硝子細工の迷境 (3)

 橋を渡り終えると、そこには廃墟のような黒い街並が広がっていた。

 当麻と征士と秀は、いつもより寂しいテーブルを囲み夕飯を食べていた。そこに、唐突に黒いつむじ風が吹き、いくつもの蛍火がふわりふわりと集まった。やわらかな色の蛍火は、三人の目の前で人の姿に化生してその輝きを霧散させた。紅玉色のピアスと一目でそれとわかる異形の瞳が印象的な少年、クロだった。
 クロは淡々と感情を伺わせぬ語り口で、銀座の街で伸と遼が危険に晒されていることを伝えた。そして、異界への架け橋である井の頭池の七井橋へ三人を導き、今に至る。
「おいおい、ここが銀座だってのかよ。」
 秀がわずかに怒気を含んだ声で驚いた風に声をあげた。
 征士もまたゆっくりと辺りを見渡してから静かに呟く。
「敵陣、とでも言えそうな空気だな。」
 周囲には光と呼べるものはなく、ただうすぼんやりと闇が凝っていた。夜に沈んだ漆黒の中に見えるのは、音も人気もない屍のような無機質なビル群。生暖かい風が時折吹いてきて、三人の頬を撫でる。お世辞にも気持ちが良いとは言えなかった。
 当麻は冷静に自分達の居場所を観察していた。
 まず、頭上に高速道路が走っている。右手に小さな交番があり左手にホテルがある、という位置関係からここは銀座と京橋の境あたりだろうと見当をつける。伸が銀座へ行くというので、何かあった時のために地図をネットで見ておいた、その知識が役に立った。
 クロは「俺が案内できるのはここまでだ」と言って姿を消した。伸の元へ行ったか定かではないが、今はそれに気をかけている余地はない。
 当麻にはもう一つ、気がかりなことがあった。先程から鎧玉をポケットの中で何度か握りしめ、伸とのコンタクトを図ろうとしているのだが全く反応がない。クロが連れて来た場所には意味があるのだろうから、近くに遼と伸がいるはずだ。にも関わらず反応がないということは、近くにいるけれども声が届かない、つまりそういった場所に二人はいることになる。
「おい当麻、ここは本当に銀座なのか? いくら夜でもこんなに静かなわけないぜ。」
「ああ、銀座には違いない。ただ、本物の銀座かどうかはあやしいがな。」
「智将というのは伊達ではないようですね。」
 秀と当麻の会話に、瑞々しく音楽の調べのような青年の声が加わった。
「誰だ!」
 不審な闖入者の存在に秀が声をあげ、征士と当麻も一緒になってその声の主を確かめようと周囲を見渡す。
「上を見ろ。」
 征士にしては珍しい、感情が露になった引きつったような声で言ってから上空を指差した。
 人の形をしたものが、宙を浮いている。
 その背には背丈の倍はあるかと思われる二枚の羽が付いていた。背後の闇すらも薄明るく見える漆黒を集めたような黒々とした羽は、ほんの少しも動かない。身に纏っている衣服は、白い布をふわりと身に包んで腰で結んでいるだけのものだ。黒く濡れた羽とは対照的に、その衣は淡く真珠色の光を放って、漆のような闇の中で神々しさすら感じさせる。
 そして彼の顔は見えなかった。
 正確には顔を覆うように面をつけていたのだ。
 業火のように赤い面は、鼻が横に長く伸び、太い眉は吊り上がり、口元は威圧的に引き結ばれている。
 天狗、であった。
「来やがったな、妖怪変化が!」
 キっと空を睨み、秀が叫ぶ。面の下のくくっと押し殺した笑いが、空中に響いた。
「当麻、これはどうも素で戦えるまともな相手じゃなさそうだ。」
 相手から放たれる強力な呪力を感じ取った征士が、当麻に暗に鎧パワーを必要とする相手であると告げる。それに応えて、当麻は頷き、秀に言った。
「秀! 武装だ!」
「おう!」
 その言葉を合図に、三人が揃って印を結ぶ。
 深く凝る闇を消し去るかのような強烈な光輝が三人を包み、その中から光を帯びた鎧を纏った戦士の姿が現れた。
「おい! 降りて来い! 正々堂々と戦ってやろうじゃねえか!」
「焦るな、秀。」
 食って掛かる秀を、当麻が腕を差し出して止めた。そして、漆黒の空に浮かぶ天狗姿の異形に向けて声を張り上げる。
「お前が俺たちの仲間を捕らえているのか?」
「南方火気と北方水気は用事があるのでお借りしています。会いたいというのであれば……そうですね。まず、僕を倒しこの結界を解いてから探すことになるでしょう。」
 その言葉に続いて、くぐもった笑い声が空中に響いた。いかにも楽しげなその笑い声と赤い天狗の面のイメージの落差が激しい。 
 激した秀が再び声を荒げようとする前に、征士が低い声で挑むように言った。紫水晶の瞳に奥深い怒りを秘めた苛烈な光が宿っている。
「貴様は一体誰だ。遼と伸に何かしたというのであれば、ただでは済まさん。」
 光輪剣が目も眩むような鮮やかな光の帯を纏い、黒々とした闇の中、真っ直ぐに空を浮く異形に向けられる。
 それに驚いたのか、天狗面の異形は二度ほど羽を羽ばたかせた。わずかの間をおいて、やはり相手を馬鹿にするようなくくっという笑い声が闇中に響いてから艶やかに歌うような声が後を追った。
「誰かと問われれば答えましょう。『……月に常任にして取り分き申すに及ばず、さて花の字はと問えば、春は花、夏は瓜、秋は果(このみ)、冬は火、因果の果をば末期まで一句の為に残す……』、僕の名が分かる人がいるのでしたら、そちらに降りましょう。」
 そして再び、嘲笑するかのような笑い声。
 禅問答にも似た言葉に、三人は顔を見合わせたが、その視線は自然と当麻へ向けられる。
「悪いが俺にも分からん。多分、謡曲か何かの一節だと思うが。」
「なら余計に、あの宙に浮いた奴とどう戦うってんだ?」
「伸と遼が奴の作った結界に閉じ込められているのは間違いないようだ。ならばこの状況はなんとかならんのか。」
 そんな地上での三人の短い遣り取りを聞いていたかのように、宙に浮かぶ天狗面の異形はからかうような口調で言った。
「分かりませんか、それでは手がかりを差し上げましょう。……そこの、一番単純そうな貴方。」
 言って、異形は空から秀を指差した。指された秀は面食らったような顔を浮かべ、次の瞬間には目を大きく見開いて憤慨し、声を張り上げた。
「貴様! 言ってくれたな!」
「貴方の名前は秀麗黄。」
「なんだとっ! どうしてお前がそんなこと知ってやがる……!」
 突然、自分の名が異形の口から出たことに素直に驚いた秀は、振り上げていた三節棍を下し、困惑気味に言い返す。
「麗は美称ですから、その名の本性は『黄』です。」
 異形の白い手がすっと闇の中、持ち上げられた。その人差し指が、夜の黒の上に流れるように動く。指の後には銀色の線が引かれ、宙空には『黄』の文字が光を帯びて浮かび上がった。
「『黄』とはすなわち『キ』であり、……『鬼』。」
 再び、その指先が動いて、浮かんでいた『黄』の文字が『鬼』に変化する。
「な、なんだ?」
 怒りよりも驚きに圧され、秀はぽかんと宙を見上げたままだ。力を武器に攻撃してくる敵と戦うのは得意だが、頭脳戦は秀の得意とするところではない。ゆえに、異形が何を言いたいのかさっぱり分からない。
「そして、貴方の持つ力は『大地』の力。『大地』とは『ダイチ』。『チ』とはエネルギーのこと。よって、『ダイチ』とは大きな力を指します。」
 鬼の字の横に、『ダイチ』の文字が並んだ。
「それがどうした!」
「まだ分かりませんか? 貴方の本性は、大きな力を持つ鬼だということです。」
 からかうような口調とは打って変わって、相手に止めを刺すような威圧的な言葉を天狗面の異形は言い放ち、宙空に浮かぶ文字を一払いして消す。そしてくっくっという楽しげな笑いが続いた。
「わっけわかんねえよ! なんだって俺が鬼なんだよ!」
 宙空へ向けて怒鳴る秀の隣で、当麻は小さく「そうか」と呟いて天狗面の異形を見上げた。
「秀、落ち着け。これは罠かもしれん。」
「何だと、当麻! 奴は俺のことを鬼だとかなんとかぬかしてるんだぜ!」
「分かってる、あれは多分、言霊を使った呪術か何かだ。」
「コトダマ?」
 聞き慣れない言葉に、秀は裏返ったような声で聞き返す。
「試合に勝つ時に、縁起をかついでトンカツを食うだろう。あれと同じだ。」
「トンカツは分かる。けど鬼と俺とどう関係あるんだよ!」
「詳しい説明は後だ。あの名乗りは言霊を織り込んだものだということは確かだな。奴を地上に降ろすにはそれを解読しろってことか。」
 当麻がそこまで言って、天狗の異形が先程口にした『月に常任にして……』のフレーズを頭の中で繰り返そうとした時。
「残念ながら時間切れです。」
 生温い風がごうと吹いた。鎧を纏っていてもその質量が体に伝わってくる程の強い風だ。風と一緒に、異形が冷笑する声が黒い街並を駆け巡る。
「ここは『何区』かご存知ですか?」
「銀座だから中央区に決まってんだろ!」
 先程から苛々とした感情が収まらない秀が即答した。こういう、真綿で首を絞めるような、彼にとっては卑怯ともとれる手段は最も毛嫌いするところだ。
「人は己の欲から何にでも名前を付けたがります。そう、見えないものにでも。……しかし、名前を付けることのできないものもあるんです。例えば、この東京高速道路の下のような場所などはね。」
 風がぴたりと止んだ。次の瞬間、大きな地鳴りがしてアスファルトが揺れはじめ、三人の足元から黒い霧状の煙が立ちこめる。
 固唾を呑んで見守っていた征士が、光輪剣を一振りしてその霧を断とうとしたが徒労に終わった。黒い霧は光輪剣に絡み付き、その輝きを消してしまう。
「ここは中央区でも千代田区でもありません。いわば、人が名付け得ることのできない場所です。そういう場所には何があると思われますか?」
 異形の言葉に従うように、黒い霧が形を取り始めた。
 霧の中から数え切れないほどの手らしきものが伸び、三人の鎧や武器にねっとりと巻き付き始める。黒い霧に触れた部分から、鎧の色が色褪せてゆく。
「これは一体、どうしたことだ……。」
 焦りを隠せず、征士が呟いたのと宙空の異形が言い放ったのは同時だった。
「人の力が及ばざる場所にこそ、闇の眷属が潜んでいるのです。仲間を見つけたかったら、まずその者たちから逃れてから僕を捕まえることですね。」
 天狗面の異形は、ひときわ高い声で愉快そうに笑ってから、ばさり、と魔を集めたような黒々とした羽を二度ほど羽ばたかせて闇の空高く舞い上がり、三人の視界から姿を消した。

戦隊モノっぽくなってきました。前回、征士が格好良すぎて当麻が目立たなかったので、今回は当麻を……と思ったら征士が影が薄くなってしまいました。あの二人を一緒に目立たせるのは難しいんですね。その他、東京高速道路にまつわる都市伝説なとについての呟きなどはブログにて。