自動販売機で買って来た缶コーヒーのプルトップを開けながら、当麻は公園の椅子に座った。
既に日は暮れて、園内に設置された街灯が夜の木々のシルエットを浮かび上がらせていた。
目の前に広がる池は夜の闇を抱いて黒々と沈んでおり、当麻はともすると自分の想いに共鳴して引きずりこまれそうで、無理矢理、目を逸らした。
コーヒーを飲みながら、一つ一つ頭の中で整理する。
伸に何と言えばいいのか。何を聞けばいいのか。そして、これからどうやって付き合って行けば良いのか。
課題は複雑で重く、マニュアルも何もない。先人の知恵にも多分、答えはないのだろう。
今日、何度目かの深い溜め息を当麻は深くついた。
帰宅の道に公園を使う人達の姿も少なくなり始めた頃、背後に気配を感じて当麻は振り向いた。
「伸!」
驚いて、数度瞬きしただけで、当麻は言葉を忘れた様にその姿を目にしたまま黙り込んでしまう。
「こんな遅い時間に一人で公園にいると危ないって言ったのは、誰だったっけ。」
影になってその表情は見えなかった。けれども、伸のその声にはいつもの落ち着いたやわらかな色合いと確実に生きている生命の証が宿っており、当麻を僅かに安心させた。
驚きと困惑を隠せない表情の当麻の隣の席に伸は座ってその顔を覗き込む。
「心配かけてごめん。」
向けられる瞳の色もまた、いつもと同じ様に凪いだ海の色。奥深くで命を満たす色。自分を惹き付けてやまないやさしい光。
当麻はこの段になって、ようやく息をついて正気に戻ることができた。
「そんなことより、起きて来て大丈夫なのか?」
「たくさん眠らせてもらったから、もう大丈夫だよ。遼から話を聞いた。さっきまでずっと付いていてくれたんだね。」
「いや、それは……。」
自分の責任だから、という言葉が正直に言えないのはやはり負い目があるからだ。
「ありがとう。」
伸がふうわりと笑った。その笑顔は静かな湖にさざ波が広がって行くようだった。自然に逆らわない者だけが、いや自然そのものを纏ったもののみがなし得る、人を癒す清艶な笑顔。
その表情に面食らい、同時に今朝方、初めて触れた伸の唇の感触を思い出し思わず手を口に当てようとして、慌ててその動きを止める。
先刻まで、丁寧に思索して来た事は全くの無駄だった。本人を目の前にしては結局のところ、考え抜いた結論よりもその行動に至った原初にある理由を告白しなければ許されないと悟ったのだ。
「礼を言われる理由はない。俺が……もう少し冷静な判断をすべきだった。」
しばらく沈黙があった。当麻は、どこから話を切り出すべきか途方に暮れる。
そんな焦りを慰める様に、そっと椅子の肘掛けの部分に置かれた当麻の手に伸は自らの手を重ねる。
「今朝の事、僕は不快に思っていたりしないから。だから当麻は自分を責めないで欲しい。」
どくん、と当麻の心臓が音をたてて跳ねる。
「そうやって、お前は何でも受け入れて許して……。同性からキスされて気持ち悪くない訳ないだろう!」
征士の言葉が胸の中で繰り返される。光輪剣の錆になると、それくらい嫌悪すると真っ直ぐな彼は言っていた。
「そうだね、当麻以外の男が僕にあんなことをしたら、きっと殴っていたよ。」
「え?」
その意味するところを捉えかね、当麻は伸の顔を覗き込む。そこにはいたずらっ子が見せる眼差しがあった。
「当麻。多分、今、君は必死になって『言葉』を探しているんだろう。でも、無理することないよ。君の気持ちは痛い程に伝わるから。」
そう言って、伸は重ねた手に僅かに力をこめる。
そして当麻はようやく気付いた。
伸の、力。
触れる者が強烈な感情を持っているとそれを受け止めてしまうという不思議な能力。
それでは間違いなく、今、自分が抱えている複雑で奇怪な感情を伸はその身で感じているのだ。
重ねられた手の意味と自分が悩むことの無意味さに気付き、道化と成り果てた己があまりにも滑稽で当麻は俯いて肩を震わせて小さく笑う。
「気持ち悪くないのか。男だぞ。もしかしたらお前のこと、襲うかもしれないんだぞ。」
「気持ち悪くないよ。当麻だから。君になら襲われても構わないよ。」
隣で小さく、くすりと伸が笑った気配を感じて当麻は心の中で降参した。
伸には絶対に適わないのだ。
東京で再会してから、伸の様々な表情を見て来た。
家事を取り仕切る気の強い一面も、中性的な服を纏っても気にしない不思議な一面も、死にゆく人に心を攫われそうになる儚い一面も、すべて伸だ。そんな伸に惹かれ、名状し難い感情を抱えたままここまで来てしまった。
そして、相変わらず自分のそんな感情に名前を付けられないけれども、断言できることはただ一つ。
伸を失う事は自分を失う事、その一点だ。
それだけは、言葉ではっきりと伝えておく必要がある。そして、伸にはそんな自分の想いを知ってもらわなくてはならない。無意識に無理をしてしまう、このやさしい人には。
「もう、どこへも行くな。俺の前から消えるなんて許さない。」
伸の纏う空気がすっと冷たくなり、重ねられた手から力が抜ける。
ああ、と当麻は思う。
やはり伸は己の運命に自分が巻き込まれることを恐れているのだ。あの異形の存在を、伸自身は知っているのだ。
それならば余計に、この手を離す訳にはいかない。
弱々しく離れてゆく伸の手を当麻は握り返し、空いている片方の手で小さな頭を抱き寄せた。
朝と同じ様に、伸はやはり抵抗することなく当麻に体を委ねている。
「分かった。それなら、お前がどこに行っても俺はお前を見付ける。トルーパーで一番諦めの悪いこの俺が言うんだ。逃げ切れないぞ。」
一瞬、伸の体に緊張が漲り当麻は思わず抱き寄せた頭に力を入れた。それに安心したかのように、伸の体から力が抜ける。
伸は何も言わなかった。
卯月の最後の日の夜風は、命の旺盛な季節に相応しい心地よい暖かさで二人の頬を撫でて別の空へと旅立った。
夜空にうっすらと帯びているオブラートのような淡い雲の隙間には、ひときわ輝きの強い星が何かの合図のように煌めいていた。
青梅編、終了です。お付き合いありがとうございました。次回の舞台は(多分)銀座です。その他呟きはブログにて。

