ほしのおと

 ほしのおと



「うわあ……綺麗。」
 僕を包むその景色の、あまりの美しさに、そんなありふれた言葉しか出なかった。
 小高い丘から眼下に望む東京の街は、こんな夜遅くだというのに、色鮮やかな万華鏡のようにきらきらと輝いている。道路を走る車のライトが、光の筋を作って川のように流れている。視線を上に遣れば、降るような星々が、これもまた、きらきらと輝いている。
 まるで、光の祭典。
 レンタカーを借りた当麻が、ずいぶんと夜更けに僕を連れ出してから、三十分と少し。ここは、ゲストハウスから、それくらいの距離にある東京の僻地らしい。新興住宅街を通り抜け、街灯のともらぬ道路を走り、ここに着くまでの間、当麻は一切、目的地を話さなかった。ただ最近、やたらパソコンで地図を眺めているのを見ていたので、近々、どこかに行くのかな、くらいには思っていたのだけれども。
「おー、思ったより見晴らしは良かったな。」
 当麻は満足げに言って、それから天上を見上げた。
「それに、東京なのに結構、空気が澄んでる。星も結構、見えてるなあ。」
「うん、僕もびっくりした。きっと三等星くらいまでくっきり見えてる。」
「井の頭公園じゃ、二等星がギリだもんなあ。」
 そう言って、当麻の小さく笑う気配がした。
「当麻って、星、というか、宇宙なんか、とても好きなイメージがあるけど、そっちの専門には行かなかったんだね。」
「そうだなあ。小さい頃は結構憧れてたけど、なんでだろうな。たとえば、宇宙飛行士になろうとか、そういう夢は全くなかったな。今も特に、専門家になりたいとも思わない。」
「鎧で行けちゃうから?」
 からかい半分に訊いてみると、意外にも当麻は真剣に切り返して来た。星灯りの下でうっすらと浮かび上がる表情が、彼の真摯さを物語る。
「鎧でもし、外宇宙まで行けたとしても、行くつもりはない。見たいとも思わない。もし、宇宙の全てを知ってしまったら、それはものすごくつまらないものになっちまうから。
 こう、星空の下にいるとな、その向こうに広がる宇宙っていう、すごく大きくて手の届かない存在の中で、俺は一人なんだと感じられるんだ。それが、心地いい。だから、その正体を知ってしまうのが嫌なんだと思う。変わって行く人の世界の中で、宇宙だけは変わらない存在であることを信じていたいのかもしれないな。何かを知る、ということは、その知識で対象を縛ってしまうことだから。俺は、星空を、宇宙をそんな風に人間の主観で縛り付けたくないんだ。」
 そこまで澱みなく話してから、当麻は僕の方を向いて、ぼりぼりと頭を掻いた。
「……って俺、今、すごい恥ずかしい話したよな。」
「そんなことないと思うよ。君らしいなと思う。」
 永遠、という言葉がある。
 当麻は、その「永遠」の、本質的な意味を知っているのではないか、そんな気がした。有限と無限、変化と不変、そういった哲学的な物事をはるか高みから見下ろしながら、日常を暮らしている、そんな非日常の存在なのではないか。
「ああ、もうそろそろか。」
 当麻が一度、腕時計を見る仕草をして、再び、夜空を振り仰いだ。口の端に嬉しげな笑みを溜めている。
 そして、ジャケットのポケットから、夜空の色より少し明るい蒼い鎧玉を取り出した。
 鎧玉を手のひらに包んで、当麻は夜空に掲げるように腕を軽く伸ばした。
「……良かった。こっちでもできるんだな。」
 ぽつり、と呟いて、当麻は伸の方を見た。それから、伸を促すように視線を再び、満天の星空へと向けた。
「どうしたの、当麻。鎧玉なんか出して来て。」
「伸、聴覚に集中するんだ。多分、お前にも聞こえるはずだから。」
「聞こえる?」
 こんな夜中に、こんな人気も建物もないところに、何が聞こえるというんだろう。
 不思議に思いながら、目を閉じて夜の静寂に耳を傾ける。
 すると。

 シャラン、シャラン、シャラン……

 かそけき音が、どこかから聞こえて来た。
 目を閉じて、その音をじっくり聞こうと集中する。とそれは、突然、きらきらとした音の洪水となって僕の頭を駆け巡った。

 シャラン、シャラン、シャラン……

 ピアノの弦を、何かで叩いているような、高い音。脳髄を刺激する、きらびやかな人ならざるものの声。それは音の光の雨となって僕に降り注いだ。
「なんだい、これ……」
 驚いて、目を開ける。
 僕の視線の先で、当麻は相変わらず、夜空を眺め上げるポーズをとったままだった。
 その間も、光る音は燦々と降り注いで、当麻の姿を半ば、隠していた。いや、正確には、光る音を当麻がまとっているのだ。
「伸にも聞こえるだろう? これ、星の音なんだ。」
「星の音?」
「そう。夜空に輝く星が、年に一度だけ、こうして俺に話しかけてくれる。俺の誕生日だけ、これが聞こえるみたいなんだ。」
 僕は呆然として、語りかけてくる当麻と、星空を何度も往復して見た。
 当麻の、極めてリアリストな一面を知っている。目に見えないものは信じない、くらいの勢いで、彼は現実主義者だ。
 その当麻から、「星の音」なんていうファンタジーかつ非日常な言葉を聞くことになるとは思わなかったので。
 返す言葉が見つからなかった。
 僕たちの会話が途切れてしまった、その間も、星の音が燦々と降りしきる。
 少し前は、しんと静まり返っていた小高い丘は、いまや、夜空から降る星の光で満ちあふれ、眩しくて目を開けることすら難しい。
 そのまばゆい光の中に、当麻がいる。
 こちらを振り返り何かを言ったようだが、星の音に遮られて、きちんと聞き取ることができない。
「当麻、なんだい?」
 聞き返す。しかし、返事はなかった。当麻は再び、夜空を見上げて、大きく手をかざした。
 シャラン、シャラン、と、音が響く。頭の中に反響する。
 光の洪水の中に、星の音の導きに当麻が連れ去られて行くような気がして、僕は怖くなった。
 どこに行くんだい、当麻!
「当麻!」
 名前を呼びながら、その腕を掴む。感触はある。あたたかい。ちゃんと、生きてここにいる。
「どうした、伸?」
 不審気に顔を覗き込まれて、僕は安堵の溜め息を吐いた。一瞬、当麻が無窮の宇宙という永遠に飛び立ちそうな気がして、その手を離すのが、ひどく不安で。
「今、当麻が……」
「俺が? どうかしたか?」
「……ううん、なんでもない。」
 どこかに行ってしまいそうで、怖くなったんだ、という言葉は喉元で押さえた。
 いつか、そう遠くない未来、当麻の元を離れなければならないのは、僕の方なのだから、僕の前から消えるのは辛い、というのは非常に一方的で傲慢だ。
 相変わらず、僕の顔を覗き込んだまま、夜空の色を溶かし込んだような当麻の双眸が、なにもかも見透かすように、僕の両目を捉えた。
「俺はどこにも行かない。言ったろ。外宇宙まで行けるとしても、俺はこの地球にいるって。」
「……」
「なんたって、この星には、海があるからな。だから、俺はどこにも行かない。だから、伸も俺の傍を離れるな。」
 まるで呪文のように、当麻はその言葉で僕を縛り付けて。
 だから僕は頷くことしかできなかった。
 ……それが、ひとときの嘘であったとしても。

 そんな寄る辺のない僕の気持ちに、当麻は気付いたのだろうか。
 ふわり、と僕を労るように抱きしめた。
 冷え込んだ体に、互いのぬくもりが伝わる。二人分の鼓動を聞く。
 それから、当麻は、ひどく愛おしそうに、僕の右手に自分の左手を絡めて来て、力強く握った。
 ……ああ、すごい。
 当麻の手を通して、当麻の見えている世界が見える。
 冴え渡る星の光の音が、いくつも連なり合って、メロディを奏でている。メロディにあわせて、まばゆい黄金の光の帯が、虚空に絵画を描く。
 先程までは、ただの音だったものが、いまや、オーケストラにも似た壮大なスケールの音楽を奏でている。
 星々の紡ぐ天上の音楽。

 祝福の旋律に耳を傾けながら。
 僕たちはずいぶん長い間、丘の上に佇んでいた。

当麻、お誕生日おめでとう! パチパチ! ちなみに、この作品の元ネタは「Fool on the Planet〜青く揺れる惑星に立って〜」です。あと、最後のシーンの演技指導はうーたんさんです(笑) その他呟きはブログにて。