手袋の見る夢

 手袋の見る夢


 十二月十七日。
「あと一週間でクリスマスイブかぁ。」
 キッチンのカレンダーを見た伸は、目を見開いて大きく息をついた。
 萩の職場は今頃、大忙しだろう。毎年、ホスピスでは盛大にクリスマスパーティを行う。施設全体にイルミネーションを施して、吹き抜けの入り口には大きなモミの木を用意して、それぞれの部屋にも小さなツリーを飾ってーーそうして最後のクリスマスになるかもしれない人々が一瞬でも痛みを忘れることができるようにと祈りをこめてーーパーティをしていた。その陣頭指揮をとっていたのは副施設長である伸だ。
 そうして祝ってきた伸にとって、クリスマスはとても馴染みの深いものであったから、「パーティくらいしたいよね」と自然に考えてしまう。
「ああ、でも征士あたりが、なんだか苦手そうだなぁ。」
 五人で祝う賑やかなクリスマスを思い浮かべて、伸は口元に笑みを溜める。大の大人が……と言われそうだが、楽しいことは何歳になっても祝った方がいいと思うのだ。
 一週間後の心が浮き立つようなイベントの空想に浸りながら、買い出しに出るために玄関へ向かう。
 と、そこで下駄箱の上に赤い毛糸の手袋を見つけた。遼の手袋だ。寒さが苦手な彼は、五人の中で一番最初に、まだ、木の葉が色付き始めるころ、手袋を出してきた。
 今は征士と外出しているはずだ。きっと外に出るときに忘れたのだろう。そっと辺りを見渡して、誰もいないことを確認すると、それを手にはめた。ほんの悪戯心だった。

 刹那、ふわり、と滲むように風景が変わった。
 最初に飛び込んで来たのは、子供たちの甲高い元気な声。きゃらきゃらと笑い、はしゃぐ幼い命の歌。
 爽やかな緑の匂いに混じって、甘いミルクの香りもする。
「りょおせんせえ、りょおせんせぇ!」
「ろおせんせぇ!」
 遼を呼ぶ声がこちらに近付いて来る。まだ舌たらずなあどけない声が、周囲を取り囲んだ。
 手袋ごしに、小さな手の感触がいくつも伝わってくる。子供たちに掴まれているらしい。
「わたし、りょうせんせいとけっこんするの!」
 ひと際、小鳥の鳴き声に似た高い音で誰かが言う。すると、いくつもの声が続いた。
「わたしも!」
「ちがうよ! りょおせんせいはわたしとけっこんするんだよ!」
 手袋が引っ張られる。しかし、その力は本当にか弱くて手袋はぴくりともしなかった。
 頭の中に声が響く。
「結婚はできないけどな。みんな大好きだぞー!」
 小さな子どもたちの頭を、ひとりずつ、丁寧に撫でる感触が手袋ごしに伝わってくる。やさしい命のぬくもりに、心の底から満ち足りた幸せを感じた、その時。

 足元がぐらりと覚束なくなり、瞬きをする間に景色が変わっていた。
 見たことのある寝室だった。
 ベッドに座っているらしい。隣には寝間着姿の征士がいる。
 ひそやかな間のあと、手のひらに、征士のそれが静かに合わせられた。やや低い体温が伝わってくる。多分、遼よりも征士の体温が低いからだろう。
「征士って俺より手のひらが大きいけど、指が細いよな。」
 また、頭に声が響いた。まるで、遼の声を電話ごしに聞いている、そんな感じだ。

「だから嫌だと言ったではないか。」
 目の前の征士の頬は、わずか朱を刷いている。困ったような怒ったような表情で、口元を引き結んだままだ。けれども、その瞳は紫水晶の厳しい光を宿してはいない。やわらかな桔梗色が浮かんでいる。伸の知らない瞳の色で言葉とは裏腹にやさしい眼差しでこちらを見守っていた。
「細い指だという理由で、遼のことを守れないと思われるのは不本意だぞ。」
「そんなことないよ。征士はいつも、俺のこと、守ってくれるじゃないか。」
 二人だけの内緒話。
 ……うらやましいな。
 そう、伸が思ったとき。

「伸?」
 声をかけられて伸は我に返った。遼が奇妙な表情でこちらを覗き込んでいる。慌てて手袋を脱いで、遼に差し出した。
「あ……ええと……」
「どうしたんだ?」
「ごめん、勝手に手袋、借りちゃった。」
「いや、別にいいけどさ。」
 朗らかに笑って遼は何も問うことはしなかった。何気なく受けとって、自分の手にはめて伸に見せた。
 伸はそれを見てから、再び、自分の手を見つめる。先程の、遼の手を通して感じた様々なぬくもりがまだ宿っている。
「気になるのか?」
「ええと、うん。それ、あったかいね。」
 ーーみんなの温かさで体も心もほっこりする、やさしい手袋だね。
「それ、近所のおばあちゃんがくれたんだよ。俺、高校のときに手袋持ってなくてさ、大雪の日にコートに手を突っ込んでいるのを見て、不憫に思ったのかな。編んでくれたんだ。それからずっと、大切に使ってる。」
「そっか。」
 遼、君の手は、たくさんのものを守るかわりに、たくさんの温かな思いに守られているんだね。


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