揺らがない大地

 揺らがない大地



「じゃあ、秀、あとはよろしく頼むね。」
 そう言い残して、伸がナスティの買い物のお伴に駆出され、ゲストハウスを出たのはまだ早い午前9時。銀座のブランドショップを巡るのだと言う。
「おう、楽しんで来いよ!」
 見送りながら、秀は苦い笑みを浮かべるしかなかった。ナスティの事だ。伸にシャネルやルイ・ヴィトンの服を試着させて楽しむのが目的だろう。最近、オープンしたアバクロなんかに連れてったら、驚いて逃げ出したくなるに違いない。
 伸がドアの向こうに消えるのを確認して秀は呟いた。
「今日は5着くらいか。あんまり肌の露出が多い服を買ってくるんじゃねぇぞ。」


 AM 10:00。

「おーい、秀!」
 キッチンの冷蔵庫を覗いて、昼食のメニューを考えている秀の耳に、遼の声が届いた。
「洗濯機が壊れたみたいなんだ。」
 ファミリーサイズのドラム式洗濯機の前で、遼が途方に暮れていた。手前にある様々な機能のボタンを押しても洗濯機は全く反応しない。
 秀も本体の隅々まで確認したが、これといって異常は認められなかった。
 音を上げて、遼が呟く。
「叩いたら直るかな。」
「バカいうな。昭和の単純な構造の洗濯機じゃないんだぞ。」
「俺んちのテレビは殴ると映りが良くなったけどな。」
「お前んちのテレビ、どんだけ時代物なんだ。」
 感心している場合ではない。
 二人して洗濯機の前で首を捻っていると、ふと足下に目を遣った秀が、突然声をあげて笑い出した。
「な、なんだ、秀。」
「コレだよ、コレ。」
 体をかがめ、手を伸ばす。その先には黒いコードとコンセント。
「コンセントが抜けてちゃ、そりゃ動かねぇよな!」
「秀、お前すごい。」
「あのなぁ。これくらい常識だぜ? 遼だって一人暮らししてんだから、家電トラブルくらいあるだろ?」
「あるけど、必ず職場の人に直してもらうからなぁ。俺、機械はあまり得意じゃないからさ。」
 遼が悪気もなく人懐っこい笑顔でさらりと言った。
「お前、実はあんまり変わってないんじゃね?」
 言いながら秀は思う。
 確かにこの笑顔を向けられちゃ嫌とは言えないよな。全く、天性の人たらしだよ、遼は。
「そういう秀は、変わったよな。」
「そうか?」
「十年前なら、岩鉄砕で洗濯機を壊してたぜ。」
「んな訳あるかよ!」
「いや、それくらい細かいことに不向きだったよ。真っ直ぐで、行動が先、だったろ?」
「まあ、そこは否定しないけどな。」
 確かに、遼と一緒に先走ったり、考えることなく戦いに身を投じて捕われたりもしたけれど、それとこれとは話が別だと思う。それでも、遼の言わんとしていることを悟って、秀は少し照れ笑いをした。
「ま、十年も経ったんだ。俺だって大人になるさ。」
「追い越された気がするよ。」
 遼は黒い瞳に安堵の色を浮かべて笑顔を見せた。


 PM 1:00

 やや遅めの昼食の時間、ダイニングに集まった面々の中に一人欠けている事に気付き、秀は遼に尋ねた。
「征士は?」
 時間には律儀な彼が、いつもの昼食の時間に席に着いてないのは奇妙を通り越して事件である。
 返答は遼ではなく、当麻から返って来た。
「ああ、少し前、インターホンが鳴ったから征士が出て行ったが。多分、新聞か宗教の勧誘の類だな、この時間に来るのは。」
「おいおい、少し前ってどれくらいだ?」
「二十分くらい前だと思うぞ。」
「何やってんだよ、あいつは!」
 頭を抱えて、秀は玄関へと向かった。

 玄関先では、当麻の言った通り、征士が難しい顔をして女性二人と話し込んでいた。
 相手は、薄化粧の若い女性と白い杖を手にして深く腰を折っている老婆。二人とも、胸元に同じ紋様の入ったバッジをつけている。
「おい、征士、昼メシの時間だぜ。」
「ああ、すまない。まだ彼らの話が終わらんのだ。」
 言いながら、征士は前の女性二人に目を遣る。秀もそちらに視線を向けると、二人の女性はどこか虚ろな瞳のまま笑顔を浮かべて秀に目礼をした。
 静かな悪寒を覚え、秀はそっと征士の耳元で囁く。
「あのな、征士。こういう手合いはマトモに相手しちゃダメなんだぜ。」
「何故だ。」
「そのうち、金欲や物欲があるから救われないとか言って、金を貢がされるんだよ。」
「しかし、この二人にそんな悪意があるとは思えないが。」
「だーかーら、そういう弱そうな女性やお年寄りを使って親玉が儲ける仕組みなんだよ。」
 ぴしっと釘を刺して、秀は征士の半歩前に出ると、目の前の二人の女性に向かって口元だけに笑みを浮かべて言い渡した。
「すみません。俺ら、ここに短期滞在している者なんでご期待に沿えません。申し訳ありませんがお帰り下さい。」
 その言葉に、若い女性と老婆はぴくりと肩を震わせて互いに目を合わせると、征士と秀に軽く一礼をして玄関先から姿を消した。
「いささか可哀想ではないか。」
「お前、本当に若殿だな。新聞と宗教の勧誘はさっくりお断りするのが世の常識だぜ?」
「そういうものなのか。」
 納得がいかないという風に征士が答えると、秀は諦めたように溜め息をついた。
「世渡りの方法は教科書も鎧も教えてくんねーの。体当たりの経験だけだ。俺はもう、かみさんとの新居で何度もお断りをして来てるからそういうもんなの。」
「なるほど。」
 今度は納得した風に征士は頷いて、うっすらと綺麗な笑みを浮かべた。
「いつの間にか、私よりも秀の方が大人になってしまった訳だな。」
「な、なんだよ、それ。」
 柄にない言葉に、秀は目を白黒させて廊下を歩き始めた。
「早くメシにしようぜ。当麻がうるさいからな。」
 その後に続く征士の瞳が穏やかな色を宿していたことに、秀は気付かなかった。


 PM 3:00

 リビングで、先刻隣の家から届けられた回覧板に目を通していた秀の頭の上から声が降って来た。
「腹減ったー。」
 見なくても分かる声の主に、秀は冷ややかに対応する。
「昨日、伸が買い出しで買って来てくれたポテチのビッグサイズ3袋あったろ。」
「もうない。」
「お前の胃袋、病気だな。病院へ行って来い。」
 秀は結婚を機に、必要最低限の間食しかしなくなった。ので、このゲストハウスでお子様向けのジャンクフードを食べるのは当麻のみである。
「病院に行く前に、俺が空腹で行き倒れになって新聞の一面を飾ってもいいのか?」
「ああ! もう、お前マジでうざい。冷凍庫に冷凍餃子が入ってるからそれでも喰ってろ。伸には話しといてやるから。」
「凍った餃子を俺に喰わせる気か?」
「フツーに調理して喰え。」
「できん。」
 即答され、秀は大きく溜め息をついて回覧板の上に頭を沈める。その背後から当麻が地縛霊のように覆い被さった。
「ヤメロォォ!!」
「腹減った。」
「あー。俺の負け。キッチンに来い。」


 冷凍庫からで冷凍餃子を取り出した秀は、当麻にそれをぽんと渡した。 
「何だ?」
 呆然とする当麻に、秀が指を指して断罪する。
「お前は伸に甘やかされ過ぎだ。男たるもの、冷凍餃子ごときの調理ができなくてどうする。だから、俺が教えてやるんだ。」
「めんどくさい。」
「ならお預けだな。」
 厳しい言葉を言い渡され、当麻は手にある冷凍餃子と秀の顔を三往復見てから渋々頷いた。

 秀の指導の元に当麻が作った餃子は、数カ所にひどい焦げ目が見られる以外、マトモな餃子の体裁を保っていた。
 皿に盛られた餃子を一口、当麻が口にする。
「美味い。」
「だろ? たとえ冷凍でも、自分で料理した方がおいしく感じられるんだぜ?」
 胸をはって言う秀に、当麻はしみじみと呟いた。
「成長したよなぁ、お前。」
「はあ?」
「昔は、俺と一緒にご飯を伸にねだってた方じゃないか。それが、いつの間にか、料理指導まで施すようになっちゃってさ。なんだか、俺、おいてけぼりを喰らった感じだな。」
 にやりと口の端を上げて笑う当麻に、秀が鼻で笑い返す。
「お前もいい加減、伸に甘やかされてばっかだと、そのうち愛想を尽かされるぞ。」
 真面目な秀の忠告に、当麻は肩を竦めてわずかに子どもっぽい笑みを浮かべた。


 PM 9:00

 伸の入れてくれた紅茶を飲みながら、秀は今日一日に起きた出来事を思い出していた。なんとまあ、皆、大人の皮を被った子供なのか。
 向かいの席に腰を落ち着けた伸に、そのことを話すと、やさしく笑って秀の目を覗いた。
「それだけ、みんな今の秀を頼ってるってことだよ。僕たちみんな、個性的すぎてどこか不器用で、そして、そのまま大人になっちゃったけど、今の秀が一番、常識人じゃないかなって思う。」
「それ、褒めてんの?」
「もちろん。」
 ふふ、と笑って、伸が続ける。
「日本神話にね、国之常立尊(くにとこたちのみこと)という神様がいらっしゃって、永遠に大地が揺らがない様に定められたんだ。その後にようやく、姿形のあるものが神様たちによって生まれたんだよ。だから、神様の中でもとても尊い存在なんだ。国土の守護神として祀られている。」
「ふうん。」
 興味なさそうに聞いている秀に、伸は僅かに語気を強めて言った。
「だから、それだけ揺らがない大地の存在が僕たちにとって重要だって言ってるんだよ。金剛のシュウ。」
「へ……?」
 言われた事を飲み込めず、一瞬、ぽかんとした秀だったが、『金剛』の言葉に反応してようやく伸の言いたい事を理解した。
 揺らがない自分の存在が、重要だ、と。
「頼りにしてるよ、秀。」
 その言葉にからかいの色はなく、とても真面目なものだと秀は気付いて、わずかに返答に窮したが、考えるより先に言葉が出た。
「おう、俺は金剛の秀サマだ。遠慮なくどーんと俺に頼ってくれていいぜ!」


2010.08.18 脱稿

2010年秀誕です。前回の遼誕が重かったので、秀は楽しく書きました。秀は少年時代は戦うこと以外はお子様なだった訳ですが、多分、成人したら5人の中で一番、社会常識のある大人になるのではないかと(笑)どの他呟きはブログにて。