咖喱三皿の演奏者

 咖喱三皿の演奏者 (2)


Poets often use many words to say a simple thing.
(詩人はいつだって単純なこと伝えるのに様々な言葉を使うわ)
It takes thought and time and rhyme to make a poem sing.
(たったひとつの詩を歌うために悩んで、時間をかけて音を乗せる)
With music and words I've been playing.
(音楽と言葉を添え、思いを伝えよう)
For you I have written a song
(あなたのために歌を書いたの)
To be sure that you'll know what I'm saying,
(あなたならきっと私の言っていること、分かってくれると信じてる)
I'll translate as I go along.
(聴いていくうちに、分かるはずだから)


Fly me to the moon,
(私を月に連れてって)
and let me play among the stars.
(星たちに囲まれて遊んでみたいの)
Let me see what spring is like on Jupiter and Mars.
(木星や火星にどんな春が訪れるのか見てみたいわ)
In other words, hold my hand!
(つまり、手を繋いで欲しいってことなの)
In other words, daring kiss me!
(だからその…キスして欲しいの)
Fill my heart with song,
(私の心を歌でいっぱいにして)
and let me sing forever more.
(ずっとずっと、歌わせて)
You are all I long for
(あなたは私がずっと待ち焦がれていた人)
all I worship and adore.
(憧れ慕うのはあなただけ)
In other words, please be true!
(だからお願い、変わらないでいて)
In other words, I love you!
(つまりその…愛してるの)


 唄いあげた女性が、長い髪を滑らせてお辞儀をすると、グランドピアノの前で当麻も一緒に頭を下げた。
 それが合図のように、ステージの照明が消えて、ライブハウスの客席にライトが戻って来た。
 ステージを終えた女性と当麻は、テーブル席の間でいろいろな客と話をしている。
 ふと、昨日の夜のことを思い出した。
 僕が、この曲を聞きたいと言っていたのを、当麻は覚えていてここに連れて来たんだと気付いて、落ち着かない何かがすとん、と静かになった。
 客席で、音楽と酒に酔った客の相手をしている透明な笑顔を浮かべているのは、僕の知らなかった当麻だけれど、間違いなく、あれは、僕の知っている当麻なんだ。
 ナナさんが、カウンターの向こうでくすくす笑っている。
「トウマったら、随分大胆なことをするのね。全く、プライベートライブじゃないんだから。文句言わなきゃ」
「当麻が何か?」
 驚く僕よりも、さらに驚く表情を浮かべたナナさんが不思議そうに答えた。
「シンは、あまり音楽を聞かないの?」
「すみません、そんなに詳しい方じゃないです。あ、でも今の曲は知っています。『Fly Me to the Moon』ですよね」
「そう、Fly Me to the Moon、私を月に連れてって、『言い換えると』、つまり『In other words』ね、どういうことかしら」
 尋ねられて、僕は歌詞を思い出す。
 簡単な歌詞だけれど、綺麗に響くメロディばかりに気をとられて、和訳したことはなかった。
 アルコールのまわった頭で、できるだけ丁寧に曲を思い出して、最後のフレーズに行き着いた。

……In other words, I love you.

 ええ! と思い、ついナナさんの方を見てしまった。
 朗らかな笑顔で、ナナさんがとんでもないことを言う。
「シン、そこらの女の子よりも可愛いもんね。大丈夫、この業界、そういう人、多いから」
「いや、多分、そういう理由じゃないと思います……」
 最後は小声になってしまった。
 本当に、当麻は単純に、昨晩の僕の願いを聞き届けてくれただけなんだと思う。
 それ以上の意味はないはず。
 あったとしても、多分、当麻は気付いていないはずだから。

……In other words, I love you.

 そんな気持ちが、本当に僕らの間にあると知ったら、僕も当麻もきっと一緒のベッドで眠れない。

 何も知らないナナさんが、当麻を呼んだ。

 カウンターに戻って来た当麻は、僕の方を見て、ちょっとだけ笑うと、ナナさんに『お腹すいた』と一言、告げた。
 そして、出されたカレーを勢いよく食べ始める。
 僕は、アルコールで霞がかった意識の中で、スーツを着崩した当麻が次々とお皿をあけるのを、ぼんやりと眺めていた。


 ライブハウスを後にしたのは、十一時をずいぶん過ぎた頃だった。
 井の頭通りは、まだ行き交う車のライトで眩しかった。
 アルコールの抜けきらない頭で、僕は当麻に何をどこから尋ねようか、迷っていると、当麻の方から話が切り出された。
「悪くなかっただろ?」
「何?」
「カレー」
 ああ、その事か。
 意外、だったけれど、今日の意外はそこじゃなくて。
「美味しかったよ。当麻がああいうカレーが好きだって、すごい驚いたよ。でも、それより当麻。どうして楽器ができることを隠してたんだい?」
「別に、隠してた訳じゃない。そういう機会がなかっただけだ」
「まあ、言われてみれば」
 確かに、皆が集まって音楽を聞いたり演奏したりすることはなかった訳で。
「一応、音楽の成績は良かったんだぞ」
「それは、今日のステージで良く分かったよ。ギターもピアノもできるなんて、なんだか意外すぎてまだ信じられない。まさか、バイオリンもサックスもできます、なんて言わないよね」
「ああ、そういう練習が必要なのはムリ。せいぜい出来てあとはベースくらい。別に俺は音楽の才能がある訳じゃないからな」
「え、でも、オーナーさんは、君のことを『音楽で食べて行ける』って褒めてらしたよ」
「よく勘違いされるんだよな。だから、本名とか知られたくなかったんだよ。俺から言わせれば、音楽は数学的に構築された芸術なんだぜ?」
「数学的?」
「基準となるAつまりラの音が440Hzだろ。Bは493.9Hz、Cは523.3Hz、という風に音は周波数、つまり数字で扱えるだろ? リズムやビートも同じだよな。2ビート、4ビート、8ビート、っていうくらいだから数学的に構築されてるよな。コード進行だってな……」
「もういいよ、よく分かった」
 長くなりそうな当麻の講義を遮って僕は、その前に躍り出て、顔を覗き込んだ。
「In other words?」
「え?」
 当麻は、お洒落なスーツに似合わない間抜けな顔で、僕を見た。
 ほら、やっぱり。
 その続きを知らないのは、僕だけじゃなかった。

……In other words, I love you?

 夜空には、昨日と同じ銀細工のような月が煌煌と輝いていた。



2010.04.08脱稿

羽柴当麻救済企画(笑/ついったーでの扱いがあまりにも酷いので)もしくは「絶対音感を持つ音痴の話」。先日、吉祥寺にライブに行った時、唐突にこのネタが降って湧いたように降りてきまして、どうしても書きたくて勢いで書きました。本編とかスパコミの文章、そっちのけで(笑) うちの当麻は音楽好きです。ほら、音楽って音が大気を振動させるものだから、天空の管轄だと思うんですよね。音痴なのは、まあ、天は二物を与えずとかなんとか。その他、裏話はブログにて。