。しかし、それを再生するほどの力を持つ呪術者が現れなかったために、つまり、燃やした本人である晴明レベルの呪力の持ち主がこれまでいなかったために、ただ、灰の形のまま、受け継いで来たのです。しかし、今、わたしの目の前に、『金烏玉兎集』を再生できるだけの、五行の力を持つ方々がいらっしゃる。お分かりですよね。」
 渡井は、5人を見て、あの、年齢を曖昧にさせる独特の笑みを浮かべる。
「俺たちが、『金烏玉兎集』を再生できる、だと?」
「俺たちの力は、鎧を纏うだけじゃなかった、ということですか?」
 当麻と遼の言葉に、渡井は穏やかに答えた。
「そうです。あなた方は、先程、龍神さまが示された通り、ここ最近では現れることのなかった、強い五行の気をお持ちです。ゆえに、10年前、羅睺星の精を封じることができたのでしょう。その力を持ってすれば、『金烏玉兎集』の再生は可能です。そして、柳生さん、山野さん。」
 渡井に指名され、二人は驚いたように、そちらを見た。
「あなた方2人が、日(じつ)、月(げつ)、となり、5人とあわせて、七星集い、ここに北斗が完成します。」
「わたしたちに、そんな力、ありません。」
 ナスティが、やや抗議めいた口調で応じると、渡井は優しい声音で問い返した。
「先程の話を伺う限り、柳生さんは、その迦雄須なる方の錫杖の力を使うことができた。山野さんは、命の勾玉を使う事ができた、そうではありませんか?」
「え、ええ。」
「では、やはり、それだけの力をお持ちだということです。そして、何度も言うようですが、10年前に、あの場所にいらっしゃったことに、意味があるのです。」
 偶然ではなく、運命の必然だと、渡井は言う。
 それならば、鎧の定めを背負っていたのは、5人だけではなく、鎧を纏わないナスティや純も、同様に鎧の宿命の輪の中にいたということだ。
「仮に、それで、我々が北斗だとする。では、北辰はどうなる?」
 当麻の的確な質問に、渡井は、すっと目を細めて、これまでに見せた事のない、どこか神憑ったような表情で、答えた。
「……ええ、北辰は。すでに、我々の手中に。」
 その言葉に、当麻は一瞬、これまでにない胸の底がひどく冷えるような恐怖心を覚えた。しかし、論理的な根拠によっているものではないので、無意識に、排除する。
 しん、と静まり返った部屋に、もう射し込む光はなく、長い時間が経過したことを感じさせる。
 ふいに、部屋の隅の黒電話が鳴った。
 渡井が静かに歩み寄り、受話器をとり、幾言か話す。
 話し終えた渡井は、そのまま、元の席に戻らず、その場所で座り、来訪者に告げた。
「今、電話番のアルバイトから苦情がきまして。定刻の6時を過ぎているので、帰りたい、と。知らず、時間が経っていたようですね。みなさまにも、長時間、お付き合いいただき、ありがとうございました。今日のところは、これでお開きにさせていただいてよろしいでしょうか。詳しい事は、追って、柳生さんにお伝えいたします。」
 言って、渡井は立ち上がる。
 つられて、7人も立ち上がり、参集殿の出口へと向かう渡井の後に従った。


 神社の鳥居の前まで、来訪者を案内した渡井は深くお辞儀をした。
「今日は本当に、お越しいただき、ありがとうございました。今後、いろいろご迷惑をかけることもあるかもしれませんが、どうか、あなた方のお力、国家鎮護のためにお貸しくだされば、幸いです。」
「戦時中なら、有無を言わさず、玉砕しろっていう意味だな。」
「当麻!」
 同伴者の不躾な言葉に、ナスティがその袖を強くひいた。
 当麻は悪くびれもせず、どこか不服そうな面持ちで、鳥居の向こうを見ている。
「渡井さん、今日は、どうもありがとうございました。私たちの知らない10年前の出来事を知る事ができて、なんだか、不思議な感じです。今後の研究にも役立てたいと思います。」
 当麻の悪態をフォローするかのように、ナスティがお辞儀をする。
 その後ろで、遼と征士、伸と純も、軽く一礼をした。慌てて、秀もそれに続く。
「それでは、失礼します。」
 ナスティを先頭に、来訪者たちは鳥居を抜け、青梅街道に出た。
 後ろから、渡井もついて来たようだ。
「あれ、なんか、変じゃね? この帰宅ラッシュの時間なのに、車が一台も走ってないぜ? 信号も、消えてる。」
 秀の言葉に、征士が続く。
「いや、秀、違うぞ。ここは、先程、我々が通って来た道ではない。空気が臭気を帯びている。」
 異変に対し、全身に緊張を漲らせる征士の隣に、いつの間にか、渡井が立っていた。
 驚いた征士は、やんわりと笑う渡井の横顔を凝視する。
「時間的に、丁度、逢魔時(おうまがとき)ですね。」
「あなたには、なぜ、気配がないのか。」
 置かれている状況も忘れ、征士は己の不安を口走ってしまった。しかし、渡井は、征士を見て静かに頷いただけで、答えなかった。
「ああ、珍しいものがやってきました。見て下さい。」
 渡井は、ゆっくりと右手をあげ、青梅街道へと続く保谷街道の方を指差した。
 そちらの方向から、なにやら、黒く蠢くモノたちが、街道沿いにやってくる。
 二つの目だけがやたら大きく、全身の肉が垂れている人のようなモノ。
 牛のような角をもちながら、その体の後部は、魚のように鱗がついて大きな尾ひれになっているモノ。
 全身、毛だらけで、赤く光る目しか見えないモノ。
 僧侶の姿をしながら、その顔には、大きな一つ目しかないモノ。
 そういった異形のモノたちの集団が、音もたてず、こちらに向かってくる。
「百鬼夜行か。」
 呟いた征士の隣で、渡井は、袖から白い紙を二枚取り出し、息を吹きかけた右手の小指で、紙に何か書き付ける仕草をして、すぐに紙を宙に投げた。
 すると、二枚の紙は、二匹の白い狐に化生して、ナスティ達の左右に別れ、低くうなり声をたてている。
「その二匹の狐が、我々の身を百鬼夜行から隠してくれます。どうか、そのまま動かないように。」
 静かな渡井の声に、その場の全員が頷く。
 ゆっくりと時は経ち、立ちすくむナスティたちの前を、悠々と異形の集団が通り過ぎてゆく。
 時間にしてみれば、10分程度だったのだろうが、その禍々しさに、体を強ばらせて見ていたナスティたちにしてみれば、数十分にも感じられた。
 異形のモノたちが通り過ぎた後には、いつの間にか、車が走っており、向かいの歩道には、学校からの帰宅途中と思われる学生の集団の姿も見えた。
「終わったのか。」
 緊張が解けない声音で、遼が呟く。
「ええ、もう大丈夫です。彼らは彼らの世界に戻ってゆきました。ここ10年、都市の結界の機能が働いていないために、よく、ああいうモノが見られるのですよ。それでは、どうか、気をつけてお帰りください。」
 一礼した渡井に、当麻以外は頭を下げて、田無駅へと向かう道を歩き始めた。
 その後ろ姿を見送った渡井は、独り言ちる。
「田無神社と総持寺という、強力な結界に守られているこの聖域を走る街道に、魔道を通すとは、相手の方もなまなかな呪術者ではないとみえる。我々への警告のつもりか。」
 言ってから、渡井は振り仰ぎ、鳥居の上に止まり、黄昏の空の黒いシミのように見える、一羽の烏に声をかけた。
「帰り、あなたの主に伝えよ。我々は、北辰、及び北斗をこの手中にすることが叶った。あとは、呪法を完成させる時機を待つのみ。よって、そちらの計画は、無効だ、と。」
 その言葉を、聞き届けたのだろうか。
 烏は、ばさり、と羽を広げ、昼と夜の狭間へと消えていった。
 黒い鳥の姿が視界から失せるのを確認してから、渡井は鳥居をくぐった。
 本殿に向かって、歩きながら誰に言うとも無しに話し始める。
「毛利伸。北方水気を司る。同時に、北辰も兼ねる力を持つ。北辰北斗が、つつがなく手中に入るというあなたの式占の結果通りだが、これはどういうことか。」
 渡井の低い潜めるような声は、折から吹いた春の夜気を含む風が何処へか運び去った。

2010.01.16 脱稿


ええと、あくまでもフィクションとしてお楽しみください(笑)主に、天皇家の話。ついでにいうと、この話の時期は、2009年の4月の第2週の話です。このころは、まだ、新型インフルエンザではなく、豚インフルエンザでしたね。呼び方が。8月に、うっかり動画サイトでトルーパーを見て思いついたという、この解釈を書きたくて、この「陰陽伝」を立ち上げた、という回なので、大変でした。いろいろ。なので、無駄に長い訳です。で、やっと、これからが本編です。(今までのはなんだったんだという話/汗)その他、コメントはブログにて。次回からはバレンタイン強化月間(笑)ということで、あまーい話です。ええ。甘い。