青梅哀歌 (2)

 その様子を少し離れた所で見ていたナスティ達は、息を飲んで目の前で繰り広げられる非日常的な光景を見つめるしかなかった。
「分が悪いですね。」
 そう独り言ちた渡井は隣の佐野に尋ねる。
「住吉の境を一時、解いてもらうことはできませんでしょうか?」
「それは……。」
 神を迎える為に一ヶ月も前から聖域を作って保って来たのだ。それを取り払うということは、神祭りを行う場に穢れを取り込んでしまう事になる。穢れた場所に神は訪れず、祭りは本義を失ってしまう。
「分かっています。境を解いた後の修祓と境の修復は必ず我々で致しますので。」
「しかし、ここは青梅ですし田無の方の力を借りる訳には。」
「いえ、お願いするのは私ではなく寮の方からということで。」
 瞠目し、渡井をしばらく見たまま言葉を無くしていた佐野は、何かに得心が行ったという表情を浮かべた。
「そうですか。貴方が例の……。」
「納得頂ければ話は早いですね。住吉さんにはなるべくご迷惑を掛けないようにいたします。緊急事態ということで速やかにお願いします。」
「分かりました。」
 静かな渡井の言葉に促される様に、佐野はズボンのポケットから携帯電話を取り出し、数言話すと、すぐに電話を切った。
「今、うちの者が忌竹を取り払いました。」
「ありがとうございます。」
 簡単な言葉で礼を述べた渡井は、佐野とナスティから離れ五人が白蛇と対峙している河原へと下りた。
 そして、吹雪に掻き消されないように声を張り上げる。
「蛇は木気です! 伊達さんだけ鎧を纏ってください! 相手にダメージを与える事が可能です!」

 紅い吹雪の向こうから聞こえる渡井の声を聞いた四人は互いに顔を見合わせた。
「どういうことだ?」
 遼が征士の顔を覗き込む。
「なるほど。金剋木というわけか。」
 当麻が納得したように呟く。
「俺たちは武装しちゃいけないのかよ。」
 秀の怒気を孕んだ言葉に征士が冷静に答える。
「恐らく、鎧を出現させることは祭りの前のこの地に大きな霊的影響を与えるのだろう。だから最小限の人数で効率よくあの白蛇にダメージを与えるには、私が武装するのが理に叶っていると言う訳だ。当麻、あれを少し引きつけておいてくれるか。」
「分かった。」
 駆け出す当麻に遼と秀も続く。
 白蛇はゆらりとその鎌首を当麻達に向け、攻撃態勢を取ろうとしていた。
 それを目の端に入れた後、征士は目を閉じ一度深呼吸をすると、手を前に出し印を結ぶ。
 若葉色の自らの鎧をイメージした瞬間、征士の体は光に包まれ、光輪剣を構えた鎧姿へとその身を変えていた。
 武装した征士は素早く跳躍して、遼たちに襲いかかる白蛇の背後から、大上段に構えた光輪剣を振り下ろす。
 稲妻が走り、昼だというのに暗い世界を目映く照らした光は、光輪剣に集まり蛇体を斬りつける。
 突然の攻撃に見舞われた白蛇は、どうと音を立ててその長い体を黒い森に沈めかけた。しかし、再び鎌首をもたげ、今度は征士に対して怒りに滾った血色の双眸を向けて攻撃を仕掛ける。
 征士は巨大な白蛇と真正面に立ち向かい、再び光輪剣を振りかざし、天高く跳躍した。
 そのまま一気に剣を白蛇の額に振り下ろす。
 強烈な光が炸裂して世界を白く染め上げる。
 交錯する光輝と吹雪。
 その向こうから禍々しい白蛇の呻き声にも似た呪いの声が世界を覆い尽くして、征士すらも一瞬、目を閉じ自らの身を守ろうと無意識に防御の構えに入る。
 地を震わす咆哮が止み、征士が目を開けた時、そこに白蛇の姿はなかった。

 紅い吹雪は白蛇と共に消え去り、雪はその白い直き姿を取り戻して静かに降っていた。
 しかし、事態が全て解決した訳ではなかった。
「伸の姿が見えないな。」
 当麻が形の良い眉を顰め周囲を見渡す。
「途中から向こうの方に駈けてったけど、何かあったのか?」
「ああ、女の人の声が聞こえるから助けてくるとあっちの方に向かったんだが。」
 遼の問いに当麻が目で雑木林の方を指し示す。
 川辺に下りて来ていたナスティ達もそちらを見た。
 その様子に、佐野が何かに気付いたような仕種を見せたのを渡井は見逃さなかった。丁寧な口調で問う。
「あちらに何かあるのでしょうか?」
 一瞬、間があった。
「ええ、何かという程のものでもないのですが。うちで管理している小さな封印石がありまして。」
「封印石?」
「先代の宮司がこの川で入水自殺をした女性の為に祀ったものなんですが……。」
「気になりますね。申し訳ありませんが、そちらに案内お願いできますか?」
 佐野はわずかに表情を曇らせたものの、すぐに先頭に立ち、雪に足をとられながら目的の場所へと歩み始めた。

 雑木林の下草に埋もれるようにそれはあった。
 大人が抱えられるほどの黒ずんだ丸い石に、注連縄が施され白い紙垂(しで)が垂れている。不思議なことに、その石だけ雪の被害を受けていなかった。
 渡井に詳しい説明を求められ、佐野は語り始める。
「戦後間もない頃の話と聞いています。青梅は織物で栄えた町でしてね。今からは少し考えられないことですが、遊郭や映画館なども賑わっていたということです。そんな時代に一人の女が住吉神社を詣でていた所、同じく参拝していた男と懇意になり相思相愛になりました。女は自らを農家の娘だと言い、男も農家の息子でしたから結婚の話が持ち上がりました。ところが、男は風の噂でその女が遊女であると耳にします。確かめにゆくと、そこには遊郭で遊女として働く女の姿がありました。その夜、女は暴かれた自らの正体を恥じ、ここで入水したのです。その日から雪が止まず、町の者はみな、その女が雪女になったのだと口々に言いました。それで先代の宮司が鎮魂の呪法を施し、この石に女の念を封じ祀ったというのが謂れです。」
 佐野が話を終えてから沈黙があった。
 しばらく何かを考える様な表情をしていた渡井が結論を述べるように言う。
「先程、この青梅の町に雪女郎や雪座頭の話が根付いていると言っていらっしゃいましたね。それが単なる説話ではなく事実なのだとしたら、その女性は本当に雪の化になったのでしょう。毛利さんが聞いたという女性の声もおそらくそれです。そして、封印が解かれたので、今、こうして雪が降るという怪異が起きていると考えるのが妥当です。」
「封印が解けているとは?」
「私もこのような手法を見た事がありませんが、見た限り、この封印石はもう効力を失っています。恐らく、二十八日の住吉さんの神事が狙われたのでしょう。表向きにはされていないようですが、都心の穢れから奥多摩を守る境の新生が住吉さんが行う最大の秘儀だと伺っております。……しかし、石ごと破壊するのが封印を解く定石ですが、これを破ったのはどうも普通の相手ではなさそうです。何か、手がかりとなる物が残っているといいのですが。」
 焦りを隠せない佐野を横目に、渡井が封印石の周囲を見渡す。丁度、遼の足下に、雪に半分ほど埋もれた奇妙な形の大きな葉を見付けて、それを取り上げる。
「変わった葉ですね。」
 掌を広げたような形状の大きな葉を見たまま渡井と佐野が首を傾げていると、当麻が確信を持って言った。
「それは蒲葵(びろう)だ。以前、植物園の温室で見た事がある。亜熱帯の植物だから東京で見られるはずはないんだが。」
「なるほど。では、これが呪具の可能性があるという訳ですか。」
 渡井が手にした大きな葉を、裏表、湛然に調べながら言う。そんな渡井に、当麻が怒りを隠さずに言い募る。
「封印石も雪女も分かった。で、伸はどこへ行ったんだ?」
「恐らく、伸はこの近くにはもう居まい。」
 答えたのは渡井ではなく征士だった。
「どういうことだ。」
「伸の気配がしない。」
「何だと?」
 緊迫した二人の会話に、渡井が加わる。
「古来より、異界の者の声を聞いた者は異界に赴くと言います。毛利さんも例外ではないのでしょう。」
 躊躇なく言い放つ渡井を当麻が鋭く睨みつける。
「じゃあ、なんだ。伸は、もうこの世に居ないって言うのか!」
「そんなこたぁ言ってないだろ。仮にも伸は俺たちと同じ戦士なんだぜ。そう易々とやられる訳ないだろうが。」
 声を荒げる当麻を秀がなだめようとしたが逆効果だった。怒りの矛先を秀に向けて喧嘩が始まる。
「お前は心配じゃないのか! 伸がいなくなったんだぞ!」
「なんだと! 伸のこと、お前だけが心配してると思うな!」
「よせよ、当麻も秀も。」
 先程の戦いで見せた冷静さとは別人のような当麻の様子に見かねて、遼が二人の間に割り込む。
「当麻、伸のことだ。きっと冷静に状況を判断して俺達のところへ帰ってくるよ。」
「しかし……。」
 遼の言葉にも煮え切らない当麻に、征士が厳然とした口調で諭す。
「別に死んだと言ってはいないだろう。一時、我々の住む世界とは別の次元に迷い込んだだけだ。十年前、我々もそういった場所で戦ったではないか。軍師であるお前がここで取り乱してどうする。」
 正論を突き出され、当麻は険しい顔のまま口を閉ざす。
 事の収束を見て、渡井が先を促した。
「この雪の怪異の原因は分かりました。新たにこの封印石に鎮魂の呪を施すよう我々で手配します。毛利さんの捜索は地の利がある住吉さんにお願いしてもよろしいでしょうか?」
「分かりました。御嶽の御師達にも協力を請いましょう。」
 佐野が了解したという風に小さく頷く。
「御嶽の御師とは?」
 征士の短いが鋭い質問に、佐野が応じた。
「ここよりさらに奥多摩の方に武蔵御岳山という、紀元前より信仰を集めている山がありまして、そこに武蔵御嶽神社という大きな神社があるのです。その信仰を広めるために昔から神社の厄除の護符などを配り歩いていた方々が、今は神社の近くに集落を作って宿屋も営んでおります。神社に直接、奉仕する神職ではないのですが、呪術の心得などもあり、この青梅から奥多摩に続く山々に関しては彼らが一番詳しいのです。」
「なるほど。」
 納得したように征士が頷く。
 渡井が天を仰いで、鈍く垂れ込める灰色の空を見ながら言った。
「再度封印が施されるのに、少し時間がかかります。今日は、このまま雪が降り続けるでしょう。電車にしろ車にしろ、交通機関が今以上に乱れるのは必至ですね。」
 その現実味を帯びた言葉に、ナスティは一気に目が覚めた。中央線はともかく、青梅線は今の状態ではすぐに止まってもおかしくない状況だ。タクシーもこんな雪深い町までは来てはくれないだろう。
「ね、当麻。ここは佐野さんと渡井さんにお任せして、私たちは早めに帰りましょう。出来る事はやったんですもの。」
「だが、ナスティ。」
 聞き分けのない子供のような態度の当麻に、遼が励ます様に言った。
「大丈夫だ、当麻。あの伸のことだ。絶対に俺達のところに戻ってくるに決まってるじゃないか。お前が信用しないでどうするんだ。」
 結局、遼のその一言で事態は治められ、伸の捜索を佐野に依頼して、ナスティと四人は青梅の町を去った。 



 手入れの行き届いた日本庭園にはうっすらと雪が被っておりその雅さを一層増していた。
 不思議なことに、中央に設えられた池は日射しもないのに明鏡のように光を放っている。
 その池に映し出される風景を愉快そうな表情で眺めているのは千早樹だった。寒くはないのだろうか。浴衣姿で縁側に腰をかけ、肩まである銀鼠の髪はしっとりと濡れている。
「あの緑色の鎧みたいなものが、十年前の天津美禍星が呼んだ鬼を封じた呪具なんだろうねえ。五人いるということは呪具も五つか。」 
 語り掛けられた相手は、千早の傍に控えている千方だった。相変わらず、細身の黒いスーツに身を包んでいる。
「恐らくそうだと思います。」
「陰陽寮が彼らを懐柔したってことは、新生する結界にもあの呪具が必要なんだろう。寮の奴らはどうでもいいんだけれどね、無粋な結界など張られては、彼女のミアレに支障を来す。早めに取り除いておいた方が無難か……。」
 最後の方は千早の独り言だった。
 振り向いて彼にしては珍しく、声を上げる。
「花月、聞いているか。」
 その言葉に、部屋の奥から一人の少年が現れた。
 年の頃は十歳くらいであろうか。
 日本人形のように美しい少年だった。
 おかっぱの黒い髪は絹糸のように麗しく、その白い面は陶磁器のように滑らかだった。
 鈴を振ったような透明な伸びのある声で、花月と呼ばれた少年は千早に答える。
「聞いてますよ。」
 その言葉に、千早の笑みが深くなった。 
「花月、清美さんが怪我をしたようだからここへ運んでくれ。」
 麗しい少年の面が、僅かに曇る。
「蛇体の清美さんは、随分と聞き分けがないので大変なのですが。」
 あどけなさを含む声で、大人びた事をさらりと言う。
「千早様の命だ、行け。」
「分かりましたよ。千早想いの千方に免じて、お役目を引き受けましょう。」
 千方をちらりと睨むと、少年はふわりと縁側から庭に飛び降りた。
 次の瞬間、ばさりと音がする。
 少年の背中には、彼の身の丈の倍ほどの、魔の集う暗黒より濃く艶やかな黒い羽根が広がっていた。

やっと舞台が青梅に……って思ったら、一回で青梅から帰った4人(笑) 戦隊モノ(本編)を意識してみましたが、武装シーンとかはもう、読んで下さる方の頭で補完してくださると助かります。その他、裏話(青梅取材の話など)はブログにて。