「十年前のことですが。」
ようやく状況を理解した四人の前で、白炎は言った。
「皆には御世話になったと思っております。」
「世話って……」
驚く伸の正面で、秀が言葉を繋ぐ。
「世話になったのは、むしろこっちの方だぜ? お前には怪我させたり、無茶な戦いをさせちまったしよ。」
「いえ、それは私の役目ですから、問題はないのです。あなた方を選んだのは、迦雄須と、彼に付き従った私。私は、まだ少年のあなた方が戦いで傷つき血を流す様を見るのが辛かった。けれども、迦雄須の作った鎧はあなた方を選んだ。それも運命とはいえ、受け入れるには心苦しく思っていました。」
「それは、あんたが……白炎が悩むことじゃないだろう? 俺たちは、自分の覚悟で戦いを引き受けたんだ。」
応じた当麻に、白炎はすっと目を細め、そちらを見た。
「天空殿。あなたには、一番、重い荷を背負わせてしまったかもしれません。軍師など、本来なら少年のなすべき役割ではなかったのですから。」
「そんなことはない。あのとき、俺のやったことは、間違っちゃいなかった。だから白炎が謝る必要はこれっぽちもないさ。」
言って、当麻は黙り込んだ。相手が白炎だと思うと、(しかも迦雄須と同じくらいか、それ以上生きている可能性のあると思われる霊獣だと)話し辛くて仕方がない。
「光輪殿は、格別に遼に心を砕いて頂き感謝しております。」
「……いや、私も当麻と同じで自らの役割を全うしただけだ。光輪の鎧をまとったことを、私は誇りに思いこそすれ、後悔したことは一度もない。だから、白炎も心を痛める必要はないのだ。」
「そう言っていただければ、心が安らぎます。戦いが終わったあとも、遼のことを見守ってくださってくださり、何とお礼を言えば良いのか。」
もちろん、それが自分と遼との親密な友人以上の関係を指していることに征士は気付き、言葉を失った。結婚相手の父親の前に初めて出るときの気持ちはこんなものだろうかと想像してしまう。
「水滸殿には、いつも私の食事の世話をしていただき、感謝しております。」
ははは、と伸は苦笑して頭を掻いた。
当時、白炎には「餌」という意味で、生肉を賄っていた記憶しかない。第一、霊獣だと言われても、何を食べるか本人(?)からリクエストがあったわけではないから、一般的に「虎の食べそうなもの」を用意するしかなかった。
「白炎がこんな人間の姿を持っていて、僕たちと同じように喋るんだったら、もっとちゃんとしたものをあげればよかったね。」
「それには及びません。一応、食してはいましたが、この体にしろ、獣体にしろ、本当に必要なエネルギーは大自然から得られますから。」
「へえ、そうなんだ。」
「でも、味はわかりますよ。当時は本当に新鮮なものを頂いていましたから、そのお心遣いにはありがたく思います。」
「じゃあ、今度は、みんなでご飯を食べるときにその姿で来てよ。ご馳走するよ。」
白炎は小さな苦い笑みを浮かべて、何度か目を瞬かせた。
その視線を、秀に移す。
「金剛殿は、出会った折から、遼に親しくしていただきありがとうございます。あの戦いの折の、あなたの強さと明るさがなければ、遼も皆も、こうして無事にはいられなかったでしょう。」
「んなことしてねえよ。俺は俺の思うままにやっただけだ。ていうかさ、水くせえじゃん、白炎。俺、お前と遊んだよな? 純たちと一緒にお前の背中に乗って走ったよな? だったらもっと早く教えてくれてもいいじゃん、人間の形をとれるなんてさ。」
「こればかりは、私の自由にはならないので。……今後とも、遼をよろしくお願いいたします。」
「言われなくてもな。俺は遼の大親友だ。」
と一旦、そこで言葉を切って、ちらと征士に視線を投げかけた。
「まあ、俺はいなくても、遼はもう大丈夫だろうけどな。」
「ねえ、ところで白炎?」
半分、いじけた様子でティーカップを啜る秀を横目に、伸は白炎に尋ねた。
「こうして話していると、君にも僕たちと同じように、感情があるんだなって、ちょっと不思議な感じがするよ。そうするとね、一つ、気がかりなことがある。
……十年前、僕たちは、迦雄須を失って、ひどく途方にくれたよ。あのとき、君はひどく悲しく哭いていたね。……その、やっぱり、今でも辛いのかい? 君はずっと長い間、迦雄須に付いて来たんだろう?」
秋の夜のリビングに、うら悲しく、静かな沈黙が訪れた。
皆の脳裏に、妖邪界への架け橋となった、その雲水姿が蘇る。彼らを導いて来たその人物の姿を、その言葉を、何度も何度も、心の中で反芻する。
白炎は、感情の全く分からない、綺麗なつくりもののような貌で、伸の疑問に応えた。
「水滸殿は、一つ、誤解をしていらっしゃいます。」
「誤解?」
「私には、あなた方のような感情はありません。正確には、感情の揺れ幅が普通の生き物たちよりも、ずっとずっと曖昧なのです。ですから、あなた方や他の動植物の感じる悲しみや痛みは、私には分からないのです。」
「……どうして、そんな」
「時間です。」
「時間?」
「はい。私は、この国が生まれるとほぼ同じくして生まれました。それから現在に至るまで、そしてこれからも、悠久の時を過ごすでしょう。その永い『時』を生きるのに、あなた方のように激しい感情を持っていては、正気で生きることが難しい。なぜなら、私はいつも誰かを見送る側であり、これからもそうなのですから。
大自然の、永い時を経ているものを見て下さい。空も、海も、大地も、たった一人の人間の死に、動揺することはないでしょう。幾億幾万の死と生を見守り続けているのです。私も、そちら側に近い存在です。迦雄須の死も、確かにある意味では悲しかった。でも、それは、あなた方の感じる『悲しみ』とは違うものなのです。役目を全うした命に対する讃美なのです。そして、何よりも、迦雄須もまた、私の永劫の時間の中を過ぎ去って行く一人だったのです。」
それからずいぶんと夜更けまで、白炎を囲んで五人は昔話に耽った。
迦雄須との話、阿羅醐の話、この国の歴史の話。
白炎の話は五人の想像よりも、ずいぶんとかけ離れたものだった。
彼の口から紡がれる言葉は、ひどく淡々としたもので、喜怒哀楽……人間特有の感情は一切存在しなかった。ただ、目の前の事象を見つめ続けて来た者の、記憶がつまびらかにされている、そんな感じだった。
剣舞卿との戦いで死の淵に追いやられたときのことすらも、彼にとっては、何ら危機感は感じなかったと言われた際には、さすがに、五人の間に苦い笑いが浮かんだ。
「それではそろそろ……」
白炎がそう言って立ち上がったのは、皆のティーカップのハーブティがなくなってずいぶんと経ってからだった。
「俺、途中まで送って行くよ。」
続けて遼も席を立つ。
「じゃあ、俺たちも玄関までな。」
秀がそう言って腰を上げると、残りの三人も続いた。
「達者でな、っていうのも変だな? 虎の格好だとまた逢えるんだもんな。」
玄関の扉の向こうの、白炎に向かって、声をかけた秀がにやりと笑う。
「また来てね。その時は、本当にご馳走、作ってるから。」
満面の笑みで、伸は白炎と遼を送り出す。扉の向こうで、やはり、白炎は困ったような表情を浮かべて伸を見た。
「まあ、俺たちまた五人で集まるときもあるからさ、その時は、その格好で来てくれればいつでも歓迎するからだな……うーん、まあ、あまり気にせず、遼だけじゃなく、俺たちの前にもその姿を見せてくれよ。」
ずいぶんと言葉を選ぶのに苦労したあと、当麻は言った。彼の口からここまで様々なことを聞かされてしまっては、今後、獣体の時に彼のことを『虎』扱いできなくなってしまう。
「それでは……」
皆の別れの言葉が終わったと思ったのか、白炎が夜の闇の方へ体を滑り込ませようとした、その瞬間。
征士が、彼らしくもなく引き絞るような声で、訊いた。
「白炎。一つ、聞きたい。迦雄須の前でも人の形はとらなかったと言った。では、なぜ、遼にはその姿を……?」
大気に染みる秋の夜の冷たさが、その刹那、凍り付いた。
時間を切り取られたように、不可思議な間があって。
白炎は、隣にいる遼の顔を両の手で抱きしめて、まるで親猫が仔猫にそうするように、ひどく愛おしげに顔をすり寄せた。
そして、全く感情のこもらぬ声で、征士の問いかけに応えた。
「果てを知らぬ私の永劫の時間の中で、遼の温もりだけは失いたくないと思ったのです。どんな生き物よりも、彼の温もりは私にとって貴い。だから、彼の願いを聞き届けたのです。」
そう言い残し、白炎は遼の手をとって、秋の夜の闇に身を預けた。
「すぐ帰って来るから!」
白炎に連れられた遼の声だけが、闇の向こうに響く。
遼が帰ってくるまで待とう、と言い出したのは、もちろん伸だった。
反対する理由もなく、三人はリビングで伸の持ってくるであろうお茶を待っていた。
椅子に座った当麻は、ふとリビングの壁掛け時計に目を遣った。
ずいぶん前に、午前零時を示した時計の針は、五分も進んでいなかった。
陰陽伝本編ではなかなか活躍できない白炎のハピバでした! なぜ本編で活躍できないか? だって、白炎が活躍しちゃったら結局、遼が主役になっちゃうので……。その他呟きはブログにて。

