硝子細工の迷境 (1)
ガリガリと珈琲豆をひく音と、心地よい苦みのある香りが店内を支配している。ゴールデンウイーク最終日の夜十時過ぎだというのにテーブルは満席で、カフェラテやモカを片手に人々は密やかな夜の歓談を楽しんでいる。
この吉祥寺駅北口のバスロータリー近くのスターバックスは当麻のお気に入りだった。漂う珈琲の香りと適度な人々の会話が、静かな所よりも集中力を高めてくれる。図書館だと自分の立てる物音に気を使ってしまうし、第一、こんな夜遅くまで開いていない。そして不思議なことに、当麻が行く時には必ず、どんなに混んでいても予約席のように店の一番奥のテーブル席が空いているのだ。
今もそのテーブルに座り、ノートパソコンと大学ノートを広げ、マグカップを左手に思索に耽っている。
ここ一ヶ月の間に起きた出来事を整理し、なおかつそこに自分なりの推測を含めた仮説を立てて今後の対応を考えるためだ。
広げられた大学ノートには、「伸」を中心に、いくつかのキイワードが若干読み辛い癖のある文字でランダムに書かれている。そして、キイワードの中には補足が付け加えられてあるもの、大きな丸で一括りにされているもの、矢印で結びつけられているものがある。それは他人が見れば、全く理解不能な図式だったが、当麻にとっては、自分の頭の中だけで組み立てるだけでは間に合わなくなった時のための思索マップだった。
それを見ながら、当麻は独り言ちる。
「やはり……水が多いな。」
北方水気、その司る色は黒であるという伸を中心に、クロ、龍神、田無神社、北辰結界と繋がっている。北辰の「辰」が龍であることは伸から聞いた。その時に「シン」という発音が同じであることに奇妙な感覚を覚えたものの、それ以上の具体的繋がりは今のところ探しても見つからない。専門文献に当れば何か手がかりがあるのだろうとも思ったが、そこに至るまでの時間が少なすぎた。
当麻にはもう一つ、気になっていることがあった。
キイワードにも書いてある「生まれ損ない」という項目だ。
本屋で伸が日本神話の絵本を読んだ後、この言葉を聞いて突然、苦しそうな表情をした『重要項目』だ。
「そうか、ここも水か。」
当麻は「生まれ損ない」の下にさらに「ヒルコ」と付け足す。そしてさらに「水に流される」とも書き加える。また水に関わる項目ができて、当麻は無意識に頭をかいた。続けてあることを思い出し、その手を止めて再びマップを注視する。
何の本だったか思い出せないが、古い日本の風習では双子は忌む存在であったという。故に、その片割れは厄払いの為に「棄てられる」という行為が行われていた。上流階級においては「里子に出す」という方法がとられ、それが出来ない階層の人々は本当に「棄てた」という。
浮かび上がった一つの推論に、当麻は僅かに柳眉を動かして大きく息をつく。
「棄てる」ということが「水に流される」ということであったとすれば、ヒルコは双子であったために神話の記述上「生まれ損ない」と表記されたのでは……。
魅力的な仮説だな、と思う。しかし、全く信憑性も文献的裏付けもない。第一、古事記や日本書紀といったいわゆる日本神話の聖典を紐解いたことがないのだ。これに関して何らかの結論を導き出すためにはまず、その文献から当ってみる必要があるだろう。
別の角度から考えてみるため、その仮説を頭の中から払拭し、再度マップを見る。
「龍」という言葉が目につく。
田無神社の祭神である尉殿大権現の顕現した姿であるという「五龍」、そしてその地下に陰陽寮が秘めてきたという「金龍」、北辰の「龍」。
MIT時代、ごく個人的趣味で世界の神話を研究しているフランスの友人が「龍/ドラゴン」について話していたことを思い出す。彼いわく、キリスト教圏では悪であり東洋では聖獣であるそれは、元は同じ「何か」ではなかったのではないかと。一説によれば、羽の生えた蛇が龍であるという。確かに、蛇も龍も他の獣に比べ長い胴体を持つという身体的特徴において類似性は認められるが、それだけでイコールにするには裏付けるものが貧弱過ぎる。
しかし、その「蛇」のキイワードはマップにすでにあった。青梅に現れた「白蛇」だ。そしてこれはあくまでも推測の域を出ないのだが、伸に現れた異形の瞳も、また「蛇」に似た特徴を持つ。あの異形について、伸は話そうとしなかったし、あの時の状況が状況だけにこちらから尋ねるのも気がひけて確証が得られていないので、この推論はこれでエンドマークを打つ。
次に「蒲葵の葉」に注目する。門外漢なので詳細は分からないが、「封印石を尋常ではない手段で破った」その手段に使われていた可能性のあるものだ。本州には自生していない亜熱帯のこの植物を初めて見たのは、やはりアメリカで暮らしていた時だった。父親に、知り合いの研究者の家に連れて行かれ、彼が趣味と実益を兼ねて経営している植物園に案内された時に説明つきで紹介された。その研究者曰く、「古代日本で神聖とされた植物であり、現在の沖縄の祭りでも使われている貴重な植物。古い時代には呪具にも使われていたらしい」との、どこかオカルティシズムを感じさせる蘊蓄がやけに印象に残っていたのだ。
そこまで思い出して、当麻はある矛盾点に気づき、腕を組んで目を閉じた。
「青梅の例大祭のため、あの一帯は神域になっていた」にも関わらず、「何者かが封印石を破り白蛇が現れた」のだ。神社に奉仕する人間や渡井のいうところの斎庭だとか結界には詳しくないが、「神域であるはずの場所」に「現れるはずのないもの」が出現したという事実は矛盾している。ルールに則っていえば、神域には悪しきモノが現れることは不可能なはずだ。阿羅醐の鎧を分けた自分たちの鎧すら田無神社の斎庭で発現することができなかった。ということは、仮定として封印石を破り、白蛇を現出させた者は神域を越える力を持つ者か、もしくは神域と同種の力を持つ者、というのがセオリーだろう。そして、その者は「蒲葵の葉」を呪具として使う可能性がある者。さらに言えば、恐らく、最初に田無神社に行った時に見た百鬼夜行を自分たちに見せた者。
「そうか。」
珈琲を一口飲み、当麻はマップにいくつもの矢印を付けた。蒲葵の葉から、白蛇、結界を破る者、に引き、最後に「十年前の事件」に長い線を引っ張る。そして、陰陽寮以下、いくつかの項目を一括りにしてあったものと対抗線を引く。
そして、最終的に一つの仮説に行きついた。
「蒲葵の葉」を呪具として使う「神域を無効化する力を持つ者」が恐らく、「陰陽寮」と対立している、もしくは陰陽寮のやろうとしている「北辰結界」を妨害しようとしている。そして同時にその者は「十年前の事件」を引き起こした張本人である可能性もある。そしてその背景にあるのは、龍もしくは蛇、そして日本神話……。
「やっかいなことになってきたな。」
どの項目も当麻の未知の領域である。記紀をかじったくらいではこの図式が正しいかどうかも判別しようがないし、ナスティに尋ねるのも自分の無知さを曝けるようで憚られた。まずは一次文献である記紀にあたり、その周辺を研究している人の論文を漁り、必要があればコンタクトをとって話を聞くことになるだろう。
こういう重要な案件に関して、当麻はWEBで情報を集めることの無意味さをMIT時代に叩き込まれた。ネットとは結局のところコミュニケーションツールを兼ねた情報共有の場であり、そこは「主観的な情報の集合体」に過ぎない。ゆえに本物の情報を得るにはそれなりの対価、つまりお金を払ってでも現実の人や物に接触する必要があることを学んだのだ。
パソコンの時計を見ると二十三時過ぎを表示していた。店に入ったのが二十時過ぎだったから、三時間以上居座っていることになる。当麻はさすがに気がひけて、ノートパソコンを閉じて珈琲の香りが漂う店を出た。
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