12時40分。
ナスティと伸は、駅前のサーティワンの脇で流れる人波を見ていた。
平日にも関わらず、学生やスーツを着込んだビジネスマンの姿で駅周辺はお祭り騒ぎのようだ。
その中でも、ナスティと伸の目立つ風貌の2人はかなり注目を浴びていたのだが、本人たちは無関心である。
「ねえ、伸、名前はどうしよう?」
「名前?」
「まさか、女の子で伸、というわけにはいかないでしょう?」
可愛い名前がいいわよね、とこれから生まれてくる自分の子供の名前を考えるように目を輝かせるナスティを見て、伸は危険を察し制止した。
「ナスティ、本来の目的は僕の女装じゃなくて、旦那さんを問い質すことだろう? 名前なんて普通でいいじゃないか」
「そう?」
「じゃあ、桜でどう?」
「桜? 確か、伸のお姉様の名前は小夜子さんよね」
「そうだよ。桜は、仙台に住む従姉妹の名前。遠いから随分と会っていないけれど、僕と似ているらしいよ」
「ふうん、似てるんだ」
危険なナスティの微笑みに、伸は思いっきり自爆してしまったことに気付いたが後の祭りだった。
「今度、会わせてね」
「いや、ほら似てるっていっても、昔の話だから……」
伸があたふたとしていると、人波の中から長身の男性が近付いて来た。
細身の黒いジーンズにカジュアルな同色のジャケット。短めの細いタイも黒でモノトーンで統一しているが重さはない。
そして、なによりも手には白が眩しい大きな花束。
「ナスティ、待たせたかな? 待ち合わせの時間にはまだあるようだけど」
男はナスティを見て明るく笑った。ナスティもそれに合わせて柔和な女性らしい笑みを浮かべる。
「わたしたちも今来たところよ、啓介さん。そう、今日は友人にも来てもらったの。こちら、毛利桜さん」
突然の紹介に飛び上がる心臓を押さえて、伸は柔らかい口調を心替けて挨拶をする。果たして、それで自分の声が女性に聞こえるかどうかは疑問だが。
「はじめまして。毛利といいます」
「千石大学の後輩なの。今は研究室に残って教授の助手をしているのよ」
「そうなんだ。毛利さん、初めまして。僕は須ヶ崎啓介です。いつもナスティがお世話になっています」
「いえ、こちらこそ、先輩にはいつもお世話になっています」
ナスティの言葉に辻褄を合わせようと、伸は必死になって自分の設定を考える。どうやら、今はナスティの後輩で伝奇学の教授の助手ということだが、そんな知識はこれっぽっちもないことに伸は不安を覚える。尋ねられたら、どういう内容を答えれば良いのだろう。
「今日は暑いわね。ご飯の前だけど、アイス食べたくなっちゃった。啓介さんは?」
「そうだね。昼は少しくらい遅くなっても構わないだろう。ナスティ、何食べたい? 毛利さんは?」
「いい、わたしが買ってくるから。春の新作をまだ食べてないもの。店内で選んでくる。啓介さんと桜さんは何にする?」
晴れやかな笑顔のナスティの言葉に、一瞬、翳りを見て伸は理解した。早速、例の計画を実行しようというのだ。後ろを見ると、サーティワンには店外にも列ができており、ナスティがアイスを買って戻ってくるまでに相当時間がかかることはすぐ理解できた。
「じゃあナスティ、頼んでいいかな。僕はバニラとラムレーズン」
「ぼ……、いや、わたしは良く分からないから、先輩に任せます」
「分かったわ、少し2人で待っててね」
颯爽とその場から去ったナスティの姿を見届けてから、ナスティの旦那である須ヶ崎は伸に笑顔を向けて来た。
「改めて。僕は須ヶ崎啓介。32歳、山羊座のB型、職業は建築デザイナー。趣味は旅行かな」
向けられる笑顔は、よくドラマで見るような横文字職業にありがちなの気障なものではなく、とても軽やかなもので不快はなかったが、どうも雲行きが怪しい事に伸は不安になる。
「毛利さんは研究室に残っているってことは、まだ独身?」
「え、ええ」
いきなりストレートに質問されて、昨晩のナスティの乱れぶりが頭を過る。もし、この男がナスティが勘ぐるように女癖が悪いのであれば、今、ここで自分がそれを正しても構わない、が、いかんせん、この格好ではその効力は半減することは間違いない。
「でも、将来を約束した人くらいいるんでしょ?」
「いえ、今はいません」
「そうなの? こんなに美人なのに? これまで、何人もナスティの友人を紹介してもらったけど、君は飛び抜けて綺麗だね。モデルかと思ったよ」
伸は言葉を失い、俯いてしまった。返す言葉が見つからないどころか、怒りを押さえるのに必死だったのである。
目の前の男のことは、散々、ナスティから「良い旦那」と聞いていたので、そういうイメージを持っていたが、この軽いノリは何なんだ。
「じゃあ、今はフリーってことでいいのかな。今度、仕事仲間とパーティがあるんだ。建築デザイナー以外にもいろんな業種の人間が集まってね。情報を交換しあうんだけど、良かったらおいでよ。良い出会いもあると思うよ。日時はまだはっきりしていないから、分かり次第電話するから、携帯の番号、教えてもらえると嬉しいな」
伸の中でブチっとなにかが切れる音がした。
シルバーのスカーフをばさりと外し、顔をあげ、その瞳に真っ直ぐな怒りの色を宿して啓介を射るように見た。
「僕、男です」
「え?」
啓介はぽかんとして伸を見ている。状況が飲み込めないらしい。
「毛利伸といいます。10年前に縁があってナスティと知り合いました。今、ゲストハウスにお世話になってます。この格好は、あなたを試すためにナスティが采配したものです」
いまだ成り行きが理解できていない啓介は、お化けでも見るようにまじまじと伸を眺めたまま動かない。
「昨日の夜、ナスティが泣きながら、僕たちがお世話になっているゲストハウスに来ました。ずいぶんとお酒を飲んでもいたようです。話を聞くと、あなたの仕事用の携帯に女性から電話があったそうです。アドレス帳にも女性の名前が多くあって、あなたを信頼していたナスティは酷く落ち込んでいました。なのにあなたは、さっき、僕に聞いたみたいに、簡単に他の女性の携帯の番号を聞いたりする。それは僕は許せない」
伸は啓介をきっと睨みつけた。
重い沈黙が訪れる。
しかし、それはすぐに破られた。
啓介が周囲をはばからず大声で笑い始めたのだ。
今度は伸が驚く番だった。
「何がおかしいんです?」
「いや、僕も幸せだなぁと思ってさ。そんなに嫉妬してくれるなんて有り難いことじゃないか」
きょとんとする伸に、ナスティの夫は温和な笑顔で説明を始めた。
「そうだよ、僕の仕事用の携帯には女性が多いし、女友達も多いよ。それはナスティも知ってる。でも、それにはちゃんと理由があるんだ。この仕事に就いてると、何かと先方を接待しなきゃならないんだよ。先輩が言うにはバブルの頃は高額のお金を払ってコンパニオンを雇っていたらしいんだけど、今はこのご時世だからね。そんな贅沢はできない。だから、めぼしい女性と会った時は仲良くさせてもらって、いざと言う時には、接待の花の役を買って出てもらう。もちろん、同席してもらうだけだよ。小額だけどちゃんと謝礼も出す。男だけの食事より、女性が居た方が華やぐだろう? 商談も進む。全ては仕事のためなんだ」
そう話す啓介の目は真摯で、嘘の欠片は見当たらない。
伸は軽く唇を噛み、視線を啓介から少し逸らして小さく息をついた。
成り行きとはいえ、一瞬でも目の前の男性、ナスティの夫に怒りを感じ、それをぶつけてしまった自分が許せなかった。
「しかし、昨日というか、今日の朝、会議が終わってね。仕事用の携帯を家に忘れていたのは気付いていたけど、まさかそんな事があったとはね。これは僕からナスティに謝っておかないといけないな。あと、事情の説明とね」
啓介は肩を竦め、同意を得るように伸を見た。
力なく伸は笑い、言葉を続ける。
「すみませんでした。僕の勘違いで、先程は酷いことを言ってしまって……」
「いいんだよ。元はといえば、僕も悪かったことだし。第一、君だってナスティに言われてその格好をしているんだから、君にも迷惑をかけたことになるからね。謝るのは僕の方だ」
「……いえ」
「でも、毛利君、本当に似合うねぇ。ナスティが自慢するのも分かるよ」
「え?」
伸が目で、啓介に何を?と問いかけたのと、よく通る声が聞こえたのは同時だった。
「お待たせ! 結構、時間かかっちゃったわ」
2人して振り返ると、ナスティがサーティワンの紙袋を持って駆け寄って来た。
伸と啓介は、同じ男として顔を見合わせ、それぞれの意思を確認する。
「じゃあ、ナスティにはちゃんと説明してあげてくださいね」
「ありがとう、本当にすまなかったね。今度は男として一緒に飲もう」
「え、何の話してるの?」
2人の前に辿り着いたナスティが、自分の知らない間に和やかな雰囲気で語らっている旦那と弟を不思議そうな顔で見た。
「いや、ナスティ。話が丁度終わったところだよ。僕はここで帰るね。せっかくの誕生日なんだから、楽しく過ごして」
「え、し……桜さん? だって」
「事情は僕からきちんと話そう、ナスティ。だから、毛利君にこれ以上、可哀想な格好をさせるのは止そうじゃないか」
「毛利君?」
ナスティの驚いた顔に、伸は最上の笑顔を向けて心の中で目の前の2人の幸せを祈った。
そして、家から着てきた服が入っているZARAの紙袋を手にしてお辞儀をする。
「じゃあ、お邪魔しました。ナスティ、お誕生日おめでとう」
伸はくるりと踵を返し、ゲストハウスへ向かう方へ歩き出した。
格好良く2人の前から退散した伸は、ふと我に返る。
今の自分の服は、そういえば黒いワンピースだった。
このままゲストハウスに戻るわけにはいかないだろう。何を言われるか分かったもんじゃない。
しかし、問題はどこで着替えるかである。
まだまだ地理に不慣れなこの街で、更衣室が有る場所がデパートしか思いつかない。
仮に、どこかのデパートのトイレで着替えるとしてもこの格好で男性用のトイレに入る事はできない。
かといって、女性トイレに入る訳にも行かない。
どうしよう……。
散々悩んだ挙げ句、結局、その姿のままゲストハウスに戻った伸は、予想通り、4人の仲間の好奇と爆笑の的となったのだった。
終
2010.05.07 脱稿
遅れてしまいましたが、ナスティお誕生日おめでとうございます!! この話は、絵描きさんから「ナスティは攻めだよね?」と言われた時に(3月くらい)に思いついて、ずっと書きたかった話でした。ずっと書きたかった話が、こんな残念な話ですみません。。その他呟きはブログにて。

