硝子細工の迷境 (3)

 硝子細工の迷境(3)


「伸の言った通りみたいだな。」
 わずかに声のトーンを落として遼が言った。その背後、千早と並んで歩いていた伸が小さく頷く。
 三人は画廊のある裏通りを抜け、老舗デパートが連なる中央通りへと出た。
 有名ブランドショップのビル群には、気品の漂う洒落た彩りと形の電飾が輝き街並を演出している。中央通りを照らす街灯は、絶えることなく遠く八丁目の方まで続き光の路を作っていた。その道沿いの街路樹にも、所々、光のオーナメントが施され、街に華々しく煌めかせていた。
 夜だというのに、闇の気配はなく、視界のあちこちからとび込んでくる光は通りの反対側のビルの硝子に反射し、また光を産み出している。光の無限連鎖の中で、街はひときわ華やかに咲き誇り、絢爛の果てに滅びていった都市の伝説を思い起こさせた。
 そんな目映い視界とは真逆に、音というものはまったく聞こえない。
 光に掻き消された静寂が、街の所々で息を顰めているかのようだ。
 本来なら行き交いの激しい中央通りに車の姿はなく、歩道にもビルの中にも、人の姿は見当たらなかった。
 ただただ、光が溢れ、ビルの硝子に幾通りも散乱し、きらびやかな光だけが生きているかのような迷宮を作っている。そこにいるのは三人だけだ。
 周囲をぐるりと見渡し、わずかに唇を噛み締めてから遼が尋ねるように言った。
「なあ、伸。また俺たち、おかしな事件に巻き込まれたのかな。」
「うん、多分そうだと思う。」
 多分、ではなく確実にそうだと伸には分かっていた。肌にまとわりつくような強い呪力が中央通りに出て来てからひどく鬱陶しく感じられるのだ。清らかなものでもない、かといって妖邪のような悪しきものでもない。肌から伝わるのはむしろ自分の力に近い性質の呪力だ。
 伸はちらりと横目で千早を見た。成り行きで連れて来てしまったが、一般人を巻き込んでしまったという不安に駆られる。幸いとも言うべきか、千早は顔色ひとつ変えず、この異常な状況を受け入れ、それについて余計な質問をしてくることはなかった。
 とりあえず、様子を見ようという遼の提案で、三人は中央通りを東銀座へ向って歩き始めた。
 五分くらい歩いた頃だろうか。
 密かに、光の迷宮の奥から音がした。
 三人は立ち止まり、耳をそばだてる。
 カシャン、カシャリ、カシャン、という、固いものが擦れ合う音が、徐々に確かな質感を持って大きく響き、近付いてくる。
「遼、あれ!」
 伸は視界に動くものを捉え、指差した。遼も大きく息をのんでそちらを見る。
 最初、それは白く光る正体不明の物体にしか見えなかった。しかし、近付いてくるにつれその輪郭がはっきりと見えるようになり、伸と遼は顔を見合わせた。
「人なのか?」
「人にしては、動きがおかしいよ。それに……」
 その言葉が終わる前に、二人は全てを理解した。
 人の形をしたものが近付いてくる。
 が、それは人ではなかった。
 二人が呆然としている間にも、それらは三人への殺気をともない、群をなしてこちらに向ってくる。
「なあ、伸。あれって『マネキン』っていうんだよな?」
「僕じゃなく、当麻に聞けばもっと蘊蓄を教えてくれるだろうね。」
 二人は焦る気持ちと混乱する意識を軽口で少しでも和らげようとしたが徒労に終わった。遼は生唾を飲み、伸は息が浅くなっている。
 そうしているうちにも、光を浴びて白く光るマネキンの群はもうすでに、目の前、10メートルの所に来ていた。
 どうする、と遼が伸に目で尋ねた。その左手には紅い鎧玉が握られている。伸は遼の合図に頷いて、自分も水色の鎧玉をちらりと見せた。問題は千早の存在だ。
 二人の気持ちを察したのか、千早は薄く笑むと、二人の焦燥を見透かしたような鳶色の瞳でこの場にそぐわない透明で穏やかな声を零した。
「ああ、私のことは気になさらないでください。この世にあらざるものを見るのには慣れております。」
 その言葉の深い意味を考える余裕もなく、二人は目で合図を交わし、同時に鎧玉に意識を集中させた。
 目映い光が乱反射する硝子細工の街で、ひと際強い光が二人を包み、瞬く隙にアンダーギアを纏う戦士の姿になる。
 即座に駆け出した遼が、目の前に迫ったマネキンの一体に強いパンチを仕掛ける。刹那、それは高い金属音を悲鳴のようにあげて砕け散った。破片が宙を舞い、様々な色の光を浴びてきらきらと弾け飛ぶ。その様子は戦いという状況に似つかわしくないほど美しい。
 一体目を簡単に潰した遼は、二体目、三体目と同じ要領で叩き潰す。
 確実に自分達を仕留めようという殺気はを持ちながら、簡単に潰されてしまうこのマネキンたちは、敵というには弱すぎた。
「遼!」
 千早を背後に守りながら、遼の手から逃れた少数のマネキンを相手にしていた伸が、わずかに離れた所から声をかける。
「これは消耗戦だ!」
「ああ、分かってる。」
 二体のマネキンを立て続けに潰しながら遼は応じた。容易く潰すことができるマネキンは、湧いてくるように数限りなく中央通りを埋め尽くしていた。かつての妖邪兵との戦いが遼の脳裏を過る。本当の敵はこれではないことは経験の上で学んでいる。
「伸! 銀座のデパートのマネキンってどれくらいいるか知ってるか!」
「分からないよ! だけど、とんでもなくたくさん居ることだけは想像できるね!」
「じゃあ、千早さんを連れて一旦、ここを離れるんだ! こいつらは俺が食い止める。征士たちに何とか連絡をとってくれ! さっきから呼んでいるのに、応えないんだ!」
 その言葉に、伸は咄嗟に離れ離れになることの危険性を指摘しようとした。しかし、背後に丸腰の千早を守りながら得体の知れない相手と戦い続けることの難しさと、仲間に連絡を取らなくてはならないことを痛感していたのも事実だった。
「分かった、後は頼む。当麻たちには必ず連絡をとる!」
 十年前よりも逞しくなったその背中を信じ、伸は千早を振り返り言った。
「ここは遼……彼に任せて、僕たちは一旦、安全な場所に逃げましょう。」
「分かりました。しかし、逃げるにしても私は毛利さんの足手まといですから、先に行って仲間の方を呼んで下さい。」
「千早さん、何言っているんですか? 一般人のあなたを置いて行けるわけがないじゃないですか!」
 切迫した事態に、伸はいつもの穏やかさを置き忘れ、つい荒々しい口調で千早に言い募った。しかし、そんな伸を見て千早は驚くどころか、神妙な笑みさえ浮かべてゆるゆると小さく首を振っている。
「申し訳ありませんが、私は逃げられないんです。」
「え?」
「幼い頃に左足を悪くしまして、走ることができません。」
 雷に打たれたように伸は体を強ばらせ、目の前の美しい日本画家を見た。その視線の先で、伸を試すようにゆうるりと青年は笑っている。鮮やかな光が飛び交う硝子細工の街の中で、その姿だけが幻のように浮かんで見えた。
「おい、伸! 早く!」
 遼の声で目が覚めたかのように、伸は無意識に止めてしまった呼吸を再開し、ぱしん、と小さく自分の右頬を叩いて現実に戻る。目の前には、伸と同じくらいの背丈の「走ることができない」青年がなすすべもなく立っている。それならば、出来ることは一つだと、伸は自分に言い聞かせた。
「千早さん、緊急なので失礼します。」
 断ってから、伸は着物姿の千早の体を躊躇せず抱き上げた。アンダーギアで強化された身体能力を使えば造作もないことだ。
 その瞬間、黒いつむじ風が伸の右肩あたりをすり抜けた。やわらかな琥珀の髪が風もないのにふわりと揺れる。
「クロ、いいところに来てくれた。いいかい、当麻たちにここに来てくれるように伝えて欲しい。来たら、遼の援護をしてもらうんだ、いいね?」
 今度は伸の左肩のあたりで風が起こり、次の瞬間には光の迷宮の向こうに姿を消した。
 伸に抱き上げられた千早は、多少、目を見開いて驚いた表情を見せたものの、何も言わず黙っていた。抵抗することもなく、その身を預けている。
 それを伸は了承の意味ととり、一度、遼の方を振り返ってから、迷いを断ち切るようにその姿から視線を前に転じ、光の煌めく迷宮の奥へと走り出した。

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