母は俺を生んでから、一度その腕に抱いただけで、体力が戻るとすぐに仕事に戻った。
この世に生を受けて一ヶ月で大人の言葉の約半分程度を解する乳児を、看護婦や、その後預けられた保育所の保育士たちは表情にこそ出さなかったが、恐る恐る世話をしていたことは覚えている。今思えば、それは正常な反応だ。
一歳の時に、父の書斎で床に落ちている本を読んだ。
専門書だったので詳しい内容は分からなかったが、写真だけは理解できた。宇宙の創世から現在までの歴史が綴られていた。
そして、その夜、俺はビッグバンから137億年に渡る宇宙と地球の夢を見た。
この宇宙を支配する絶対的な法則と、その前では全く無力で孤独な人間の姿というものを、すでにその時にうっすらと理解していた気がする。
小学校にあがる頃、俺はある種の「能力」というものを自らに感じていた。
ほんの少し未来が見える。
それは、一時間後のことであることもあったし、数年後の事でもあった。もちろん、全く見えない時もあった。
しかし、俺はそれを「超能力」といった種類のものではなく、積み重ねて来た知識が導きだすある種の因果律のようなものだと考えたので、特に気にすることも家族に話す事もなかった。その後も誰かに言った事はない。
そんな俺だったから、鎧の宿命で彼らと出会うまでは、どこか厭世的で他者をより客観的事実として捉えようとするあまり、その態度が「見下している」ように思われていたようだ。
友達は居ない訳ではなかった。小学校も高学年になると、俺は「装う」ことを覚えた。そう、同じクラスの男子を観察し、彼らの真似をすることを覚えたのだ。そうすることで、俺は「そこそこ頭のいい、ちょっと変わった奴」として一部の友人に受け入れられ、かりそめの居場所を手に入れた。
小学校高学年から中学生の時期、そういった彼らと付き合う為に、俺はドラマやバラエティ、そしてテレビゲームといったそれまで全く興味を持たなかった物に触れることになった。昼休みや放課後の彼らの話題は、そういったコンテンツに関する感想の遣り取りか、色恋の話かどちらかだったからだ。俺はそれらに内心うんざりしながら付き合っていた。それでも、その場所でなるべく話を聞く努力をしたのは、面倒だと思いながらも137億年の宇宙の歴史のほんの一雫にも過ぎない瞬間に、必死になって誰かを好きだとか誰かと喧嘩しただとかいう俺の苦手な「感情」を剥き出しにする彼らの姿が観察対象として面白かったからだ。彼らの行動を無為だと思った事はない。ただ、その頃の俺には自らの感情を吐露するに足る友人も、剥き出しにしなくてはならないほど激しい感情も持った事がなかったのは事実だ。
中学一年の夏休み、俺は一つの思想体系を手に入れた。
「対幻想」というキイワードで語られるそれは、つまり人間は結婚して誰かと暮らし、子供を作って家庭を営むのが幸せである、「誰かと対であることが幸せである」と喧伝されているのは全くの「幻想である」という理論だ。
その考えは当時の俺に衝撃を与え、同時に深い納得をさせた。
世の中に溢れる多くのメディア、ドラマやコマーシャル、流行歌、映画、etcそれらはいつも「恋愛至上主義」とでもいうべきほどに「恋をすることは素敵な事だ」とメディアの享受者を洗脳する勢いで植え付けている。それは裏を返せば一人でいることは可哀想なこと、不幸せなこと、寂しいこと、さらに一人は悪い事だ、と暗示をかけているようなものだ。
丁度、両親が離婚した直後で、相変わらず父は家に居つかず、俺は物理的にも完全に一人になっていた頃だった。だから余計に、ドラマやコマーシャルを見て感じるある種の違和感、恋することはいいこと、誰かにモテるためにすることはこれ、という不快なメッセージをずばり「対幻想」である、と断じてくれたのは俺に新しい視野をもたらしてくれた。
一人であることを否定するのは、俺はまず両親の生き方を否定しなくてはならない。親父もお袋も家庭よりも自らの仕事を選び、離婚した。そして、仕事仲間と繋がりながら一人で立って生きている。世界の第一線で活躍している。そんな両親は俺にとって誇りでありこそすれ、家庭を放棄したと非難する理由はどこにもないのだ。そして、そんな二人から生まれた俺が、また一人なのも、一人であることを選ぶのも、誰からも責められたり同情されたりするものではないはずだ。
大体、この社会そのものがヒトという生き物の幻想ではないのか。
本能に基づいた三大欲求というが、そもそも、人間はすでに本能に頼って生きることをしていない。特に先進国と呼ばれる国々は。社会で生きてゆくために社会で規定される睡眠時間に合わせて個体差があるはずの最適睡眠時間をすり減らしている。日本は世界で一番、平均睡眠時間が短い。睡眠欲はすでに社会化され本能と乖離していることは自明だ。食欲というのもまた、「食文化」という言葉に表される様に、欲ではなく「文化」なのだ。それが高じての過剰なグルメブーム、その裏のB級グルメ、過食症、拒食症。身体の機能を保持するための本来の食欲に従って人間が生きているのなら、ファーストフード店はこんなに巨大産業にならなかっただろうし、調味料の数も少なくて良いはずなのだ。人間の食欲は、本能ではなく社会に依存している。
性欲もまた然りだ。恋愛は人が遺伝子を残すための本能の現れだとするならば、人が遺伝子を残すための本能をまず優先させなければならない。その結果、男性は多くの女性と交わって子孫を残すことになる。それでは結婚という社会システムは崩壊する。つまり、恋愛の果てに行き着く結婚と本来的な意味での性欲は同じものではなく相反するものなのだ。恋愛というのは「家」という日本古来の制度、血縁を重視してきたこの社会がそれを絶やさない様にうまく仕組んだ罠とも言える。現に、性欲のままに生きる種の人たち、風俗や水商売に携わる人たちは、それだけで社会から蔑まれる。この社会というのは、そうやって性欲を否定しながら子孫繁栄を願う矛盾した幻想に過ぎない。
だから俺は、あたかも「人間は誰かと暮らすことが幸せだよ」という顔で、寂しくないの?、とか一人で大変だね、と言ってくる輩が大嫌いだった。
人は、双子でない限り一人でこの世に生まれてくるし、心中でない限り、一人で死んでゆくのだ。
鎧と出会い、迦雄須の導きで新宿へ向かうことになった時、俺はとうとう、その日が来たんだなと思った。
幼い頃から自然と積み重ねて身につけて来た知識。思想。
俺は不思議と、それらが将来、親父のような研究者として開花する気がしなかった。何か別の目的があるような、他の理由で試されるような、そんな予感がしていたのだ。だから、与えられた鎧が「智」であることに納得したし、それが意味する役目を厭わず引き受けることができた。
戦場で、俺は自らに「どんな時も冷静であること」を課した。
全てを守ろうとし、ともすれば滅びの道を選びかねない仁将。
冷静に見えて、その反面、仲間が傷つくと己を忘れるような一面をもつ礼将。
自らが悪と認めた者には「悪」そのものを疑うことなく何者をも圧倒する力を発揮する義将。
柔らかい笑顔の裏で、仲間全ての痛みを引き受けようとする信将。
映画でも小説でもない現実の戦場で、俺は生まれて初めて「本気」を出した。いや、出さざるを得ない状況だったのだ。
五人を率いるのは遼。
その方向を見定めるのは俺。
世界を阿羅醐の妖邪帝国から守る、というのは今思えば大義名分でしかなかったのかもしれない。
何故なら、阿羅醐を滅ぼすには五人であることが必要で、つまり世界を守るということは、取りも直さず誰も失う事ができないということだった。一人が傷つけば全員が傷つく。一人が失われれば、全ては無に帰す。
仲間を失わないことが、つまるところ全てを、世界を守る事だと理解するのにそう時間はかからなかった。
五人で生き残る為に方策を考えるのが「智」の鎧の宿命なのだと、俺の役割だと、そしてその責務を全うすることに命をかけた。
鎧の共鳴を頼りに、今、誰が危険で、誰が生き残っているのかを全身で感じ取ったあの日々は、今でも時折、夢となって追体験する。もし、誰かが傷ついたら、失われたら、それは俺の失策で、俺の全人生を否定されるような出来事になったかもしれないのだ。
戦いとその激しさ。そこまでは鎧を授けられた時点で覚悟を決めていた事だったから、俺は全力でそれに立ち向かうことができた。しかし、予想外の出来事があったのもまた事実だ。
俺たちは起きてから寝るまでずっと戦っていた訳ではない。当然だが、人間としての休息の時間もあった。
そこで俺は、鎧を脱いだ一個人として同じ年齢の他者と向き合うことになった。
思いがけない共同生活。
起きてから寝るまで、食事の時も調べ物をしている時でも、とにかく誰かがいるという状況に俺は面食らった。
当然だろう。食事も就寝も物心ついた時からほとんど一人だったのだ。いきなりテーブルを囲んで食事をしましょうと言われても、どう振る舞えば良いのか分からない。それは知識の範疇外だ。もちろん、そういった場面に出くわしたことがない訳ではなかった。友人宅に呼ばれ、夕食をもてなしてもらった事くらいはある。だが、そういう時は、個別で出してくれたのでその分量だけを食べていれば良かった。足りなければ、家でいくらでも食べることができた。
だが、柳生邸での食事は主に大皿料理から個々に好きな物を取り分けて食べるという俺が一番苦手な食事形式だった。複数の人間がひとつの皿の料理を取り分ける時、自分の取り分がどれだけなのかが分からないのだ。取り皿を前に、俺が身動きできないでただ食事の盛られた大皿を見つめていると、偶然、隣の席だった伸が何も言わずに慣れた手つきで俺の皿に食事を取り分け始めた。俺は驚き過ぎて何が起こったか理解できないでいた。
「こういう時は、好きなものを好きなだけ取っていいんだよ。」
確か、そういうことを邪気のない笑顔で伸は俺に言った気がする。
人間としての伸の包み込むようなやわらかさに触れたのは、それが初めてだった。
その時、自らの幼稚さを晒した様に思え恥ずかしいと感じる反面、今まで味わった事のない形容し難い胸の痛みを感じたのをはっきりと覚えている。それが何に由来するものなのか、今でも分からない。
それからしばらく続いた、戦いと背中合わせの共同生活は、皮肉にも戦いが互いの本音と本気を出し合って行われたが故に、その裏の生活もまた、個々の本音と本気がぶつかり合う事になった。だから俺も、いつしか、装うことをやめ、俺自身の生活スタイルを曝け出すことにした。多分、どこかで信じてしまったのだ。こいつらには俺という存在を受け入れてもらえるのだと。
ある時、徹夜で作業をしていたのがたたってか、昼間、ひどい睡魔に襲われ、リビングのソファで知らぬ間に眠りに落ちた。
さざなみのような笑い声で、俺はぼんやり覚醒したが、目を開けるのが酷く億劫で、そのまま寝ているフリを決め込んだ。笑い声の主は伸と遼のようだった。
『良く寝てるね。当麻の寝顔は初めて見るよ。よほど疲れてるのかな。』
『戦いの時はすごく大人に見えるけど、寝顔はホント、子供だよな、当麻って。』
『一応、最年少だしね。』
そう言われて、嫌な気はしなかった。むしろ、誰かに見守られて眠る事が心地よいとさえ感じた。
思えば、この時初めて、親以外の前で無防備に自分の眠る姿を見せたのだ。以前の俺なら、きっとそんなことはできなかった。でも、こいつらの前なら寝顔を見られても恥ずかしくないという妙な安心感があったから、俺は二人の密かな会話を聞きながら、再び眠りについた。
俺はいつの間にか、「誰かがいる空間での生活」というものに慣れていった。
それが心地よいものだと言う事を知った。
皆が扉を開いていたから、俺もまた扉を開いたのだ。
そして、どこか歪(いびつ)な俺を、彼らは「そういうもの」としてまるごと受け入れてくれた。揉め事やたわいない喧嘩ですら、心を通わせるきっかけになったのだ。それは、俺が今までに味わった事のない新鮮な経験で、ゆっくりとした春の訪れの様に、俺の在り方を変えていった。
137億年に渡る宇宙の歴史の一雫にも満たない瞬間に、笑い、怒り、誰かと語らうことが、壮大な歴史の中で全く無力な人間に存在する意味を与えているのだと概念ではなく身体的経験として学んだのだ。
一方で、信将である伸が俺の中で徐々に特別な存在になっていった。
もちろん、遼も征士も秀も、それぞれ俺にとって特別だったが、伸はその特別とは違う意味で、「特別」だった。
共同生活に不慣れな俺を気遣い、うまく馴染む様に計らってくれたのも彼で、俺が皆との生活の中に自分の居場所を見付けると、その居場所を居心地良くしてくれたのも彼だった。
穏やかなやさしさ、人の心に染み込むような心遣い、清も濁も受け入れる深い慈愛に満ちた眼。
外見は年上の癖に幼かったが、その内に秘める心は、誰よりも大人のそれだった。
だから俺は、いつか戦いが終わったらそのやさしさの中で微睡みたいと思ってしまったのだ。戦いという現実が、自分に課した責務があまりにも厳しいものだったから。
俺が伸を特別視してしまったのは、心も体も血を流す修羅の中で、彼があまりにもやさしすぎたからだ。
人に構われる事が苦手で何かに飢えていた俺の心に易々と入り込んで来て、そこを命の水で潤したからだ。
その反面、未だ解明されない深海の神秘のような、人智を越えた計り知れないもの、時にそれは恐ろしくも感じるものを内側に隠している。
だから、俺が伸に抱く感情は恋とかそういった類のものではない。例えるなら、砂漠で水を分け与えてくたオアシスに対する感謝と畏敬の念のようなものだと思っている。もちろん、それだけでは説明のつかない感情も混じっている事は認めるが、認めたところでその痛みを伴う感情の名前を俺は知らないのだ。
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