硝子細工の迷境 (4)



 伸の目元に当てていた手を離した千早は、倒れ込んで来たその身体を簡単に抱きとめた。
 闇に沈んで色褪せた柔らかな髪を一度梳くと、いきなりその髪を掴み、持ち上げる。細い首が露になり、伸はまるで肉食動物に捕らえられた獲物のように見えた。
 先程までやんわりと笑んでいた千早の面影はすっかり消えている。
 その鳶色の眼には喜色と冷酷をうまく配合させた色が浮かび、捕らえた獲物を面白そうに見ている。くつくつと、氷が笑うような冷ややかな笑い声を立てた。
「茶番の甲斐があったね。」
 吐き捨てるように言い、千早は伸の身体をゴミか何かのような扱いで足元のアスファルトに投げ捨てた。
「これをどうされます?」
 男……千方は既に、鬼の形を潜め、人間の姿に戻っていた。数分前まで角の生えた燃え上がる異形だったと誰が思うであろうか。
「知りたい情報があるんだ。これなら知っているだろう。しばらく、後を頼むよ。」
 千早はそう言ってかがみ込むと、倒れている伸の額に手を当てて目を閉じた。
 その能力で、伸の記憶に降りているのであった。
 廃墟に特有の静けさが辺りを押し包んでいる。
 十分と少し過ぎた頃であろうか。
 動きを止めていた千早がわずかに身じろぎをして、それから、ゆうるりと、柳がそよぐように立ち上がった。
 ふらり、と足元の覚束ない千早を、千方が慌てて抱きとめる。
「千早様……。」
 滅多なことでは動くことのない千方の表情に不安の色が広がる。
 千早の瞬きしないその目に、光が戻るまでしばらくの時間があった。
 千方の腕の中で千早は時間をかけて意識を取り戻すと、始めは千方にだけ聞こえるようなひっそりとした声で、くつくつと、それから気が狂れたかのような大声で笑いはじめた。その声は雑居ビル群に反響して、耳障りな音となり消えてゆく。
 千早は千方の腕の中で、狂女のように全身で笑い続けた。ゆるりと長く顔の左側を隠している前髪がそわそわと揺れる。きちりと着こなされている着物の衿元が乱れる。光を取り戻したはずの瞳は、恍惚に酔いどこにも焦点があっていない。壊れた人形のように全身が痙攣する……。
 千方の表情がさらに曇り、わずか、その口許が噛み締められる。しかし、何も手出しすることは許されていない。
 ずいぶんと時があって、見境いのない千早の笑い声が絶えた。
 廃墟に静寂が戻る。
 人間らしい理性を取り戻した千早は、自分を守る男から身を離すと、その足で横たわっている伸を軽く蹴飛ばした。海の色の防具を纏った伸は、死体のように転がる。鳶色の目に怜悧な色を浮かべ、足元に横たわる青年を睨みつけた。
「こんな偶然もあるもんだね。これは……向こうの要であり、こちらの切り札だよ。そしてこの呪具を作ったのは……僕たちと同じの鬼の一族のようだ。葛城山に潜んでいた迦雄須一族、というらしい。時代が時代なら、これも、僕たちと同じくこの世界を反旗を翻す存在だったはずだ。」

前回更新から随分、時間が経ってしまっているので設定なと覚えてもらっているのだろうかと不安に思いつつ。千方さんそれ誰よ?って思われても仕方ないですね(汗 その他呟きはブログにて。