毛利伸の憂鬱 3

 毛利伸の憂鬱 3

 生まれも育ちも違う五人が揃えば、様々な問題が出てくる。
 それは、小田原の柳生邸時代に散々思い知った筈だった。
 で、大人になれば皆、社会性も出てくるし共同生活にそれほど問題はないだろうと軽く思っていた僕を悩ませているのは、それぞれの食文化というか、味覚の問題だ。食事当番役の僕には、大きな障害である。
 遼は烈火の癖に、熱いものが苦手だ。おみおつけもカレーも、体温程度に冷めないと口にしない。皆で焼肉を食べた時、一人、食べ損ねているので僕が取り分けてあげて「冷めると美味しくないから、冷めないうちに食べるんだよ」と言ったら、「こんな熱いもの、白炎だって食べれないよ」という返事に僕はどう答えていいか分からなかった。まあ、確かに、体温以上に熱い物を食べたり、非常に冷たいものを口にしたりするのは、生き物の中でも人間だけなんだけどね。それが文化というものなんだけれど。とにかく、遼は自分の体温以上の熱いものが食べられないのだ。
 征士は、和食なら問題なく食べてくれる。問題は洋食の時だ。迂闊に凝った味のものが出せない。特に東南アジア系の極端に辛いもの、西洋の香草の風味が強いものが苦手だ。あとは味覚とは関係ないところで「はっきりしない食べ物」が理解できないらしい。一緒に吉祥寺で有名なパスタ屋さんに行った時、「スープパスタ」がスープなのかパスタなのか問い詰められて困った。
 秀は問題ない。さすが都会っ子ということだろうか。決して美味しいとは思えないカフェ飯でも「こんなもんだろ」と平気で食べる。まあ、量が通常より多いのは相変わらずだけれど。
 そして。
 一番の問題児は当麻だ。
 出したものを全部平らげてくれるのは、作り手冥利に尽きる。それはいい。ただ、いつも「うまい」というだけで、恐らく、あまり味が分かってないんじゃないかと思う。
 有る時、キッチンの裏戸に毎朝やってくる顔なじみの黒猫にカニかまをあげていた僕を当麻が見つけた。当麻はそれを見て「お、今日の夕食は蟹か? 猫の癖に俺より先に喰う気か」と言ったので、冗談で「残念だったね、昨日の残り物だよ、タラバガニが安く手に入ったんだ。君が予備校で授業を受けている間に、皆で焼いて食べちゃった」と答えたら、本当に残念そうに、「俺、蟹は大好物なんだぞ! ちっちゃい時はよくかに道楽に行ってたんだ!」と怒っていた。蟹を好きな人間がカニかまを蟹と思うはずがない。そもそも智将として、カニかまは蟹ではなく魚肉の練り製品だと知ってて当然じゃないだろうか。それとも、そう思ってしまうのは海の幸豊かな萩で生まれ育った僕の奢りなのだろうか。
 他にもある。
 近所の方が大量に「鱚(キス)」を釣ったというので、そのおこぼれを頂いた時に、征士が腕をふるって鱚の天ぷらを作ってくれた。征士は、料理はあまり好きではないそうだが実際に作る料理は美味しい。ところが、当麻はこともあろうか、鱚の天ぷらに「味がない」という理由でケチャップをかけて食べようとしたのである。「私の天ぷらを愚弄する気か!」と征士の雷が落ちたのはいうまでもない。もちろん、当麻が悪い。
 その他にも、秀が作ったエビチリにマヨネーズをかけようとしたり、デザートの白桃にはちみつとチョコペーストをかけたりと、とにかく、僕が理解に苦しむ味覚を持っている。 
 味覚音痴とか幼児味覚、というけれど、当麻のそれはちょっと桁はずれだと思う。



 吉祥寺での生活に馴染んだ頃、秀の親戚の方の帰国パーティをすることになった。秀の家は、秀を見ていれば分かる様に太っ腹な気質で、そのパーティに僕たちも家族同然に招待してくれたのだけれど、丁度その日、当麻はお世話になっている国立天文台の作業の手伝いに駆出されて、夕方まで帰ってこられないスケジュールだった。
 なので、当麻一人を置いて行く訳にも行かず、パーティには秀と遼と征士に出席してもらった。
 当麻が家を出る時、夕飯は何がいい?と聞いたら即、「ハンバーグとスパゲティ」と返って来た。僕は笑顔でそれを了解した。


 夕飯は、リクエスト通り、ドミグラスソースで煮込んだハンバーグとケチャップの味がよく効いたというより、ケチャップの味しかしない当麻が好きなスパゲティ。野菜が足りないのでツナサラダを一品添えた。
 そのツナサラダに、僕はちょっと仕掛けをしてみた。
 僕のツナサラダには某メーカーのライトツナ。
 当麻のツナサラダには、某メーカーの猫缶(一応、一個100円もする高いやつだ)。
 味付けは当麻の好きなマヨネーズで。
 あえてしまうと見た目は全く変わりない。
 お腹を空かせていたのか、いただきますの言葉もそこそこにご飯を食べ始める。
 さすがに気付くだろうと思い、僕は上機嫌でその様子を伺っていた。
 そして当麻は、例のツナサラダを迷う事なく一気に食べてしまったのである。
 僕は驚いて、当麻に待ったをかけた。
「当麻、そんなに急いで食べなくても今日は秀もいないんだし大丈夫だよ。ツナサラダは美味しかったかい?」
「美味かった。もしかして、いつものツナよりいいやつ使ったのか。すごい美味かった。」
「そう? 今日のツナは普段は使わないものなんだ。」
「それは得した気分だな。」
 嬉しそうに言って、当麻は再び食事に戻った。
 決して僕は嘘はついてない。
 でも、この脱力感はなんだろう。
 ツナ缶と猫缶の区別がつかない味覚の持ち主にちょっと気を遣いながら、いつも料理を提供していることへの恨めしさなのか。それとも、食材の味も分からずに食される食べ物たちの無念の想いなのか。
 僕は結局、あまりの事実に食事の半分を残してしまった。


 その夜は、当麻は仕事があるからと言っていつもの時間に布団に入る事はなく、僕はクロを抱いて一人眠った。
 浅い眠りと深い眠りの狭間で、僕はおかしな夢を見た。 
 当麻が魔法使いの格好をしている。そして奇妙な呪文を呟くと僕は猫になってしまい、一言も話せなくなってしまうのだ。にゃーにゃーとしか言えない。
 夢だと分かっているのに、猫にされた事が悔しくて仕方なく、猫の僕は暴れた。
 その耳にそっと手が触れる温かい感触がして、僕は目を覚ます。
 次の瞬間、寝室のドアがそっと閉じられる音がした。
 中途半端な時間に起きてしまったからだろうか。
 朦朧する意識の中で、間違いなく先程の感触が当麻だった事を確認する。
 さっきの夢は、ツナ缶への罪悪感からだろうか……。
 いや、僕は間違っても当麻にそんな慈悲深い想いなど持っていないぞ。
 でも、どうして当麻は布団に入ってこなかったのだろう。
 ふと、頭に違和感を感じて、手を伸ばした。
 ……何か生えている!!
 先程の夢の続きかと思い、僕は頬を摘んだ。夢じゃないようだ。
 恐る恐る頭のものに触れる。
 そして、胡乱だった意識に怒りが走った。
 頭からもぎとったそれは、猫耳だった。



 翌朝、当麻は朝とは言えない時間、もうブランチ過ぎという時間に起きて来た。どうやら、昨晩は秀の部屋で眠っていたようだ。
 テーブルについて、いかにもご飯くれと目線を送る当麻に僕は静かな怒りを秘めた極上の笑顔を提供する。
「やあ、おはよう当麻。昨日は夜遅くまで仕事していたんだね。」
「ん、まあ。」
「そんな当麻にご褒美だよ。今朝、スーパーに行ったら新商品のシリアルが出ていてね。栄養価も高くて働く男性からとても支持されているそうだから、当麻も食べてみなよ。」
 そう言って僕は当麻の前に、1キロ500円ちょっとの猫用ドライフード、通称カリカリを、少し深いプレートに入れて牛乳と一緒に出した。もちろん、煎れたてのコーヒーは忘れない。
 一瞬、当麻はぽかんとしてプレートを見ていたが、「へえ、最近のシリアルは変わった形なんだな」と言っただけで、何のためらいもなく牛乳をざっとかけて食べ始めた。
「……美味しい?」
「うん、すごい美味い。何ていうメーカーなんだ?」
「フリ○キー。」
「ああ、アメリカはシリアル大国だからなぁ。俺も向こうで毎朝お世話になったんだ。」
 残念だけどフリ○キーを作っている会社の本社はスイスだよ。
「ああ、でももうちょっと甘いのがいいな。伸、はちみつ頂戴。」
 僕はもう、この男には絶対に勝てない。
 復讐劇も全く役に立たずに、僕は心の中で降伏宣言をした。

2010.0803 脱稿

7月末の萌え会に出た「子供味覚羽柴」のネタ詰め合わせです。こんな話をしていました(笑)久々にバカ話が書けて満足です。