咖喱三皿の演奏者

 咖喱三皿の演奏者 (1)


 その日は、四月にしては暑い日で、僕は風呂上がりに夜風にあたりたくて、ゲストハウスの裏に続く井の頭公園へと向かった。
 水と緑に恵まれた公園に吹く風は、街中よりもずいぶんと涼しいのだ。
 こういう時、当麻が必ず僕のあとにくっついてくる。
 いくら街灯があるからと言っても、男女問わず、都会の夜の公園を一人で歩くのは危険なんだと当麻に言われた。
 この、一見、平和でのどかな公園も、九十年代半ばにはバラバラ殺人事件が起こったそうで、そういう話を聞くと、都会って怖いなと思う。
 僕の実家の近くには、街灯すらもない場所が殆どだから、どうして街灯のある公園がそんなに危険なのか、実感が湧かないのだけれど。
 見上げると、冴え冴えとした月の光が僕たちの影を作っていた。池の水面には、ゆうらりと揺れる月の姿。
「東京でも、こんなに月は明るいんだね」
「ああ、この辺りは23区に比べると比較的、大気が澄んでいるからな。駅周辺と比べても地上の灯りが少ない分、明るく見えるんだろう」
「僕が生きてる間に、月旅行はできるかな」
「え?」
 潮の満ち引きは、月の引力に支配される。そういうことを幼い頃に教えられてから、僕は、月がなんとなく、友人のように思えていた。でも、それは見上げるだけで、手を伸ばしても決して触れる事も叶わぬ、遥かな宇宙の住人。
「『私を月に連れてって』っていう歌、あったよね」
「日本の歌か?」
「わかんない。多分、アメリカの曲だと思うよ。僕がラジオで聞いた時は英語だったから」
「ああ、バート・ハワードの『In Other Words』な」
「そんなタイトルだったかなぁ? 『Moon』っていう言葉が入ってた気がするけど」
「『Fly Me to the Moon』だろ?」
「そうそう、それ」
「原曲は『In Other Words』なんだよ。その後、1960年代にフランク・シナトラがカヴァーしてヒットしたのが、今よく流れるバージョン。それが『Fly Me to the Moon』。いろんなミュージシャンがカバーしてるよ。日本人だと五木ひろしや小野リサなんかがカバーしてるな。最近は宇多田ヒカルもか。」
「詳しいんだね。なんだか意外。それとも僕が知らなさすぎるだけで、智将の君としては常識の事だった?」
 饒舌だった当麻が、不意に黙り込んで月を見上げた。つられて僕も月を見上げる。
 銀細工のような、本当に綺麗としか言いようのない、月。
「なんだか、聞きたくなってきちゃったな。明日、駅前のCD屋さんで探してこようか」
「なんだ。CD買うほど聞きたいんだったら、俺が……」
「遠慮しておくよ。僕だってそんな無理を君に言わないよ」
 少年時代、当麻の歌唱力がとても人並みとは言い難いということを、遊びに行ったカラオケで知って以来、僕を含めて皆、当麻には音楽の話題を振らないようになった。IQの高さと音楽的才能は決してイコールではない、というのは征士の見解だ。
 申し訳ないけれど、その征士の意見にはやはり納得せざるを得なくて、僕の中で、当麻と音楽は相容れないものだった。


 翌日の夕方。
 キッチンの冷蔵庫を覗いて、夕飯のメニューを考えていると、当麻がひょっこり顔を覗かせた。
「あー、伸。今日、俺、夕飯いらないから」
「うん、それは分かったけど……。今からどこかに仕事に行くのかい?」
 驚いた事に、当麻がスーツを着ていた。それも、サラリーマンが着るようなビジネススーツじゃなくて、深みのある黒が印象的なお洒落なスーツ。髪もワックスか何かでアレンジしているようだ。身長の高さと持ち前のルックスの良さも相まって、ちょっと一般人には見えない。
 見た事のない当麻の姿に、僕は妙な気分になった。面映いというのは、きっとこんな気分なんだと思う。同じ男、それも寝起きを共にしている友人を格好良いと思ってしまうのはちょっと照れくさい。
 でも、その口からでてくる言葉は、いつもの当麻と同じだった。
「今からカレー食いに行ってくるから」
「スーツを着て?」
「ん、これは別件。一応、カレー絡みだけど」
 こういう時、智将というのが理解できない。スーツとカレー。どこで結びつくんだろう。当麻は、時折、頭が良すぎて、話の内容を割愛して話す癖がある。聞いているこちらからすれば、なぜ、その話がそちらに飛ぶのか全く理解できない。しかし、本人は全く気付いていないので、あえて誰も注意しないのだけれど、スーツとカレーの関連性には、さすがに理解に苦しむ。
 何かを思い出したように、当麻が言った。
「伸もカレー、食いに来いよ。吉祥寺で一番美味いぜ」
「興味はあるけど、今日は僕が夕飯の当番だから……」
 だから、一人で行っておいでよ、という僕の言葉を遮って、当麻はリビングで遼と一緒にテレビゲームに専念している秀に声をかけた。
「おい、秀。今から伸と出かけてくるから、夕飯当番、頼んだぞ」
「りょーかい」
 リビングから、秀の気の抜けたような返答が返って来た。
 なんだか、今日の当麻は見た目のせいもあるのか、いつもより強引な気がするのは僕の思い違いだろうか。
「伸、行くぞ」
「ちょっと待ちなよ、当麻。僕は何の準備もしてないし、お財布も上に置いたままだよ」
「財布なんていらない。カレー食いに行くだけなんだから」
 そうして、僕は半ば当麻に押し切られる形で、手ぶらで夜の吉祥寺の街に出た。


 車のライトが眩しく行き交う井の頭通りの歩道を歩きながら、当麻がその完璧な見た目にそぐわない困ったような声で説明を始めた。
「あのさ、今から行く店なんだけど、店の人には、俺は『当麻』っていう名前しか教えてないから。あと、身分も学生ってことになってる」
「予備校生なんだから学生でいいんじゃない?」
「相変わらずの毒舌だな。……一応、近くの大学の大学院生って説明してあるんだよ。年齢的に、そうじゃないとおかしいだろ。だから、それ以外の事は絶対に口にするなよ。あと、伸も名前以外、自分の事は言うな」
「カレーを食べる場所が、そんな危険な所なのかい? まるで闇カジノにでも行くような口ぶりじゃないか」
「……危険じゃないけどな。いろいろ鬱陶しいから」
 何かを諦めるように当麻は言い止して、再び、視線を前に向けて歩き始めた。
 僕はますます、分からなくなってきた。
 スーツとカレーと、身分を明かすなという謎。
 一体、当麻はどこで何をするつもりなんだろう。
 考えに耽っていると、居酒屋の前で当麻がぴたりと足を止めた。
 正確には、居酒屋の隣にある、地下に降りて行く階段の前だ。
 その入り口は、よくよく注意しないと見落としてしまいそうなくらい狭くて、でも不可解な文様が彫り込まれている遺跡のような石造りの階段は、一度見たら絶対に忘れられないくらいのインパクトがあった。
 僕は、慣れた様子で階段を降りてゆく当麻の後について、その不思議な階段に足を踏み入れた。




「トウマ、突然呼び出して悪いわね」
「いいですよ、いつも美味いカレー、食わせてもらってますから」
「この子が電話で話してたお友達?」
「そうです。こういう場所は慣れてないんで、今日は面倒を見てやって下さい」
 僕は、店に入るなり、カウンターのスツールに座らされた。正面には、まるで古代遺跡の舞台セットのようなライブステージ。
 そのカウンターの向こうで、キャラメル色の長い髪をトップで結んだ女性が、はじけるような明るい笑顔で当麻と話していた。年齢は、多分、ナスティより少し上だと思う。女性としてとても綺麗なんだけれど、服装のわりには落ち着きのある雰囲気を醸し出していて、僕は直感的に彼女がこの店の主であることを知った。
 彼女と話す当麻も、普段見せないような生き生きとした表情をしていて、僕はちょっと複雑な気持ちになった。
 当麻のスーツの理由が、彼女にあるとしたら、
 それは月9のような分かりやすいドラマだなと思う。
 ハンサムな院生とライブハウスの美人女性オーナー。
 カレーは、口実なのだろうか。
 どうして当麻は、僕をここに連れて来たのだろう?
 カレーとスーツとライブハウスという謎に、僕はなんだか胸が冷える思いがした。
「伸、こちらがオーナーのナナさん」
「よろしく、シン」
 思いに耽っていると、突然、僕に話が振られてびっくりした。
 当麻が言ったように、僕はこういう場所には慣れていないし、作法も分からない。
 だから、仕方なく、当麻に事前に注意されたように名前だけで自己紹介をした。
「伸といいます。よろしくお願いします」
「ROVERへようこそ。良い音楽とおいしい食事を。何か飲む?」
 女性オーナーからメニューを渡され、どうしたものかと迷う。
 当麻に突然、連れ出されて、財布も何も持って来ていないのだ。
「ちょっと、当麻……」
 文句を言おうとそちらに向くと、ご機嫌な笑顔を浮かべた当麻があっさりととんでもない事を言った。
「何を飲み食いしてもいいぞ、伸。俺が体で払うから」
「は?」 
 体で払うって、どういうこと?
 ありふれたツッコミをいれる前に当麻が続けた。
「あと、ナナさん、こいつにカレー出して、いつもの。あと、俺はミネラルウォーターね」
 分かったわ、と相槌をうって、ナナさんという女性はカウンターの奥の厨房らしき方へ合図をひとつしてから、冷蔵庫から取り出したペットボトルを当麻に渡した。
「シンは何にする?」
 ナナさんが笑顔で尋ねてくるので、僕はメニューの中で良く知っているものを選んで答えた。
「ジントニックでお願いします」
「ジントニックね」
 その声に動かされたかのように、カウンターと厨房の間の椅子で座っていたバーテンが、グラスを取り上げる。
 よく見ると、カウンターの後ろの棚には、ずらりと洋酒のボトルが並んでいた。これだけ揃っているのを見るのは、僕は初めてで、なんだか遠い世界に来てしまったかのような錯覚を覚える。
「で、今日の俺の相方は?」
 ペットボトルを手に、当麻がナナさんに尋ねた。
「今、楽屋で準備してるわ。話は通してあるからすぐにリハに入ってもらって大丈夫よ」
「わかった」
 言ってから、当麻は僕の耳元で内緒話のように小声で囁いた。
「絶対、この場所から動くんじゃないぞ」
 言い残して、当麻は開場前の薄暗いライブハウスの奥へと姿を消した。
 そして、僕は残された。
 ナナさんと僕の間に、気まずい沈黙が流れる。
 もともと、こういう夜の店には不慣れなのだ。何を話せば良いのかも分からない。
 そんな僕の戸惑いを察したかのように、ナナさんが僕の前にジントニックの注がれたグラスを置きながら、話し始めた。
「トウマが来たのは半年くらい前かしら。開店直後にいきなりやって来てね。『カレーが食べたい』っていうのよ。失礼でしょ、うち、これでも祖父の代から続いているジャズの老舗なのよ。自分で言うのもなんだけれどね。ROVERのステージに立てたら、この街ではジャズシンガーとしては成功なのよ」
「そうなんですか、僕はあまりこの街のこと、知らなくて」
「あら、じゃあ、吉祥寺がジャズの街だってことも?」
「はい、すみいません」
「気にしなくていいのよ。ROVERって店の名前の意味、知ってる? 流浪者って意味なの。そういう人たちの拠り所だから」 
 ナナさんはニコリと笑って話を続けた。
「まあ、確かにカレーは出してて常連さんの間では好評なんだけれどね。トウマが言うにはネットで検索したら、うちのカレーが出て来たっていうのよ。でも、ライブハウスのオーナーとしては、少し、不本意だったわよ。カレー目当てで来られてもってね。で、丁度、その日、二人のジャズシンガーがステージに立つはずだったんだけれど、後半のステージで歌う女性のサポートのギタリストの人が、吉祥寺の駅の階段で転んじゃってね。手を怪我してギターどころじゃなくなったの。シンガーの女の子もスタッフも大慌てで混乱してた時に、トウマがね、スタッフに声をかけたのよ。演奏する曲のデモテープがあれば、自分が代役できるって。わたしもにわかには信じ難くてね。だから、彼に店のアコースティックギターを渡して、ジャズスタンダードの『All Of Me』のレコードをかけて演奏できるかって尋ねたの。そうしたら、彼、見事に弾きこなしてくれてね。その日のステージは恙無く終えたと言う訳。それがROVERとトウマの出会いなのよ。それから、うちで出演アーティストの欠員が出た時はトウマに来てもらってるの。報酬はカレー三皿」
「じゃあ、もしかして今日は」
「そう、今日のステージの女性の相方のピアニストの方が突然の風邪で、高熱を出したっていうから、トウマに来てもらったの」
 ナナさんの視線が、僕から外されて、ステージの方へ向けられた。
 つられて僕もそちらを向くと、当麻がDJが使うような大きなヘッドフォンを耳にあてて、ステージ脇の暗がりにあるスツールに腰掛けていた。目を凝らしてよく見ると、わずかに、その影がリズムを刻んでいる。
「当麻は、あれは何をしてるんです?」
「彼なりのリハーサルみたい。演奏曲を一通り聞けば、とりあえず、大体の曲は再現できるそうよ、トウマ曰く。まあ、ミュージシャンの業界では耳コピなんて普通だけれど、トウマはどう見ても音楽畑じゃないし。わたしの勘だとどちらかというと研究者とかそんな感じ。近くの大学の学院生だとしか教えてくれないんだけれど、あれだけの音楽の才能があるなら食べて行けるのに、もったいないわ。シンは知ってるんでしょ? トウマのこと」
「いえ、僕は……」
 僕は、当麻のことをどれだけ知っているんだろう。
 スーツ姿の当麻、知らない女性と笑顔で会話をする当麻、ヘッドフォンをつけた当麻、そして、一番遠いと思っていた『音楽』で食べて行けるとまで言われる当麻。
 僕の知らない当麻ばかりだ。
 僕は当麻の何を見て来たのだろう。
 唐突に、僕の世界から僕の知っている『羽柴当麻』の存在が消えてしまったようで、どうしようもなく怖くなった。
 こんな気持ちを、僕は知らない。

 いつの間にか、時間は経っていたようで、ステージ前のテーブル席は客で埋まっていた。
 ステージ周りのスタッフが忙しく動き回っている。
 当麻の姿は僕の気付かない間に消えていた。

 僕の落ち着かない気持ちは、強めのジントニックに煽られたようで、これ以上、知らない当麻の姿を見るのが辛い気もしてこっそり帰ろうかと思ったけれど、「絶対、この場所から動くんじゃないぞ」という低い囁きが呪文のように、僕をスツールに縛り付けた。

 ライブハウスの照明が落ちて、ステージがライトアップされる。

 そこには、腰まである美しいストレートの髪を揺らして、黒いドレスを纏った女性と、歴史を感じさせるグランドピアノの前で「まるで本物のミュージシャンのように」優雅に座っている当麻の姿があった。そして、僕の座るスツールからは、当麻が一番、良く見えた。

 僕は驚くことも忘れて、その姿に魅入った。

 そして、それが本当に当麻なのか疑った。

 僕は突然、当麻がスーツを着てきた理由に気付き、それでも、やはり、本当に当麻なのだろうかと思った。



 女性のアカペラから始まったステージは、彼女の圧倒的な歌声と、それを優しく包み込むようなグランドピアノの音でライブハウスを心地よい興奮と熱気へいざなった。
 僕も、まわってきたアルコールと、気持ちの良い音のうねりの中で、自分を見失いそうになっていた。
 知らない曲ばかりだけれど、優しく響く音に体と心を任せてしまえば、落ち着かない気持ちも忘れてしまえそうだ。

 生まれて初めて聞く、生のジャズの歌声と音に、僕はすっかり酔っていたらしくて、気がつくと、一回目のステージが終わっていた。
 当麻は、カウンターに帰ってこなかったけれど、ナナさんがカレーを出してくれた。
 当麻が美味いといっていたカレーは、僕がいつも作るカレーと違って、スパイスから調合されたいわゆる「本格派カレー」だった。
 よくよく味わえば、ターメリックやクミンの独特の風味が舌に伝わってくる。
 この手のカレーは、遼や征士が苦手だと言っていたのと、当麻はどうせ、お子様味覚だから、という理由で作った事はなかった。
 だから、意外といえば意外だけれど、グランドピアノを弾く当麻を見た後は、何も驚く事はなかった。

 二回目のステージにも、僕は心地よく音に酔っていて、もうすっかり当麻がそこに居る事を忘れていた。
 深く艶やかな歌声と厚みのあるグランドピアノの音の渦が、僕を満たしていく。
 そういえば、グランドピアノを生で聞くのは、高校の音楽の授業以来かもしれない。そんな、どうでもいいことを思い出していた。

 演奏が止み、スポットライトを浴びた女性が、ドレスを揺らめかせて用意されていたスツールに座る。

「今日は来てくださって、どうもありがとうございます。そして、ROVERのステージに立たせてくださったことに感謝します。今後のライブ予定は手元のちらしに書いてあるので、お時間ありましたら、どうぞよろしくお願いします」
 丁寧な口調で喋った女性は、スツールの下のペットボトルに一度、口をつけてから、話を続けた。
「わたしがジャズを始めたのは、音大のジャズ研に誘われたのがきっかけなんです。それからもう、十五年、唄ってるんですが、その間、ずっとバックでピアノを弾いてくれてた同級生の吉野が、今日は体調を崩して来られなかったんです。それで、急遽、ROVERの紹介で助っ人を頼みました。風の噂で、このライブハウスにカレー三皿で演奏をしてくれる救世主がいるとは聞いていたんですけど、本当に上手いですね。初めての演奏で、しかもリハなしで、こんなに息があった人は初めてです。今日のサポートメンバー、トウマ! ありがとう」
 拍手と一緒に「カレー三皿!」と野次が飛んだ。きっと、常連客なんだろう。
 スポットライトが当麻に当たる。 
 照明の下で、当麻は、僕にも、僕たちにも見せた事のない、透明なよそ行きの笑顔を浮かべて軽くお辞儀をした。
「それで、今日はラストナンバーを何にしようか決めてこなかったんですが、トウマから、リクエストがあったので、それを唄いますね。今日、ライブハウスにいる友人に聞いて欲しいそうです」
 そこまで聞いて、僕は二杯目のジントニックを運ぶ手を止めた。
 友人に、聞いて欲しい?
 それは、僕のことだろうか。
 それとも、別の知らない人が来ていたりするんだろうか。
 今日は、知らないことばかりだから、きっと僕の知らない友人がいてもおかしくない。
 当麻の弾くピアノのイントロが流れ始めると、カウンター越しにナナさんが、あら、と声をあげた。
 何かあったのかと思い、ナナさんの方を向くと、僕の方を意味深に見つめている。
「あの、どうかしましたか」
「わたし、シンに野暮な事、聞いちゃったのかしら」
「何のことですか?」
「だってこの曲……」
 先の言葉は、厚みのある歌声にかき消された。



咖喱三皿の演奏者 (2)