おねえさんの誕生日



 翌朝早く、伸は朝食もそこそこに吉祥寺の街に繰り出していた。もちろん、ナスティのお伴である。
 東急裏のスターバックスでコーヒーを飲みながら、伸はゲストハウスを出た時から疑問に思っていることを口にした。
「ねえ、ナスティ。街に出るのはいいんだけれど、こんなに早くから旦那さんに会う約束してるのかい?」
「まさか。待ち合わせは1時よ」
「まだ、ずいぶん先のようだけど」
「今からお買い物をしなきゃならないから。ほら、ちょうど目の前のお店」
 ナスティの視線の先には、お洒落に着飾ったマネキンたちがショーウインドウに並んでいた。入り口には「ZARA」というロゴが見える。
誕生日に自分の好きな服を買う女性がいるという話を聞いた事があるので、ナスティもそういうところは普通の女性なんだな、と伸が思っているとその本人が突然、声音に甘えるような響きを含ませて話しかけてきた。
「ねえ、伸? お願いがあるの。今日一日、女の子になってくれない?」
「は?」
 唐突な言葉に、伸はコーヒーを口に運ぶ手を止めた。
 女の子? 僕が? 何で?
「今からダンナと会うじゃない? 友達連れだとは教えてないの。それでもし、ダンナが女の子の姿をした伸の携帯の番号を聞き出したりするような事があったら、私、本気で考える。だって、結婚前は全然、女遊びはしないって言ってたもの、だから結婚したのよ?」
 ナスティの目は本気だ。美貌も才知も兼ね備えた彼女にとって、浮気をされるとは屈辱以外何物でもないのだろう。それは分かる。
 分かるがしかし、なぜ、僕が女の子になるんだろう。伸は頭を抱えてしまう。
「だから、伸、お願い。今日、ダンナと会っている時だけ女の子でいて!」
 ナスティに頭を下げられ、伸は諦めて溜め息をついた。日頃お世話になっているのだ。別に命をかけるわけでもなし、願い事の部類としては多分、難しくないものだと思う。
「分かったよ、ナスティ。でも、一つだけ聞いていいかい? 女友達は、いっぱいいるだろう。別に男の僕に女装させなくても友達に頼めなかったのかい?」
 今度はナスティが溜め息をつく番だった。
「ダンナはルックス重視なの。デザイナーという名のつく仕事のせいかもしれないけど」
 なるほど、と伸は心の中で納得する。ならばフランス人とのハーフのナスティを選んだのも頷ける。
「思いつく限り、わたしの友人に伸より可愛い女の子が居なかったのよ」
 聞かなきゃ良かった、という伸の思いはナスティの「さあ、行きましょう!」という、どこか遠足前の子供のようなうきうきした声にかき消されてしまった。


 きらきらと女の子が喜ぶような店内に入ってから一時間後、伸は心の底から疲れていた。
 普段、チュニックを着ているせいで「女性が着る服」というものに抵抗感がなかったのも事実だ。それが、命取りだった。
 ナスティと2人で店の中の服を選び出すと、他の客がいるにも関わらず、スタッフがわらわらと詰め寄り、こちらはどうですか、こちらも似合いますよ、と次々と勧められ、仕舞には店に届いたばかりでまだ商品タグがついてないものまで出されて来てた。その中から、ナスティの目に叶ったものを伸は大人しく試着することになった。計10着。その度に鏡の前に立ち、スペイン発のファストファッションを身に纏った自分自身を眺めて、悟られないように笑顔の下で深く溜め息をつく。
 女性の服って、こんなに薄いんだ。
 いや、それよりも、こんな場面は他の4人、特に当麻あたりには見せられないな。
 それに、どうしてここのスタッフの人は僕が男だと気付かないんだ? いや、気を遣って気付かないフリをしてくれているのか……。
 東京って凄いな……。
 伸がいろいろな苦悩を抱えながら、それでも笑顔でスタッフにお礼を言いつつ、ナスティが選んだのはブラックのシルク100%のテイアードワンピースだった。MAX丈なので、女性にしては長身の伸にも問題はなかった。ただ、肩でリボンを結ぶタイプの物なので、むき出しになった肩に男性らしさが残るため、ナスティが店内からマットな質感のシルバーのストールを持って来て肩に羽織らせた。胸がないのも、これで誤摩化すらしい。
「お客様、よくお似合いですね! この服はスタイルが良くないとシルエットが美しくないんですよ」
「うん、伸、完璧! やっぱり私の目に狂いはなかったわ」
 全身鏡の前の自分を見て、伸は息を詰める。
 ……当麻には、絶対に見せたくない。


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